No. 244 戦慄のダイナマイト・パンチャー ピピノ・クエバスのすべて

戦慄の王座後退劇!ヒットマン、アゴ割り男を撃沈!
WBA世界ウェルター級タイトルマッチ
1980年8月2日 米国デトロイト
挑戦者トーマス・ハーンズ(米国) KO2R 王者ホセ・ピピノ・クエバス(メキシコ)

 70年代中盤、世界ウェルター級王座にはメキシコ人王者2人が君臨していた。WBC王者は、オーソドックスなボクサー・ファイターのカルロス・パロミノ、WBAは破壊力抜群の左フックを武器にKO進撃を続けていたホセ・クエバスだった。1976年7月、アンヘル・エスパーダを2RKOに降し、僅か18歳6ヶ月という若さで世界王座を獲得したクエバスは、ハーンズとの防衛戦まで実に11度の防衛を果たしており、その内10度はKOによるもので、対戦者の半数近くはアゴを割られて退けられていた。まさに当たれば倒れるという、その凄まじいパンチング・パワーは、止まる所を知らないかのような桁外れなものだった。

 一方の世界初挑戦を迎えたハーンズは、クロンクジムでエマニュエル・スチュワートに師事し、アマチュア時代の戦績が155勝8敗のうちKO、RSCは20にも満たないアウトボクサーだった。オリンピック予選では、ハワード・デービスに敗れており、陽のあたる場所を歩んできたとは言い難かった。プロ入り後はそれまでのイメージを一新するかのように、恐怖のKOアーチストへと変貌を遂げていった。1977年11月、J.ヒルを2RKOに降したのを皮切りに、デビュー以来17連続KO勝ちを記録する。対戦者の質も上げていき、C.グレイ、B.カリー、S.ムアンスリン、A.エスパダ、E.ガソらの元世界王者をことごとくKOし、世界戦への舞台を整えていったのである。世界戦までの戦績は、28戦全勝26KOとなっていた。因みに、アマ時代に敗れているデービスは、この2ヶ月前に英国でジム・ワットの持つWBC世界ライト級王座に挑むものの、判定で敗れていた。

 会場は、デトロイトのジョー・ルイス・アリーナ。KO必至の世界戦のゴングが鳴った。

 初回から挑戦者ハーンズは、試合前にモハメド・アリからアドバイスを受けたという左ジャブを突きまくる。速射砲のような左は、クエバスの射程外から飛んで来るため、クエバスは距離を詰められずに得意の強打が不発に終わる。相打ちになってもロープに飛ばされるのは王者の方だった。ハーンズは、クエバスの左ガードが下がったのを見逃さす、打ち降ろしの右オーバーハンドを決める。クエバスは、ロープを背負うシーンが目立つようになってくる。

 迎えた2R、なんとか距離を詰めて打ち合いに持ち込みたいクエバスだが、ハーンズの長いリーチに邪魔され、徐々に為す術が見当らなくなってきた。ハーンズが左でクエバスを止めるかのように距離を作り、強烈な右クロスを打ち込むと、クエバスは平衡感覚を失った状態で身体をくねらせた。すかさず追撃の右を被せると、クエバスは前のめりにキャンバスに叩きつけられた。フラフラの状態で辛くも立ち上がったものの、勝負は決していた。王者のセコンドのルペ・サンチェスがリングに入り、クエバスを救った。あのクエバスが為す術無く敗れた!KOパンチャー同士の激突は、ハッキリと明暗が分かれる壮絶なKO決着で終わり、同時にモーターシティ、デトロイトに「拳聖」シュガー・レイ・ロビンソンの再来を思わせる魅力溢れるパンチャーが誕生した瞬間だった。

 当時、WBC王座は、パロミノからウィルフレド・ベニテス、そしてスーパー・エキスプレス、シュガー・レイ・レナードへと変遷を辿っていた。当然のことながら、WBA王座に就いたハーンズとWBC王者レナードとのライバル対決への期待が高まって行った。

 この後、クエバスは、再起するものの、伏兵ロジャー・スタフォードに判定負け、ロベルト・デュランとのサバイバル戦に敗れるなど、世界戦線から離脱していった。

 この試合のアンダーカード(メインの後座試合)で、沖縄の星、上原康恒がサムエル・セラノ(プエルトリコ)を豪快な6RKOで降し、WBA世界S.フェザー級王座を獲得したことも印象深い。

 ハーンズvs.クエバスの試合は、RJ社で発売されている244「戦慄のダイナマイト・パンチャー、ピピノ・クエバスのすべて」にフルラウンドで収録されている。衝撃のKOシーンをご覧あれ!

(RJ社友 末永慶寛)