No. 70 ロベルト・デュラン栄光の記録 石のコブシ45番名勝負

 このビデオのキャッチフレーズは、「デュランがバッタバッタと相手をなぎ倒す豪快なファイトビデオ」である。当時、専門誌でデュラン引退(後に撤回)記念イベントが開催された際に、このビデオに関する紹介記事が出たことをご記憶にある会員の方々も多いことと思う。そんなビデオの発売を心から望み、RJ社から発売されることが決定したときの喜びは今でも鮮明に蘇る。また、当時は高額だったことも思い出深いが、現在では、この貴重な映像資料がかくも安価に手に入る時代である。筆者は、当時購入したものに加えて観賞用とストック用に複数購入した。

 ロベルト・デュラン。言わずと知れたパナマの産んだボクシングの申し子、英雄、希代の豪傑等、例えに最大の賛辞を贈っても足りないくらいの「石の拳」を持つ男として世界にその名を轟かせた。デュランの激闘の数々は、ほとんどのファン、関係者が御承知の通りだと思うが、改めて見直すと、豪快さの中に緻密かつ洗練された技術を駆使していることが頻繁に見られる。フェザー級〜S・ミドル級までに渡り活躍したこと、そこにはデュランの生まれ持った闘争本能はさることながら階級を上げるごとに目立った順応性に富んだボクサーとしての才能が溢れている。

 メキシコ人の父とパナマ人の母との間に生まれたというデュランは、幼い頃からパナマのスラム街でストリートファイトに明け暮れながら(もちろん無敵であったようだ)ボクサーに必要な要素を蓄積していった。磨けば光る原石を発見したのは、名トレーナーであるレイ・アーセル&フレディ・ブラウンであった.この名伯楽2人とデュランの融合、やはり人との出会いは人生に大きな転機をもたらすことが如実に物語られている。以前、会報でも紹介した元世界王者、小林弘との激闘を経て1972年NYでブキャナンから世界ライト級タイトルを強奪し、デ・ヘススとの3度に渡るライバル戦、日本のガッツ石松、高山将孝らとの戦い等を含め世界ライト級タイトル12度(内11KO)の防衛をはじめ、1980年モントリオールでS・R・レナードの世界ウェルター級を奪取、再戦での「ノ・マス」はショックものだったが、今となっては、それもデュランだった、と受け止められる。日本の三原正から王座を奪ったデビー・ムーアをKOし3階級制覇を達成したときのデュランの雄叫び、ハグラーとの死闘、ハーンズに前のめりに倒されたシーン、それでもめげず、そのハーンズを倒したバークレーを降して4階級制覇という偉業。レナードとのラバーマッチ、カマチョとのマイナータイトル争奪戦を繰り広げたが、晩年のデュランはビア樽のような身体を駆使して、無名相手に何とか判定勝ちを続けていった。しかし、人が何と言おうがデュランは常に強気で生きた(小泉社長の本を予め読んでいたかの如く!)。デュランのリングキャリアはドラマ性に満ちている。まさか21世紀まで活躍するとは夢にも思わなかった。

 RJ社から発売されているデュランの豪快ファイトは、No.70のみならず、以下のNo.にも収録されている。

No.53 デュランvsランプキン
No.78 デュランvs小林、vsマルセル、vsトンプソン
No.83 デュランvs石松
No.109 デュランvsパロミノ、vsビザロ、vsオルチス
No.340 パナマのヒーロー Vol.1
No.341 パナマのヒーロー Vol.2

 ボクシング史に輝かしい拳歴を残したデュランは、最近アルゼンチンで被った交通事故も原因の一つとして、ようやくそのキャリアを閉じようとしている。しかし、いつまたリングへの復活を遂げても不思議は無いと思われるのもこのボクサーの魅力ではなかろうか。デュランのファイトは記録的価値の高い映像資料として、その凄まじい闘争本能で繰り広げた数々の戦いは、今後も永遠に語り継がれるだろう。

 私自身も、いつか子供達が成長したとき、デュランという凄いボクサーがいたことを語れる日を楽しみにしている(おそらく私の熱意を受け入れてくれるだろう)。ちなみに私の友人の一人は、マノス・デ・ピエドラという自作の曲(CDになっている!)を作って、まだ幼い長男にトランクスを穿かせて聴かせている。また、ある人は、デュランを彷彿させるヒゲを剃らずにソックリな風貌を保っている。今もなお観衆のデュラン・コ−ルが耳に焼き付いている。

 デュランの影響力、魅力は色褪せていない。

(RJ社友 末永慶寛)