ボクシング王国メキシコの歴史を語る上で必ずその名が挙げられるのが、「怪物」、「ミスターKO」等、あらゆる倒し屋の異名を独占したと言っても過言ではないのが、ルーベン・オリバレスだ。1965年1月4日、イシドロ・ソテロを2RKOに降し、プロのリングでのキャリアをスタートさせた怪物は、日本人選手との対戦も多く、1967年10月に牛若丸原田に2RTKO勝ち、1969年1月に金沢和良に2RTKO勝ち、1969年5月に桜井孝雄に6RTKO勝ちと、その快進撃は止まることを知らないものだった。
メキシコの産んだ驚異のKOスペシャリストは、歴戦の強豪達を次々にリングに沈め、カリフォルニア州イングルウッドで世界初挑戦の舞台へ立った。しかも9RKOの予言をしてだ。
時の王者は、日本のファイティング原田から番狂わせで王座を奪った豪州のライオネル・ローズ。1964年9月のデビュー後、34勝(7KO)2敗の戦績を誇り、1968年7月に日本のリングで桜井孝雄にダウンを奪われたものの、ポイントを挽回しての判定勝ちで初防衛に成功したのをはじめ、1968年12月のチューチョ・カスティージョ(メキシコ)戦では、判定を不服としたファンがリングにモノを投げ入れるなど大荒れの末の判定勝ちで2度目の防衛、1969年3月には、アラン・ラドキン(英国)を地元豪州のリングで判定に降して3度の防衛に成功していた。
イングルウッド・フォーラムに集結した1万9千人の大観衆のほとんどがオリバレスの世界奪取に期待を寄せて(確信してと言ってもいい!)、大歓声を送る中で試合は始まった。
初回こそジャブを駆使し、オリバレスのプレッシャーを凌いだものの、王者ローズが互角に戦えたのは、まがりなりにもこの回だけだった。
2Rからは挑戦者のインファイトに付き合わされ、ショート連打を浴びで徐々にスタミナを削がれていった。この回、オリバレスが体を入れ替え際に放った右で王者は痛烈なダウン。ダメージの残るローズは、辛うじてゴングに救われた形となった。3、4Rには、オリバレスの強打が的中率を増し、ローズの顔面、唇から鮮血が流れる。
迎えた5R、挑戦者は、左フックのトリプルからの右フックを決め王者をロープに詰める。オリバレスの巧妙なフェイントからの右フック、返しの左を浴びてまたも王者はダウン。荒々しい連打の中でも確実にピンポイントに強打を叩き込む術は天性のもののように映る。ローズは辛うじて立ち上がったものの、既に勝負は決していた。メキシカン特有の巻き込むような左ボディブローからの右を顔面に被せると、ローズは顔面から叩きつけられるようにキャンバスに沈みKO負けを喫した。4度目の防衛はならなかった。
この時点でオリバレスの戦績は、53戦52勝(50KO)1分となった。まさに世界を震撼させた「怪物伝説」の幕開けだった。
(RJ社友 末永慶寛)