ジョー小泉のひとりごと

丸山先生ご夫妻への色紙

岡山大学ボクシング部監督、丸山圭介先生とは懇意に
させていただいているが、ご夫妻のエメラルド婚(55年)を
祝う色紙を依頼され、拙い作品だがそれを書き
先生にお送りした。
現物はご夫妻のところにある。


祭日は大きな紙に習字をしよう

先日、家内の親友の御母堂がもう趣味の書道をやめるので
紙を贈呈したい、という申し出があり、家内と一緒に
譲り受けに行った。

非常にいい紙(全紙といって70cm×135cmの大きな紙)を
たくさん頂戴した。

今日は折角の休日なので、
全紙を半分に切った「半切」に
顔真卿の「祭姪文稿」を書いた。

こんな字をこういう風に書きたいというイメージは
あるが、それができない。素人の悲しさだ。
その悲しさがあるからアマチュアで、
プロにはある重圧がない・・・。

アマチュアの域を逸脱しないようにしよう。
所詮、趣味だから・・・。
(8−11−2016)


ウォーキング講座

先日、区の体育館のウォーキング講座を受けに行った。

1日おきの水泳の帰り、パンフレットを見て申し込んだ。
運動ぎらいの家内もウォーキングなら行くといって付いてきた。

参加者は老若男女20名。

日曜の午後5:45から7:30まで。
最初、体育館の中で注意すべきポイントを説明され、
その通り歩いてみると俄然、歩幅が広がる。

例えば、両手を逆に組み頭の上にあげ、胸を張り気味に歩く。
歩幅が楽に広がる。

肩甲骨を意識して、上半身と連動する歩き方・・・。
股関節を広げる予備運動・・・。

7時前、グランドに出てみんなと一緒に歩く。
1周すると、家内は疲れた、帰りたい、と言い出した。

まあ、いいか、コツは大体わかったし・・・。

このように、市民講座やレクチャーをときに聴きに行く。

武道家、甲野善紀氏の実技レクチャーはよかった。
あれは寝たきり老人介護の援けになる。

加藤周一の生き方とかいう、カルチャーセンターの講演に
行ったとき、中休みがあり、家内は「難しすぎて分からない。
帰りたい」と言い出し、「同感。私も分からない。帰ろうか」と
前半だけで中座した。

ウォーキングは実はもう数周したかったが・・・。
(8−10−2016)


睡眠は百薬の長

「ジョーさん、なぜそんなに元気なの?」とよく言われる。

いろいろコツがあるが、その第一は睡眠だ。

毎日、8時間睡眠をとり、2時間運動し、規則正しい食生活をするように努めているが、最も大事にしているのが睡眠だ。

1週、8時間×7日=56時間
プラス4時間以上(昼寝)で
週に60時間以上寝るようにしている。

なぜ?
現代生活では眼精疲労がたまるからだ。
眼の疲れを取り除くため、余分に睡眠をとる。

疲れたら、早めに寝て、翌日まで9時間は眠る。
そうして疲れをとる。
よりよいコンディションで明日を迎える。

睡眠は百薬の長。
(8−4−2016)


ツイッターの なりすまし やめてください

私はツイッターを使いませんので
ジョー小泉の名による
ツイッターはなりすましです。

今日、後楽園ホールで某ジムのマネジゃーから
指摘を受け、そのツイッターのコメントを見ましたが、
それは偽物です。

どうぞやめてください。
これは警告です。
(7−28−2016)


いわんや・・・おや

中国を離れる日、北京発は12:50。

起床7時。
ホテル出発予定、9時半。
空港着予定、10時半前。
それでも2時間以上ある。

泳ぐか泳ぐまいか?

いや、泳ごう。
こんなあわただしい帰国の日でも運動する。

だから、普通の日にはもっと運動する余裕、時間がある。

従って、今日泳ぐと、きっと普段泳ぐ習慣、強化になるだろう。

漢文の構文にあった。
「況(いわん)や・・・おや」
(例: 善人なおもて往生とぐ、いわんや悪人おや)

中国出発の日も泳いだ。
いわんや日本における日常においておや。

ノルマ、習慣を消化することを苦痛でなく楽しみと感じなくてはいけない。
書道の練習もそうだ。

いわんや・・・おや。
(7−19−2016)


鮮于枢を求めて

中国の元の時代の書道家、鮮于枢(せん うすう)の字が好きになったが、
日本には良い拓本がなく、この前の中国出張の際、それを探し当てた。

鮮于枢は力強くて繊細だ。

どうしたら鮮于枢のような字が書けるのだろう。
(7−12−2016)


くずし字と小楷

ふとぼんやりしていて、はっと気がつくと、「どうして今ここに自分がいるのだろう」と疑問を持つことがある。北京の印書作りの店で注文をして、それが出来あがるまで店の中の筆や硯を見回り、それに飽きると椅子に座りぼんやり外を眺めていた。

 どうしてこの中国の書道店にいるのだろう。一体、ここで何をしているのだろう。自分の人生はこんなところで時を浪費していていいのだろうか。かといって、いま何をすべきなのか、それがまたはっきりしない。

 今後、どんな字を書く習練をすればいいのだろう。他にもすべきことがあるのに――限られた人生の時間をどの程度、書道にさけるのだろう。

 書道家はくずし字を書く。大きな条幅にくずした字を書いて、その技量を披露する。字をくずして書くと“達筆”に見える。つまり、読めないほどくずした字は、分からないから達意の筆跡に感じられる――普通の人には。

 私はもう書道家にはなれない。それほど自分を鍛え上げる時間がない。高校を卒業するとき、書道の老先生が言った。「君は書道を続けた方がいいよ。言ってもやらないのだろうが――」と。

 その通り、40年間、書道など見向きもしなかった。人並みの字は書いていたし、これ以上、上手く書こうという意欲も時間もなかった。若い頃はしたいことが一杯あった。ボクシング狂だから、もっとボクシングをフィルムを見、もっとボクシングの本を読みたかった。もっといい英語のレポートを書けるよう自ら鍛えねばならないかった。

 それが今こんなに書道にはまる――ただ一時的かもしれないが――とは、我ながらおかしい。英語やスペイン語ばかり使う生活を続けているので、多分、その反動としての東洋回帰なのだろう。

 私は書道展に出品するのとは逆の方向へ行く。「小楷」という分野がある。文字通り、小さい字で書く楷書だ。もちろん、くずし字も練習を続けるが、小楷の方向に行く。

 その目的は、
(1) 日記
(2) 読書ノート
(3) 手紙
をよりきれいに書くことだ。
 その3つがわが作品ということにしよう――さしあたり。
 さあ、今日も書こう。

(注)高校時代の同窓で、書道が私より上手いのが2人いた。
 一人は楠といって、理科系なのに芸大の書道学科へ行った。それほど上手かった。きっと立派な書道家になっているだろう。

 もう一人は坂本といって、書道部に属し、卒業後も書道を続け、阪大を出たあと大学教授になり、書道の先生もしていると聞いた。
 あなたがたにはとても及ばないが、自分なりに毎日こつこつ精進して自分の好きな字を書きたい。
(7−3−2016)


誰がために書道をする?

中国の北京で印章を作り、筆、墨、紙を求めている。
何のために書道をするのだろう。

この中国でも王羲之の「集字聖教序」を臨書している。

本を読む。
その「読書ノート」を筆で書く。
自分なりに丁寧な字で要点を書き残す。

読書ノート、それこそが自分の書道作品だ、と定義したら・・・
きっと張り合いが出る。

10年後もっとずっといい字を書いているはずだから。
20年後さらにもっと・・・。
(6−23−2016@北京)


また中国出張中

6月21日から25日(帰国)まで日本不在です。
北京におけるWBA理事会にオブザーバー参加し
24日のWBAタイトルマッチ興行を観戦するためです。
もちろん、書道街にも行きますが・・・。