ジョー小泉のひとりごと

上野の書道展

9月初旬、連合書道展という12の団体から成るグループの展覧会が東京都美術館で開催され、拙作が過分にも特別賞を頂戴した。

日差しは強いが、空気は澄んだ上野を歩むと、まるで別世界にいるような感じがした。
人通りは少なく、せみの鳴き声がかまびすしい。

午後から台風の来襲で雨が降るという予報だったが、日照りは強くなるばかり。
書道展は週日の昼だったせいか人が少なく、拙作が掲示されている静寂の空間に長く立っていた。

帰りに売店で水墨画のデッサン練習用の薄墨の筆ペンと一筆箋を求めた。

折角、車で上野に来たのだからと、帰途、千駄木の森鴎外記念館に向かった。

上野の森や
響きわたれり
蝉(せみ)のこえ
(9−8−2020)


つんどく家の開き直り 「拳闘ガゼット」

 コロナ休暇中、バックナンバーの整理をしている。この状況下、外国から選手を呼べないので、開店休業だ。

 読んでは、メモをした付箋をはさみ、のちの検索の便を図る。そして、カードに記入して、1冊=1カードを目標としている。

 これだけのバックナンバーが私のところに集まったのは、先輩諸氏のご厚意によるもので、平沢雪村先生、下田辰雄先生、梶間正夫先生、中村金雄先生に大いに感謝する。

 以前、貴重なコレクションだから、汚すまいという気持ちがあり、その防衛意識ゆえか読み進まず、積読(つんどく)になっていた。

 いまは違う。アンダーラインを引き、付箋をはさむ。私が読んだ足跡をあえて残そうとする。誤謬、誤字、誤植を余白に書き、それを明記する。

 万が一、将来、この雑誌が誰かの手に移るとき、「ここを読みなさい、ここを!」と注意を喚起するためもある。

 この「拳闘ガゼット」は郡司信夫先生の編集になるものだが、初期の号は何と26センチ×38センチもある。どうして、こんなに大きな雑誌を作ったのだろう。

試合会場の売店で売るとき、目立つように大きくしたのだろうが、書店ではスペースを取りすぎて迷惑だったのかもしれない。後に、戦時下、紙の統制を受け小型版のガゼット誌になるのだが・・・。

 バックナンバーを読み込んでは、ボクシングビート誌の連載「ボクシング珍談奇談」に何かおもしろい話を書く。また楽しからずや。
(8−30−2020)


つんどく家の開き直り 紀田順一郎「知の職人たち」

7月の書道水墨画個展の際、いきつけの古書店の主人夫妻が花を贈ってくれた。終了後、挨拶に行き、お礼がてら7冊ほど求めた。

返礼だから、前に目星をつけていた本を取り上げ、買い物を終えてすぐに出た。正岡子規の評伝が3冊とその隣にあった本も加えた。

それが、紀田順一郎著「知の職人たち」だった。
個人で辞書、百科事典を編んだ男たち6名の逸話集であり、これが予想以上におもしろかった。

<吉田東伍>
まず「大日本地名辞書」を作った吉田東伍(敬称略)だ。
この名前に記憶があった。
森鴎外の「寒山拾得」の最初の方だ。
「日本で県より小さいものに郡の名を付けているのは不都合だと、吉田東伍さんなんぞは不服を唱えている」と、その名が出てくる。

なぜ憶えていたかというと、好きな作品の最初の一節を書写するのが趣味だからだ。

その吉田東伍がいかに博覧強記の特異な学者だったかを初めて知った。
「彼は書物を読むのが非常に速かった。二行、三行を一度に読んでしまうという特技を持っていた」とあり、雑に読むのではなく、細部にいたるまでよく記憶していたそうだ。

吉田東伍は「大日本地名辞書」編纂の功をもって、明治42年、文学博士の学位を授けられた。このときともに博士になったのは森鴎外を含む6名だが、吉田はその最高点だったという。中学しか出ていない研究者が博士になったということは、非常に注目されたという。

<斎藤秀三郎>
斎藤秀三郎という英語教育の超人がいて、「斎藤和英大辞典」を編んだ。その息子が指揮者、秀雄で「斎藤メソッド」の創始者であり、小澤征爾、山本直純などを教えた。

この息子、秀雄が音楽会のある日、風邪で熱を出し、体温計で測ろうとした。母とらは「何度なら行くんですか」と問い、秀雄は「なるべくなら行く」と答えた。母が「それなら測っても仕方がないではないか」と言うと、「もし途中で倒れたらどうします」と息子が問い返した。

母親は厳しい顔で言ったという。「音楽をやる人間がステージで倒れたら本望でしょう」と。父、秀三郎は、「学校へ出たら、倒れるまで休むな」という躾(しつけ)をしたという。

<新村出>
6人目の「広辞苑」の編者として有名な新村出の項もおもしろかった。

たしか新村出の本があったはずだ。
「随筆 ちぎれ雲」(1942年)だが、つんどく屋だからもう何年も(約5年)未読だ。いつか読むさ、気が向いたら。

著者、紀田順一郎の他の本「古書店を歩く」(福武文庫)の巻末解説に目黒考二が書いている。

「本がもう一冊の本につながり、その本を探して、また別の本につながるという世界のひろがりを知る」という一文がある。
同感である。
(8−23−2020)


つんどく家の開き直り 外山滋比古「乱読のセレンディピティ」

外山滋比古が逝った。96歳の長寿で、没年間近まで書き続け、よく本が出た。

「思考の整理学」という本がベストセラーになったとき、読んでみたら、過去に読んだ記憶が蘇ってきた。以前読んだのは何十年も前のことだった。勉強や整理の方法論が主だから、内容は決して古びていなかった。

ためになるが、読み終わると、感心して書棚のどこかに収め、そのまま忘れてしまう。どういうわけか、どの本もあまり再読はしなかった。

故人の本で最後に読んだのは、「乱読のセレンディピティ」だったと思う。あるとき、本棚の上段からある本を取り出そうとして、隣の「乱読のセレンディピティ」が落ちて、頁が開いた。

そこに、芥川龍之介の「秋山図」のことが書かれていた。その項目を読み、随筆のタネを見つけた感じがした。

「秋山図の裏」と題した短いエッセイを書いたが、内容が込み入って、これでは他の人が読んで理解しがたい、と思った。

そこで、棚から落ちて開いた本が「乱読のセレンディピティ」でなく芥川の「秋山図」自体として、外山氏のパラグラフを一切削除してみた。そうすると、幾分すっきりした。

その手書きの拙作「秋山図の裏」をボクシングファンクラブ(以前のリングジャパンクラブ)会員諸氏に流した。

「秋山図」という作品の難しさの原因のひとつは、同じ登場人物がいくつもの名前(雅号、あざななど)を持つためだ。私はノートに識別表を作ったから理解できたが、普通の読者は芥川のこの作品に戸惑うのではないか。

ちょっと思いつき、万年筆で随筆を書いておき、気が向いたときに墨をすり小筆でわが拙作を書道作品として残す。和紙の良質の原稿用紙を銀座の鳩居堂で求め、使ってみるととてもよかったので、まとめて収蔵している。

乱読の効用を説いた「乱読のセレンディピティ」を再読してみようと思うが、それが見当たらない。そのうち出てくるだろう。

「セレンディピティ」という言葉はもっと人口に膾炙するかと期待したが、それほどでもなかった。「掘り出しものを偶然見つける才能」のことらしい。

私は乱読屋なので、ときにセレンディピティの恩恵を感じることがある。
啓蒙家、外山滋比古氏の冥福を祈る。
(8−8−2020)


耳栓コレクション

 プール再開後、ほぼ毎朝泳いでいる。

「いつからプール閉鎖でしたか? 年間300日水泳しているもので・・・」と体育館の窓口に訊くと、「確か、3月の2週目、9日からだと思います」と答える。

 月に2回はWOWOWエキサイトマッチの収録で、水泳ができない。つまり、月に28日は泳げる。

 今年、3月9日から6月14日までの約3ヵ月(約90日)休んだ場合、一体今年1年で何日、泳げるか?

 泳ぎながら、略算した。
365日 − 90日(プール閉鎖期間) = 275日
275日×(30日―2日)/30日 = 約257日

 すなわち、コロナ禍のため、通例の年間300日水泳は難しいが、約250日は泳げるという計算になる。

 毎日、同じプールで同じ時刻に泳いでいると飽きがくるので、耳栓で変化をつけることにした。

 現在5種類の耳栓をプールに行くバッグに入れており、水に入る直前、その日の気分により選択する。

 最近、プールの受付前の水泳用具セールで求めたブルーの耳栓はわが耳とのマッチングがよく、大いに気に入った。
もう2つ余分に買って、ひとつは出張用(新幹線や飛行機内で本を読むとき用)。もうひとつは睡眠用だ(夜は静かで不要だが、昼寝をする場合、防音、消音に効果がある)。

耳栓で
気分転換
二百五十日
(8−2−2020)


つんどく家の開き直り 「青い眼が見た幕末・明治」

 大学時代の同窓生のオンライン飲み会は2週間に1度の頻度で継続していて、持ち回りで何か演題を提供する。

 Kはいま役員待遇らしいが、現役時代、ドイツに5年半駐在したという。そのドイツ語習得法を披露したそうだが、その日の私は外で娘と会食していたので遅れた。「もう一度話してほしい」とも言えず、続きを聞いていたら、語学の天才、シュリーマンの「古代への情熱」(岩波文庫)のことを話し出した。

 そして、Kは「シュリーマン旅行記 清国 日本」の一部を朗読した。それが結構おもしろかった。

 その数日後、図書館に依頼を出していた「青い眼が見た幕末・明治」が入ったという通知があり、早速借り出しに行った。これは新刊書で、新聞の広告を見てすぐ申し込んだので、私が初めての貸し出しだといわれた。

 非常に興味深い本だが、著者が読者に対しサービス過剰(善意からだろうが)なような気がした。私としては、青い眼の旅行記のさわりを列挙しただけのような本を期待していたから。

 この本において、明治時代の海軍の脚気に対する処置で、森林太郎(鴎外)と高木兼寛の論争が起こった話が書いてある。他の本でも読んだが、高木の「白米原因説」が最終的には効果をおさめる。阿部昭の「白い航跡」は高木のことを書いているそうだ。一度、読んでみよう。

 私は「Chain Reading 連鎖式読書」と自分で呼んでいるが、本を読んだあと、それに触発され、関連書を読み進み、範囲あるいは深さが広がることをいう。

 最近、新刊の「ジョージ・オーウェル」(岩波新書)を読み終えたら、急にオーウェルを再読したくなった。われわれ団塊の世代の高校時代のリーダーの定番は、オーウェル、バートランド・ラッセル、サマセット・モーム、ハーバート・リードなどだった。

 特に「象を撃つ」をもう一度読みたくなり、書庫を探した。「動物農場」、「パリ・ロンドン放浪記」はあったが、岩波文庫の「オーウェル評論集」が見当たらない。つい最近まで、未読の棚の方に背文字が見えたのに・・・。

 本を整理しつつ、それを探していたら、「右であれ左であれわが祖国」(鶴見俊輔編)が出てきて、その中に「象を撃つ」が入っていた。

 比較的短いエッセイなのですぐ読み終えたが、「こんなストーリーだったかな」と思うほど後味が悪い。若い頃、好印象を持った本が、何十年もして再読するとまったく印象が変わっているということがあり得るだろうか?

 それがいま起こった。ボクシングの名勝負でも、貴重な映像が手に入り、見直してみると何か欠陥が目につき、折角の好印象が汚されることが過去にあった。「象を撃つ」でもそれに似たことが起こった。

 ひょっとすると・・・若い頃読んだのは原文だったのかもしれない。英文を理解して読了した達成感の方が強くて、よく内容を鑑賞していなかったのかもしれない。それとも、感受性が変容したのかも・・・。
(7−26−2020)


公園ギャラリーの書道水墨画展終わる

7月1日から14日、わが区の公園ギャラリーで書道水墨画の個展をした。
ご協力いただいた関係各位に感謝いたします。

これが2度目の個展で、初回は横浜馬車道の大津ギャラリーにおいてだった。
近所の人たちは横浜までが遠く、かつダイアモンドプリンセス号が停泊中だったため、来館者がなかった。

今回は事前告知を近くの知人のみ、できるだけ小さい範囲にしぼった。
私はギャラリーに常駐するわけではなく、朝と午後、各一度訪れるだけで、静かな個展だった。

午後、眼を休めるため、公園へ散歩に行き、毎日、しばらくわが拙作を眺める。
「ここの線をもう少し長く・・・」とか、自分の至らなさが目につき、反省材料になる。
「あのとき、こうしていれば・・・」という、いわば仮定法過去のような感情が起こる。

公園事務所の助言で、BGMを流すことになり、モーツアルトの「小夜曲」を選んだ(あまりモーツアルトが好きではないが、これはBGMには適していた)。

「またご利用ください」と公園のセンター長さんに温かい言葉をいただいた。
「次回は水墨画を主にして作品を集めますので、2,3年後、またどうぞ宜しくお願いします」と答えた。

水墨画の四君子(蘭、竹、梅、菊)を描き、隅に小さく讃(漢詩)を添える。
次回の個展を想うと、毎週、水墨画を習いに行くのがまた楽しみになってきた。
(7−25−2020)


つんどく家の開き直り 「明治百年の歴史」

 コロナ感染防止のための外出自粛から、蔵書の整理を始めた。わが蔵書の流れは次の通りだ。

2階の書斎の「未読の棚」から
2階の書斎の「既読の棚」へ
2階の客間、兼書道室の棚へ
1階の書庫へ
トランクルーム(車で15分)へ
そして、多分もう再読しないものは
品川のコンテナ倉庫(車で1時間)へ

 古いボクシング雑誌を整理し、年代の見出しを付けなおした。
一番古いのは大正15年の「拳闘界」で、これまでどれだけ多くののボクシング雑誌が出ては消えていったかを、「ボクシングビート」誌の「珍談奇談」のコラムに書いた(7月15日発売の号)。

 整理の際、雑誌1冊ごとに独立したカードにキーワードを書いた。これを繰れば、どの雑誌のどの号にその記事が載っているかが分かる。

 私が興味を持つ歴史的区分は、昭和22年から30年だ。戦後、団塊の世代として生まれ、ものごころつくまでの頃だ。

 確か、神戸の街にはまだ進駐軍の米兵が闊歩しており、人々は貧しく、米国人を見るとき、敗戦国民の卑屈さのようなものがあった。
まだ子供だから、その辺の印象は明瞭ではないのだが、いま想い出すと巷にはちょっと異様な雰囲気があった。
それが想い出の中の「戦後」だ。

 本の整理の途中、「朝日クロニクル 20世紀」第4巻、「日米開戦と破局」という写真集をめくり、通読した。
そこで思い出したのが、数年前、古書店で求めた「明治百年の歴史」(講談社 1968年刊)だ。

 根がつんどく屋だから、「面白そうだ。いつか読もう」と買って未読の棚に収めている本がかなりある。
そのなかのひとつが「明治百年の歴史」で、箱の中は2分冊になっている。

第1分冊 明治編
第2分冊 大正・昭和編
で、各350頁ほどあり、写真満載だ。

勝海舟、木戸孝允、山縣有朋、福沢諭吉、大隈重信などの写真があり、日清、日露戦争の戦場での写真もかなり載っている。

 頁を繰ってきて、1946年の東京裁判の頁に来たら、古い新聞が挟み込まれていた。朝日新聞、同年11月13日の号で、裁判の判決(絞首刑、終身禁固など)が1面に掲載されていた。

 多分、前の所有者が新聞を挟んでおいたのだろうが、遺族はこんな貴重な歴史的資料に気づかず古書店に引き取ってもらったのだろう。
それを今、私が読んでいる。

その古書の中の新聞に出遭ったのも、何かの縁だろう。
(7−14−2020)


つんどく家の開き直り 「工学における数学的方法」

2週間に1度、大学時代の工学部機械科同窓生でオンライン飲み会をしている。参加者は5名程度だが、話していると若い頃を思い出して楽しい。

私がこの前、提案した。
「ただ喋って酒を飲むだけではマンネリになる。どうだろう、ローテーションで誰かMCを決めて何かのテーマで話し、それについて質疑応答をするというのは。言い出しっぺだから、最初は私が今回の新型コロナウイルス感染の第2波、第3波の統計的可能性について話したい」と。

この提案は受け入れられたが、「20分というのは長すぎる」として10分くらいにしてほしい、と言われた。了解。

感染者数、あるいは死者数は正規分布のようなひとつの山で終わるか、それとも波動のように第2、第3の波が予測されるか。それを100年前のスペイン風邪を例にとり、スピーチをした。オンライン飲み会の前、4頁の資料をメールで送り、気が向いたら読んでおいてほしい、と依頼した。

その際、私の後ろの本棚を見て、「最近、どんな本を読んでいるんだ?」とKが訊いたので、最近読んで面白かった本を5冊ばかり紹介した。

そして、みんなに見せたのが、「工学における数学的方法」だ。みんな学生時代、輪読で読んだ本で、読んだのは英文のコピーだった。「それをAMAZONでアメリカから原本をより寄せた。送料を入れて79ドルだった」というと、場が白けた。みんな学生時代の授業を思い出したくないのかな。

コロナ自粛の間、理科系の本、特に統計にかかわる本を整理して本棚にまとめた。

統計でウソをつく法(ブルーバックス)
偶然の統計学(早川書房)
勝負の統計学(ブルーバックス)
など。

将来、隠居生活に入ったら、書道と水墨画だけでなく、理科系の本(昔習った教科書)を読み返すのも悪くない。

社会人が専門外なのに数学の本を読むという例を想い出した。司馬遼太郎の「ひとびとの跫音(あしおと)」の主人公、正岡忠三郎が病床に臥し、見舞いに来た奥さんに数学の本を買ってくるよう頼む。彼女は上下巻のうち、上だけを届けに来て、忠三郎を立腹させる。

なぜ上下とも買ってこないのか、と。そこで、奥方は謝るのだが、その理由が分かるような気がする。理系の本は購買者が限定されるので元を取るため値段が高い。上を読み終わってから下をまた買えばいい、と彼女は合理的に考えたのだろう。だが、忠三郎は俺の知的向上心、読書欲をバカにするのか、と怒ったわけだ。

司馬遼太郎の本の中で、この「ひとびとの跫音」がいちばん好きだ。「竜馬が行く」や「坂の上の雲」を再読したいとは思わないが、「ひとびとの跫音」はもう3度読んでいる。忠三郎は正岡子規の家に養子に行くのだが、養母にあたる子規の妹、律との確執がよく描かれている。

病床の子規に尽くしたあと、律は学校に行き直し、のちに大学の家政科の先生になる。律の頑固さは子規に通じるものがあり、この本の中に子規は登場しないのだが、その影は投げかけられている。

正岡子規が好きで、その伝記はかなり読んだ。いつかひとつの棚にまとめよう。
(6−29−2020)


攻防同態@八王子中屋ジム

中屋会長から、私が書いた
「攻防同態」の額を
ジムに掲げた写真が来た。

わが拙作がこのような形で
展示されるのは喜びである。
(6−20−2020)