ジョー小泉のひとりごと

サリエリ

 歳をとってからの習いごとは人を狂わすものがある。僕の場合、書道がそれだ。
 別にいまさら展覧会で賞を取ったり、書道塾の先生になろうとかいう野心などない。ただ墨を磨り字を書いていれば楽しい。だから暇さえあれば半紙に筆で字を書いていると、時を忘れる。

 「誰の字が好きだ? 誰の作品を手本にして書いているのだ?」ときみは尋ねるだろう。
 もちろん、王羲之、顔真卿を筆頭に倣うべき原型はあるのだが、そんな書聖とは別に自分の嗜好に合う書家を見つけた。

その書蹟を求めに中国まで行ったことがある。日本でその書家Sの本を探し求めたが、数がとても少ない。
なぜか? その訳をはなそう。

 1279年、蒙古は南宋を滅ぼし、新政権を打立て、年号を元に改めた。その頃、南宋には二人の書法(中国では書道をそう呼ぶ)の英才がいた。

 ひとりは先ほどいったSで元に移行したとき二十八歳、いまひとりはCという弟弟子で二歳下だった。

 Cは有能な管理で蒙古人に乞われ、元の政権に仕(つか)えた。一方、兄弟子のSは地方の役人を務めたあと早く隠居し、杭州は西湖のほとりで悠々自適、文人墨客の生活をおくった。

 Cは世祖、フビライハーン(忽必烈汗)に重用され、大都(いまの北京)で兵部郎中(文部大臣のような地位か)に任ぜられた。Sより二十年長生きしたCは元の五代の王朝に仕え、栄達をきわめ長寿を全(まっと)うした。

 以後、八百年を経て、Cは書聖王羲之を復興させた能筆(書の達人)として漢字文化圏で高く評価され、その書蹟は必修テキストとなっている。

 二人が書の研鑽を積んでいた頃のはなしだ。
 Cは兄弟子Sの自由奔放な書触にとても追随できぬ自分を覚り、こう言った。
 「Sと席を並べて草書を学び、極力迫ろうとしたが及ばなかった」と。

 Cは兄弟子に乞うた。
 「貴兄の書一点と自分の書三点を交換してくれませんか」と。
 Cの書は平明で庶民に人気があり、一方Sの書は高尚で難解な面があった。Sとしては、Cの書を人に譲り酒代に替える効があるため申し出を受けた。

 Cは兄弟子の書を持ち帰っては竈(かまど)で焼いた。
――Sの書が後世に残れば、自分の名がかすむ・・・。
 何というーー。

 放埓な生活を送った天才肌のSは五十歳を前にして世を去ったーー書家というのは墨の香に薬効があるのか長寿が多いのが常だが。

 葬儀に連なったCは兄弟子の逝去に複雑な涙を落とした。CはSの書の収集家であり、かつひそかに天才の書を燃やし続けてきた。その罪悪感による涙かーー。

 自分より天分に恵まれ技量のすぐれた兄弟子にもうこれ以上、劣等感を抱かなくてもよいという安堵による涙かもしれない。
 Cは墓前で亡きSに誓った。
――日々精進し、いつかきっと貴兄を抜いてみせる。

 Cは蒙古人の前では面従腹背に徹し、余暇を三絶(書、画、詩)を磨くことにささげた。書法については日に一万字を書くことを自らに課し、それを遂行した。水墨画については特に馬の絵が高く評価された。

 北京に琉璃廠という有名な書道店街がある。その真ん中あたりに中国書店という大きな書肆がある。拙作に捺す雅印を注文し、それが出来るまでそこで書をめくりながら時間をつぶす。

 同書店が出している「歴代名家碑帖経典」と題した立派な印刷の書蹟集がある。その中でCは王羲之の再来として七冊もその遺墨が収められている。この中にSの巻はない。

 その代わり、同じ中国書店の編纂で一人一冊ずつの書蹟集が出ており、ここにはSの巻がある。それこそ僕が中国まで来て求めたものだった。

 芸術の生命は長い。何百年もの時を経て、僕という日本の書道愛好家がわざわざ海を渡り、その書蹟を探しに訪れたのだから。僕の中では、SはCをはるかに凌駕する。

(注)
Cのモデルは趙子昂であり、Sのそれは鮮于枢である。この逸話の源は「新元史」に載っているそうだ。趙は王羲之を復古させたとして高く評価されており、漢字文化圏では青少年の教科書になっているほど素人が見ても「巧い」と分かる。

一方、鮮宇(この二字が姓である)は日本を啓蒙した清の時代の高名な書家、楊守敬から「老頸(ろうけい 老練な強さ)」と評された。いわば玄人好みの字であった。趙が言ったという。「当代随一の能筆、鮮于枢が逝ってからだ、自分が能筆と呼ばれだしたのは」と。
たとえ私ひとりであろうと、その真価を認める熱烈な崇拝者がいればいいではないか。

「中国書人名鑑」(二玄社)と「書家101」(新書館)を参考にさせていただいた。ここに謝意を表する。
(4−17−2021)


追悼 高島俊男

 3月はわが誕生月なので、自分で自分にバースデイプレゼントを買った。いわば自分自身への激励賞である。

それは専ら本で、以下の通りだ。
1. 鮮于枢杜甫詩(中国の高校書法教科書、中国語の輸入書)
2. 書の旅55 中国の碑刻・名跡・博物館(天来書院)
3. 文房具 美の壺(NHK出版)
4. 0.38ミリ ボールペン(黒、青、赤)ユニボールワン 極細だが濃い

 中国の元の書家、鮮于枢(せんうすう)の字が非常に好きだ。男らしく、力強くて形がよく、流れるような連綿が実にいい。その字を見るため、中国出張の際、足をのばして上海美術館を訪れたほどだ。

 ずっと鮮が姓で于枢が名と信じて疑わなかった。ところが、高島俊男が「せがれの凋落(お言葉ですが 3)」の中でこう書いている。

 森鴎外が「寒山拾得」で、閭丘胤(りょきゅういん)の「閭丘」が複姓であることを知らず、「閭は」「閭は」と連発して恥をかいたのは有名な話だ。

 中国人の3字の名は、すべて1字(姓)プラス2字(名)と信じて疑ったことがなく、まさに目からうろこが落ちる感がした。

 調べると、「鮮于」という姓が中国、韓国(朝鮮)にあり、「枢」が名だった。

 高島俊男の本は結構読んでいて、それは書道をし、あるいは漢文、漢詩を読むときの常識を磨くためだった。

 新聞の片隅に高島俊男の訃報が小さく掲載されていた。一時期、高名な週刊誌に連載コラムを持ち、まとまると本になり、「お言葉ですが・・・」シリーズは何冊にもなった。

 その著書の中では、「ネアカ李白とネクラ杜甫」が面白い。ユーモアのある漢文の教師の講釈を聞いているかのようだ。

 今日は仕事を終えてから、過去に読んだ高島俊男の本10冊に付箋をつけたり、頁の角を折ったところを読み返していた。このように興味深い本をもっと書き残してほしかった。
 冥福を祈る。
(4−7−2021)


拙者の拙作

書道の全紙(ぜんし)は横約70センチ、縦約135センチ。
その縦割り半分が半切(はんせつ)。
そのまた4分の1、すなわち全紙の8分の1が八つ切り。

この八つ切りのサイズが書きやすくて好きだ。
半紙(横約24センチ、縦約33センチ)だと、横の字に遠慮して書かねばならない場合がある。
ところが、八つ切りなら縦1行に横の行への遠慮なく書ける。

八つ切り3枚を書き、表装ができた。

右端の「運動は運をうごかす」は
岡山大学ボクシング部丸山圭介監督のダイヤモンド婚のお祝いに贈呈する。

ほぼ毎日、墨を磨って筆で何かを書く。
その残り墨でまた何かを書く。

いわば落書きなのだが、それがこの3つの作品である。
拙者の拙作。
(4−4−2021)


モーツアルト嫌い

 皇居勤めの近衛兵の候補になると、決まる三年ほど前から調査が入ったという。本人のみならず親族全員まで、素行、思想調査が及んだそうだ。

 そこで全く問題がなければ、二十歳の徴兵検査合格のあと正式決定となる。
 わが町や村から近衛兵が出るのは郷土の誉(ほま)れであり、合格者は夢と誇りを持って上京した。選ばれし若者たちは大都会、東京で成長し、エリート訓練を受ける。

 父のクラシック音楽愛好癖はそんな源を持っており、特にモーツアルトが好きだった。

 昔は土曜が半ドンで、まる一日休めるのは日曜日だけだった。その休日は、わが家では朝から夕方までモーツアルトのレコードが響いていた。
 父は目をつぶりその調べに聴き惚れていたり、本を読みながらBGMとして聞いていることもあった。

 子供の私は最初は強制的に一緒に聞かされ、それが実に苦痛だった。そのうち、家でモーツアルトが鳴り響いているのに慣れてきたきたが、試験勉強のときなど耳障りだった。

 確かにモーツァルトの曲は美しいのだろう。その流麗な調べは大多数の聴き手の心を和ませるのかもしれない。
 しかし、静寂は音楽にまさる。難解な本を読んでいると、いかなる音楽も騒音にしか聞こえないことが多々あった。

 三十数年前、映画「アマデウス」がヒットし、モーツァルト・ブームになった。いつも、どこかで鳴っているーードン・ジョバンニが、フィガロの結婚が、魔笛が、アイネクライネナハトムジークが。

 あの頃、本当にモーツアルトが嫌いになった。別にクラシック自体が嫌いなのではなく、モーツアルトがかかっていれば文化的で情操ゆたかというお仕着せの風潮を嫌悪したのだ。

 今でもモーツアルトが好きではない。異端者と見られるかもしれないが、好みを押し付けられるのは御免だ。

 ――古稀を越えた今も、ほぼ毎日、区のプールで泳いでいる。泳いだ帰り、体育館の地下から階段を登ってあがる。そのとき、館内にクラシック音楽が響いている。

 ある日、聞いたことのあるメロディが鳴っていた。モーツアルトだ。

 その調べは耳から身体の中に侵入してきた。最初の拒絶反応が押し流され、疲れた筋肉をもみほぐしだした。

 「お前なんか大嫌いだよ」と意思表示する前に、麻薬をかがされたようにノックアウトされていた。

 体育館の玄関を出て、まだ聞こえるモーツアルトが徐々に小さく、そして聞こえなくなるまで、耳をふさぐようにして早足で歩を進めた。――まるで逃亡者のように。

 Give me silence, not Mozart.
(3−29−2021)


速報メールサービス会員募集

4月から1年間、12ヵ月の継続募集ですが、
年間では、3,000円になります。(2019年までは3,600円でした)
非常におもしろいです!

<来期の速報メールサービス会員募集>
2021年4月1日〜2022年3月末(1年間)

携帯、スマホまたはパソコンの場合、12ヵ月間 3000円(毎月250円)。
(携帯、スマホおよびパソコン両方の場合でも一律、年間3,000円にします)

3月末までに継続手続きをお願いします。

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件名に「速報メール継続」と明記して

(1)お名前、
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必ずメールにて、
継続申込みをしてください。
(このメールに返信でOKです)


新規の方だけでなく、ご継続の方も再度メールにて
『メールアドレス確認』をお願いします。

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どうぞよろしく。
編集長


寺田寅彦全集のはなし

「新型コロナ7つの謎」(宮坂昌之著 講談社ブルーバックス)を読んだ。
コンパクトによくまとめられていて、大いに参考になった。ただし、初出の技術用語を太字体にするとか、もう少し工夫をすれば、さらに読みやすいガイドブックになっただろう。

 宮坂氏は巻頭言でこう書いている。
 随筆家の寺田寅彦は、「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなか難しい」と。

 実は、私は寺田寅彦の愛読者で、これを発端としてあることを想い出した。

 父は私が33歳のとき、59歳で逝った。当時でも若死にといえる。大腸癌で神戸市内の病院に入院後、数ヵ月で亡くなった。私は東京で会社勤めをしていた。

 サラリーマンになって最初のボーナスで、寺田寅彦全集(岩波文庫版)を求め、それを父に言った。理科系で本を読む人間は大概、寅彦が好きだ。エンジニアの父は文庫本の寅彦選集はよく読んでいたが、全集を買った私をちょっとうらやんだ。忙しくて全集までは読めないからだ。

 入院したとき、「あの寅彦全集まだ持っているか。できればしばらく貸してほしい」と頼まれ、それを送った。緑色のケースに入っていて、小ぶりの本だった。

 寅彦全集はそのまま私の手元に戻ってきたのは、父が病院で世を去ったあとだ。以後、約40年経つが、どうもそれが読めず書庫に収めたままだ。亡父のことを想い出し、全集の箱を開けるのをためらいがちだ。

 一昨年、吉祥寺の古書店の店先に、大きい頁の版の寅彦全集が売りに出ていた。古本というが、新品である。5,000円の値段がついていて、主人に訊いた。

 「これは1冊5,000円ですか?」
 「いいえ、全集全部で5,000円です」
 「とても廉(やす)いですね」
 「もう漱石、鴎外、寅彦の全集なんて売れないんで、需要と供給の関係ですね」

 先の所有者の手がついていない本当の新本だ。多分、書店の倒産や店じまいで、こんな新刊書が古書店に流れることになったのだろう。岩波書店の本は返品がきかないというから。

 以後、新しい寅彦全集が一棚を占め、寅彦にかかわる伝記や追想集をその棚に一緒に収める。いわば寅彦ライブラリーだ。

 以前、気の向いたとき、寅彦の随筆を読んできたが、今回のコロナ禍にあって再読している。読むたびに何か発見があるのは、寅彦が大学の物理学の先生であり、かつ漱石の弟子、子規や虚子、露伴の友人であるため、文理の融合がほどよいためだろう。

 すぐれた随筆が歴史をこえて生き残る実例を寅彦に見る思いがする。今回のコロナ禍にあって、私自身失ったものはあるのだが、ただひとつ、寅彦全集を精読しはじめたのは、わが人生にとり、何より意味のあることだと思っている。

 わが「寅さん」は不滅である。
(3−14−2021)


日書展 入選

書道(漢字)、水墨画に加えて、数年前よりかな書道を習っている。
新年4日から10日開催の日書展(かなの部)に入選した。
コロナ禍にあって友人、知人への通知を控え、9日に家内と東京都美術館へ観に行った。
陽光のもと、上野公園は人が少なく閑散としていた。

佳作入賞で、この件についてわが師とこんな問答があった。
「先生、今年は駄目でした。ただの佳作です」
「あなた何を言ってるんですか。去年は褒状でしょう。佳作は褒状より上ですよ」
「えっ、そうですか。私は佳作より褒状の方が上かと思っていました」
「日書展の佳作は、なかなか入選できないんですからね」

調べると、大臣賞や特賞、特別賞を別にすれば、優作、つぎに佳作、その下が褒状(元々はお褒めの言葉の意味)が来るそうだ。

ここで、「褒状」という言葉に引っ掛かり、帰宅後、「北大路魯山人」(白崎秀雄著 文藝春秋社刊 昭和46年)の該当頁を開いた。

この単行本の31頁。
絵画の一等賞金碑受賞者、二等賞銀碑以下の名前をあげ、次いで書の受賞者の指名を並べ、その初めに、“褒状”一等として五名が列記されている。その二番目に、
隷書千字文 東京 福田房次郎(魯山人の本名)
と、記している。(後略)

よく魯山人の伝記にこの日本美術展覧会に21歳で大賞を取ったとか書いているが、実際は最上位の大賞ではなく「褒状一等二位」だったようだ。

魯山人は20代前半、町書家、岡本可亭の内弟子となる。
町書家とは純粋な書家(日下部鳴鶴や小野鵞堂など)とは違い、一般印刷の元となる版下も書く書家である。ただし、可亭は顔真卿を敬する優れた書家だったという。

岡本可亭の長男が岡本一平、さらに三女があり、その末娘が嫁いだのが、一平の東京美術学校(現東京芸大)の同級、池部鈞(ひとし)であり、その長男が俳優になった池部良。
一平の妻が岡本かの子で、その長男が岡本太郎だ。

別に魯山人に特別興味があるわけでなく、「褒状」というものの展覧会における位置に触れたかっただけだ。

漢字、かな、水墨画と3名の師につくことで確かに相乗効果はある。
しかし、いまひとつ思うように上達しないのはエネルギー、時間を3つに分散しているせいだろうか。
しかし、さしあたりこの相乗路線で行くしかない。自分でそう決めたのだから。
(2−15−2021)


母の帰省

 わが母は香川県の高松出身で今は神戸に住んでいるが、三人姉妹だ。上から九十九、九十六、九十三歳と三つ違いで、母は次女だ。他の二人は高松在住である。

 長女は老齢のため養護施設に入っている。その娘から母へ何度か電話があったという。
 「最近、母が弱ってきて、叔母さんに会いたい、会いたいとしょっちゅう言うんです。もしお願いできましたら、交通費から何からすべて持たせていただきますので、一度顔を見せていただけませんでしょうか」

 姪からのたっての願いだから、母は高松行きを決めた。近くに住むわが妹は、「一緒に付いて行っても・・・」と母に声をかけたところ、「ひとりで行けるから」と母は断ったそうだ。
 神戸の三宮駅から高松行きの直行バスがあり、妹は車で駅まで送った。

 久しぶりに三人姉妹が介護院で集い、そのあと母はひとり暮らしの三女の家に泊まってから神戸に帰ってきた。

 母と妹の電話連絡でちょっと喰い違いが生じた。高松からの直行バスに乗る前、母は妹に言ったそうだ。
 「三宮からは自分で須磨まで帰ることができるから、迎えに来なくていい」と。
 妹は、「そんなことを言わず、こちらは迎えに行くから」と言って電話を切った。

 「何が起こったと思う」と妹は私に訊く。
 バスは途中渋滞がなく、予定より早く三宮駅に着いたそうだ。そこで母はタクシーに乗り、須磨へ帰ってしまった。

 妹が車で三宮に着き、バスがもうとっくに到着したと知った。もしやと思い、家に電話すると、「さっき着いてこれからお茶を飲むところ」と母は応えた。

 いま三宮にいるというと、「迎えに来なくていい、と言ったのにーー」と主張する。
 母はまだ元気だが、最近かなり耳が遠くなった。

 「それでも迎えに行く、と言ったのが聞こえてなかったみたい」と、妹はため息をついた。

 ――数日後、私は母に電話した。
 「伯母さん、どうだった」
 「動くのは車椅子だけど、私の顔を見たら、元気に話をしていた」

 母は今回が最後とか悲観的なことを一切いわず、また高松へ帰る気でいるらしい。久しぶりに三人姉妹が揃い、昔話をしたのが余程楽しかったようだ。
(2−8−2021)


昔、こんなボクシングの本がありました  IN THIS CORNER

「IN THIS CORNER」
はピーター・ヘラーという当時、若い、テレビのディレクターで
超ボクシングマニアが42名のチャンピオンたちを訪問した
インタビュー記をつづったもので
各自の回顧録の形を取ります(質疑応答でなく)。

これは非常に面白く、評判の高い本です。

・・・以上のように
Boxing Fan Club(BFC)では
本の概要
買い方
初版、再版の違いなど
を解説しています。
(2−1−2021)


行雲流水

書道で揮毫(きごう)をするとき
「行雲流水」と書くことが多い。

行雲流水
とは、雲が行くごとく、水が流れるごとく、
流れにまかせ物事にこだわらぬことをいう。
つまり、臨機応変、物に応じ、事に従って行動すること。

「行雲流水」の印を大小、二種類つくり、水墨画あるいは書の拙作の余白に捺す。

呑気に生きよう、という自戒でもある。
(1−30−2021)