1960年代後半〜1970年代中盤にかけて、マンテキーヤ(バターのように滑らかな)の異名をとった攻防兼備のテクニシャン、ホセ・ナポレス。長らく無冠の帝王として世界の上位にいたが、なかなか世界へ羽ばたくチャンスが訪れない。そのうち祖国キューバは全てのプロスポーツを禁止したが、ナポレス自身はプロボクシングを続けることを決意し、キューバに家族を残しメキシコに亡命。亡命後も「強すぎるコンテンダー」として王者達から敬遠され、不運な時期を過ごさざるを得なかった。しかし、辛抱の末、ベストより1クラス重いウェルター級で遂に世界挑戦のチャンスをつかむ。
迎えた1969年4月、米国ロスアンゼルスで実力者王者カーチス・コークスを初回から圧倒し、念願の世界王座を奪取した。王者コークスは、1966年8月にマヌエル・ゴンサレスと空位の王座を争い判定勝ちし、ナポレス戦までは4度の防衛に成功していた。しかしコークスの堅実なボクシングを持ってしても、王座奪取の執念に燃えるナポレスは止められなかった。
ナポレスの理詰めな攻防は、初回から異名の通りのボクシングを展開し、見切り後の攻撃への移行は見事な攻防の融合を見せている。ステップワーク、間合い、まさにボクシングの芸術性をリング上で表現している。ナポレスはその効率的ともいえる無駄の少ない攻防の臨界点を随所に押さえており、世界中のボクサーのお手本となっているといっても過言ではない。注目されるのは、元世界フライ級王者の大場政夫選手もナポレスのボクシングを高く評価していたことだ。
コークスを圧倒した試合後、ナポレスは、「ボクシングを捨てなくて良かった・・・私の挑戦を受けてくれたコークスに感謝する。」としみじみと語ったと言われる。2か月後のコークスとの再戦でもナポレスの技巧は冴え渡り、全王者を全く問題にしなかった。ナポレスのキャリアの中でも特筆される2試合である。この連戦が収録されているのは嬉しい限りだ。この後、ナポレスは、世界ウェルター級王座を3度と10度の王座在位期に分ける形で通算13度防衛する。その間には当時ミドル級統一王者として君臨していたアルゼンチンの拳雄カルロス・モンソンとの王者対決も行っている。この時はモンソンの右強打を浴び、7R棄権で敗れはしたものの、ナポレスの名声は傷つくことなく、逆に果敢にミドル級への壁に挑んだ姿勢が評価された。ナポレスは、1975年12月、英国のストレーシーにストップ負けして引退する。最終戦績は、84戦77勝(54KO)7敗。
無敵を誇った不滅のボクサー、ナポレスの技巧の極みを堪能できるこの作品は、近い将来販売が中止されると言う。ボクシングの教科書的な意味も含めて必見の名勝負が収録された作品だ!なお、RJ社から発売されているナポレス関係の試合は、本No.の他、No.39でも収録されている(vs.アーマンド・ムニス第1戦)。この試合は、ナポレスが大量の出血にも悩まされながらもタフな挑戦者を降した一戦としても興味深い。
収録試合
・ホセ・ナポレス TKO13R カーチス・コークス 第1戦 4/18/1969
・ホセ・ナポレス TKO10R カーチス・コークス 第2戦 6/29/1969
・チューチョ・カスティーヨ KO5R アーニー・デ・ラ・クルス 6/29/1969
(RJ社友 末永慶寛)