ジョー小泉のひとりごと 2010年1〜2月


ボールペン、返します

2月8日、清水智信vs.小林タカヤス戦のあと、後楽園ホールで私にサインを求めた人に。

サインしたあなたのボールペンを返しますので、次回、声をかけてください。

手癖が悪いわけではないが、昔からこんなことがあった。子供のころ、数学が結構得意で同級生が教えてもらいに来ることがあった。紙に書いて教えたあと、書き込んだ紙だけを返して鉛筆やボールペンが手元に残ることがあった。あとで彼らは取り返しに来たのだが。エンジニアになったても、同じようなことがあり、いつの間にかボールペンや鉛筆がたまることになった。

ホールでサインしたのはゼブラのSARASAのブルーブラックでまだ新しい。申し訳ない。私はこのボールペンを黒、ブルーブラック、青、赤と4種類使っている。文房具愛好家だから、もちろん他のボールペン、水性ペン、マジック細書きなども使うのだが、ホールではいつも使っている感触があるので、サインした紙(名刺型の小さな紙)だけ返してしまった。

この次会ったとき、お詫びに新品を返そうと思い、事務所の近くの文具店に出た。仕事の合間、パソコンばかり打っている目の疲れをとるためもあった。ケーキ屋の前で、ちょうど出てきた若者に声をかけられた。

元4回戦のボクサーだという。「そこの文具店へ行ったあと、寄らせてもらうから」といって一旦別れた。返却用のボールペンを求め、ケーキ屋に入った。事務所の織田君と家内のため、2つのケースに分けてもらった。

そこの初老の主人と話した。そばに元ボクサーの彼(前垂れをかけたケーキ職人)がいた。
「元ボクサーは真面目でしょう」
「ええ、真面目で、よくがんばってくれます」
それを聞いて、その日は非常にハッピーだった。彼が作ったというケーキは非常に美味だった。

私はこのような元ボクサーが引退後、社会人として真面目に生きているのが好きだ。ボクシングをしたことが、第2の人生で頑張る心の元になれば、それは嬉しい。

写真のボールペンで先に赤いカバーがついているのが新品(返却用)、ついていないのがあなたがサインを求めたものです。どうぞ遠慮なく声をかけてください。いつもバッグにこの返却用を入れていますから。
(2−27−2010)


会長さんたちのベスト・ファイト

メール配信のミニコミ誌「ボクシング・ファン」2月前半号(2月から月2回+号外を出す)に「会長さんたちのベスト・ファイト」と題したコラム2頁を書いた。

今回、取り上げたのは
三迫仁志会長
木村七郎会長
米倉健司会長
高橋美徳会長
の4名。

今後もこの企画で他の会長さんたちの現役時代のベスト・ファイトを取り上げるつもりだ。

もう2月前半号は作り終え、2月10日に送信したが、まだ机の周囲には古いボクシング雑誌が積まれている。なぜ片付けないのか?

「もうそろそろ日本ボクシング史を英文で書くライフワークを始めろよ、習字や漢文ばかりに耽溺せず」というプレッシャーを自分にかけるためだ。

書き始めると、自分の性格を知っているから、他のことを犠牲にしてまでボクシング史執筆に集中する(のめり込む)だろう。書き始めるには契機が必要で、それがいつか考えている。

添付する写真の「拳闘」は昭和9年1月号で同誌の4号目だ。表紙の写真は前年11月26日のピストン堀口、ヤング・トミー戦(結果は8回引き分け)である。

次の写真は「拳闘ガゼット」誌の昭和17年3月上旬号だ。これも表紙はピストン堀口である。

今回、三迫会長の現役時代、特にダニー・キッド戦を振り返るため、古い雑誌を繰り出したが、読んでいないものが出てきて、その頁をめくりだすと止まらなくなった。とてもすべてを1日では読みきれない。盆休みか正月休みに集中して読むか、あるいは毎日何冊か読みくずすか。そこが思案のしどころだ。

昭和32年からボクシングを見始め、34年以降はかなり克明に記憶している。というのは私は子供の頃、絵描き志望で一度見たものが残像としてのこる性癖がある。そのうえ、当時はビデオやDVDなど再生機がなかったから、まばたきでもして見落としたら一生、決定的瞬間を見られないと、テレビの画面を息を殺して見つめていた。記憶のいい少年時代に異常な集中力を発揮してボクシングを見ていたから、ことボクシングに関しては記憶がいいのだろう。他のことは徐々に忘れていく。昔の彼女の顔や声も最近忘れだした(これはジョーク)。

もうそろそろ机の左端、椅子の周囲のフロアに置いているバックナンバーを片付けよう。さもないと、いまの仕事に支障を及ぼす。

いまの仕事とはメール配信のミニコミ誌だ。これがマッチメーキング、テレビ解説に次いで最優先だ。このファイル添付でミニコミ誌を送信する方式が非常に気に入った。月に2回メール送信するうえ、号外(写真つき速報)を出せる。しかも、インターネットのおかげで月に何回送ろうと、送料は無料だ。

去年までリング・ジャパンの会報は会員サービスで、編集長といいながら、自らそれほど多くは書かなかった。しかし、この形式にしてから、俄然書く気が起こりだした。

月刊誌のボクシング・ビートにしろスポーツ報知のコラム(毎週水曜掲載)にしろ、原稿の量に制限がある。ところが、このミニコミ誌ではそのような制限はない。私のコラム「アットランダム〜出たとこ勝負」に何を書こうと自由だし、2頁を3頁にするのも自由だ。古今東西の話題を思いつき次第で選択できる。

1月号の「日本を震撼させた怪物ボクサーたち」もいつか書きたかったテーマだし、「会長さんたちのベスト・ファイト」もそうだ。2月後半号は、ボクシングのレコードについて第1回目を書く予定だ。書くことが楽しい、若い世代のボクシング・ファンに伝えておくべき私の中の過去の記憶、感動、伝聞を書き残すのは意味があることだ、と思う。

2月前半号の表紙は私が思いついた。最近、「リング」誌はマニー・パッキャオばかり表紙に取り上げているのを皮肉る意図もある。

週刊誌の英国「ボクシング・ニュース」にライバル心があるのだが、まず月2回+号外で基礎体力を試してみよう。

このメール配信ミニコミ誌サンプル希望者は、

yu6y-kym@asahi-net.or.jp

まで
「会報サンプル希望」という件名で
お申し込みください。

1月号サンプルをすでに受け取り、2月前半号だけをサンプルとして読みたい人は
「2月前半号希望」という件名で
お申し込みください。
(2−14−2010)


「思考の整理学」への疑問

昨日は失敗した。WOWOWエキサイトマッチでスタッフ全員が使う解説資料は私が作っている。それは「戦力比較表」と呼ばれ、作成に結構手間がかかる。

来週火曜が音入れで、それを日曜までには入れたい。計6試合のうち2試合は終わっていて、残り4試合の戦力比較表に取り掛かったのが夜10時だ。それまではマッチメーキングの仕事をしていた。

3試合分を終え、あと1試合になったのが、ちょうど12時。明日(土曜)に回してもよかったが、土日にはしたいことがある。運動をしたい。本を読みたい。書道をしたい。

そこで無理をした。頭の集中力が切れているのに、残り1試合を終えた。30分程度で出来ると踏んだのが、能率が悪く1時間かかった。終わったのが夜の1時。机上を整理し、事務所を閉め、帰宅したのが2時前。寝たのが3時。私は夜型でなく朝型で、朝の方が調子がいい方だ。だからかなり疲れた。

朝9時ごろ、起こされた。もう少し寝ていたかったのだが。数日前、靴の修理の出前のような若者が来た。以前も来たことがあり、土曜の9時ごろ持ってくる、といったので注文した。そのときは、金曜の夜、そんなに遅くなるとは想像していなかった。もうひと寝入りしたかったが、11時に予約制の床屋へ行くことになっている。キャンセルすると、相手にわるい。そのまま起きていた。

普通、床屋から帰ると気分がすっきりするのだが、寝不足のためか、どうも調子がよくない。今日は体育館に行く気も起こらず、いわんや書道をする気分でもない。

そこで吉祥寺の新刊書店に行った。年末、息子と一緒に本屋に行き、好きな本を買わせた。そのとき、ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を見た。ちょっと興味がわいたが、買わなかった。それを読みたくなった。

駐車場に車をとめ、すぐ隣の古書店をのぞいたのがミスだった。順序が逆だった。書道の本を数冊もとめ、出ようとすると単行本の「論理哲学論考」があった。500円だ。中を見ると、鉛筆で少し書き込みをしている。活字はこちらの方が文庫本より大きい。ただし、翻訳は古い。

新刊書店にその岩波文庫は平積みにしてあった。寝不足で疲れていたのだろう。本を手に取ったとき、それを読みたいという気がまったく失せていた。体調がわるいときには、かたい本を買いに来るものではない。代わりに買ったのが、「読みの整理学」(外山滋比古著 ちくま文庫)と他数冊だ。

それを数時間で読み終わり(途中、昼寝をしたが)、ふと同じ著者のベストセラー「思考の整理学」(やはり、ちくま文庫)についての疑問を思い出した。

「思考の整理学」の62頁だ。引用する。

心理的残像ともいうべき現象があることに気づく。A、B、Cという互いに関係のあることが、ある間隔をおいて起こったとする。(中略)Aの残像がBにかぶさり、Bの残曳がCに及んで、三つの点であったものが、線のようになる。ことばにおける非連続の連続化は、これらの中でも、生理的な残像にもとづく映画に似通う点がもっとも多いように思われた。(引用、了)

問題は64頁以降にある。また引用する。

疑問がある。Xとする。そのときのテーマはCである。
C:X
これだけからはXを解くことはできない。これと同じ関係にあると思われる、
A:B
をさがし出す。両者の相互関係が等しいとすると、
A:B = C:X
となる。
これからXの値を求むることなら中学校で教える、比例である。
AX = BC
X = BC/X
さきの例で言うと、文章の中のことばが切れているのに意味がつながり、動きが感じられるのはなぜか、というのが、
C:X
である。これが映画のフィルムが映画として見られる現象と、本質において同じであると直感したときに、
A:B = C:X
の式が成立し、左辺が残像によるものであるから、
X = BC/A
のXは、文章上の残像作用ということになる。(引用、了)

ここで疑問がわく。
1. A、B、C、Xの定義がよく分からない。定義をあいまいにしたまま、論理を進めるから推論の筋道が分からなくなる。

2. A、B、C、Xを「現象」とすると、そのような現象に数式を適用できるのか。

3. Xが疑問である以上、それが不明確なのに、どうして
A:B = C:X の式を立てられるのだろう?

ためしにやってみよう。
A=日米対立
B=第二次世界大戦
C=敗戦
X=沖縄問題

仮に、原因:結果として A:B = C:X が成り立つとする。
X = BC/A が成り立つか?

現象であてはめると、
(沖縄問題) = (第二次世界大戦)×(敗戦)/(日米対立)
となるのか?

BCすなわちB×Cというのは、現象同士の掛け算だろう。それは一体、何を意味するのか?

現象同士を掛け合わせることに疑問があり、それを現象で割り算することにも疑問がある。

著者がアナロジー(類推)の効果を述べる意図は推察できるが、この現象という加減乗除できないものに数式を当てはめること自体に矛盾があるのではないだろうか?

加減乗除の対象は「数」であり、それは複素数(実数、虚数)が対象である。実数は有理数と無理数の集合であり、有理数は整数と分数の集合である。

数学の対象ではないものに数学を適用すべきではないのではないか?

ここの部分はよく分からなかったが、「グライダー人間」という造語など非常に上手い。アラビアのロレンスは「ミント(造幣局)」という本で兵士を鋳造されたロボットのように評したことがあったが、それを連想させる造語の卓抜さがある。

学生相手に話をするときは、「思考の整理学」を薦める。ついでに「読みの整理学」も薦めよう。これも面白い本だった。
(1−30−2010)


たけし氏との対談

「新潮45」という雑誌がある。そこにビートたけし氏がホストを務めるインタビュー記事がある。毎月12頁ものロング・インタビューだ。タイトルは「達人対談」で相手は科学者が多い。

先月声をかけられたが、12月18日は長谷川選手の世界戦で神戸に出張なので、断らせていただいた。それが1ヵ月延びて、1月20日になった。

同い年だ。たけし氏が1月、私が3月生まれ。「中学のころ、55人で19クラスあった」というと、彼は「60人で15クラスだった」という。あの時代に少年時代を過ごした世代特有のバイタリティを感じた(私にもそれはある)。

約1時間半、終始ボクシングの話をした。彼がよくボクシングを見ていること、それを記憶していることに驚いた。特に最近のWOWOWエキサイトマッチについても詳しい。

辰巳八郎、沢田二郎、海津文雄、権藤正雄から、ジョフレ、メデルの話で盛り上がった。「ボクサー型とファイター型のどちらが好きですか」というと、「ボクサータイプ」と答えた。リカルド・ロペスのようなタイプが好みのようだ。

初対面だが、言葉は丁寧だし(他人行儀もあったのだろうが)、頭の回転が速い。話し方がテレビで見るときと違う。非常に知的だった。ゲストだから持ち上げてくれたのだろうが、いい印象が残る。

サイン入りの著書を1冊頂戴した。「恐竜は虹色だったか たけしの最新科学教室」(新潮社)で、この対談をまとめた本だ。私は大型の色紙に「初心」と筆で書いたものを進呈した。

2月18日発売、「新潮45」3月号にこの対談は掲載される。
(1−25−2010)


安神堂、進藤氏からのご教示

<進藤氏からのメール>

ジョー小泉さま

ご掲載された論語の中の「賢賢易色」の件で、連絡申し上げます。私は品川区で針灸治療院を営んでおります56歳の針灸師です。ブログを読んだのがたまたま19日の朝でした。もうすでに詳しい方々からご指摘があったかと推察しますが、とても興味深いところでしたので、なにはともあれ連絡さしあげようと思いたちました。

早速ですが、加地伸行氏の『論語』(ビギナーズ・クラシックス中国の古典:角川ソフィア文庫:94頁)に、その個所の解釈にはいくつかの異なった説があることが紹介されています。その中で著者である加地先生の解釈がとても興味深い内容でしたので、以下紹介申し上げます。

加地先生の説では「賢賢易色」を「賢を賢として色を易(かろ)んじ」と読み下し、「色」は顔色のことで「賢人を賢人として顔(容姿)などは問題にしない」という意味になっておりました。さらに、次につづく「父母に対する場合」「主君に対する場合」「友人に対する場合」に先がけていますので、たぶんこれは「夫婦についてのありかた」を論じているのだろうと、加地先生は解釈しています。つまり「夫婦はたがいに相手の良いところを見いだしてゆくことが第一であり、容姿などは二の次だ。」と意訳されています。(この解釈はとてもおもしろいと思いました。)

「色」を「色っぽい」という意味ではなく「顔色」と解釈することに私は基本的に賛成です。というのも仕事柄、中国医学の古典をすこしかじったりしていますが、東洋医学の世界観になれたものからみると「色」といえばやはり「顔色」です。例えば顔色をみる診察法である「望診」はもっとも難しく古くから重用されてきました。さらに仏教の世界に転じれば「色即是空」の「色」のように、「色」には「形(物)・形而下」とか「身体」という意味が含まれるので、「顔色」から少し範囲を広げて「容姿」という意味に解釈してもよいのではないかな、とも思います。以上が、私が知りうる情報です。

ところで、実は私は20年前まで新宿富久町にあった三菱重工MCECビルで働いておりました。協力会社の菱和エンジリングの社員でした。その当時、昼休みでしたが近くの公園でシャドーボクシングに励んでいた小泉さんのお姿を拝見したことがありました。小泉さんはたしか品質保証課にいらっしゃったような記憶があります。わたしはそこに11年お世話になって、その後脱サラして東洋医学の世界に身を置いております。そんな不思議なご縁を感じながら、一筆書かせていただきました。

末筆ながら、寒さ厳しい折、くれぐれもお体を大切にしてください。
小泉さんが今後も益々ご活躍されることを祈念いたします。

安神堂針灸院  進藤仁士


<進藤氏への返信>

進藤様
ご教示有難うございました。

「色」が「顔色、容姿」であるなら、伊藤仁斎、荻生徂徠の「賢人に会ったときに緊張して顔色を改める」とする説も意味を持ってきます。それが「識別」につながるかもしれません。

その「色」は相手側(賢人)の顔色か、
あるいは自分の顔色か、
で解釈が分かれるように思います。

申し訳ありませんが、加地氏の説明にもちょっと納得しがたいところがあります。他の訳注書も当たってみたい、と思います。もちろん、加地氏の本も読ませていただきます。

何という奇遇でしょう。私は4階の技術課で特許契約の仕事をしていました。

昼休み、必死でシャドーボクシングをしていたのは自分の体を鍛えるためでなく、夕方ヨネクラジムで中島成雄選手の練習ルーチンに備えるため、トレーナーとして予習をしていたのです。

私は確か75年から85年(28歳から38歳)までMCECに勤めていましたが、ボクシング狂が嵩じて専業になりました。

非常に懐かしい気がします。貴兄から最初にご教示のメールをいただきました。

もしご許可いただければ、貴メールを「ひとりごと」にて紹介させていただいても宜しいでしょうか。もし匿名ならとか、条件があれば、どうぞ御指示ください。

お目にかかることがあるかもしれませんが、取り急ぎメールにて御礼申し上げます。

ジョー小泉

(注)私は当時、その日の夜、選手と一緒に練習することを、昼休み、自分が選手(教えられる側)の立場にたち、シャドーボクシングをしていた。自分で体を動かしてみると、私が夜、教えようと計画していたことに無理、矛盾があることに気づいたり、あるいはもっといい方法(相手に勝つ対策として)があることを発見したことが多々ある。トレーナーが教えられる側を想定して自ら体を動かすのはいい方法だった、といま回顧する。

山本五十六いわく

やってみせ
言ってきかせて
させてみて
褒めてやらねば
人は動かず

<進藤氏からの返信>

早々のメールありがとうございます。少しなりとも参考になったのでしたら幸いでした。
「ひとりごと」への転載はなんら問題はありませんので、ご自由にお使いください。これも何かのご縁かと思っております。私は78年〜89年までMCECでお世話になって、主に9階の土建グループにおりました。84〜85年ごろかと思いますが、菱和エンジニアリングのアメフト部に所属しており、たぶん昼休みに公園で軽いパス練習をしていたときに、小泉さんのトレーニング姿を横目で見ていたように思います。

本題ですが、たしかに加地先生の意訳は異論を挟むところかとも思います。ただ同著には「長い間にいろいろな解釈が生まれてきたわけです。そしてここにまた、古典のおもしろさがあります。」とも書かれておりました。

「色」の解釈が「色っぽい」という意味では、小泉さんが感じる違和感が私にもあります。
ちなみに東洋医学における「色」について少し補足します。
中国医学の聖典である『黄帝内経・素問(こうていだいけい・そもん)』の中に「善く診る者は 色を察して脈を按じて 先ず陰陽を別つ」(善診者 察色按脉 先別陰陽)という有名な文章があります。これを訳すと「診察が巧みな医者は、患者の顔色と脈状を診て、病状が陰に属するものか陽に属するものかをまずは弁別します。」となり、この場合の「色」は「顔色とか顔の色つや」という意味で使われているわけです。

取り急ぎ報告申し上げます。
安神堂針灸院 進藤仁士

<進藤氏への返信>

進藤様
ご返信有難うございます。
一度、品川の方に行ったときお礼に寄らせていただきたいのですが
ご住所と電話をお知らせください。
感謝しています。
ジョー小泉

<進藤氏からの返信>

ジョー小泉さま
ご丁寧なご返信ありがとうございます。

漢文や中国語の専門家でもない私です。お礼などとても恐縮しますので、どうかお気になさらないで下さい。
私は毎日さまざまなひとたちの身体と向き合って身体の声に耳を傾け、鍼とお灸だけで身体を調える仕事をしています。もしも鍼灸が必要なご機会がありましたらどうぞご利用ください。

安神堂針灸院(あんしんどう・はりきゅういん)・進藤仁士
品川区旗の台5−8−7 
п@03−3785−0167


<進藤氏への返信>

進藤様
一度、お目にかかりたく思います。
ありがとうございました。
御礼まで
ジョー小泉

PS 弊社リング・ジャパンの会報1月号を添付いたします。
(1−24−2010)


「論語」についてのある疑問

「論語」の一節がどうも理解できないので、中国文学者、漢文の先生、あるいは中国語の専門家に教示を乞いたい。

三十日、大阪での井岡、国重戦の翌日、帰京する新幹線の中で「論語」を再読していた。正月の書初めにその中の一節を選んで書き、今年一年の処世訓とするためだ。

いままで何度か「論語」を読んできたが、これまで気づかなかった箇所がどうも引っかかる。

<巻第一の学而第一の七> (岩波文庫版;金谷治氏訳注)
子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交、言自有信、雖曰未学、吾必謂之学矣

子夏が曰く、賢を賢として色に易え、父母に事(つか)えて能(よ)く其の力をつくし、君に事(つか)えて能(よ)く其の身を致し、朋友と交わるに言いて信あらば、未だ学ばずと曰(い)うといえども、吾れは必ずこれを学びたりと謂(い)わん

同文庫の現代語訳にはこうである。

子夏がいった、「すぐれた人をすぐれた人として(それを慕うことは)美人を好むようにし、父母に仕えてはよくその力をつくし、君に仕えてはよくその身をささげ、友だちとの交際では話したことばに誠実である、(そうした人物なら、だれかが)まだ学問していないといったところで、私はきっと学問したと評価するだろう」

問題は「賢賢易色」だ。

この中の「色」は、美人であり、色香のことだという。これは中国人の王念孫の説をとったものだ。

他に、伊藤仁斎、荻生徂徠の「賢人に会ったときに緊張して顔色を改める」とする説、あるいは顔師古の「色をあなどり」という説があげられているが、どれも解釈がおかしいように感じる。

帰宅して「論語新釈」(宇野哲人氏訳注;講談社学術文庫)も参照した。
「賢賢易色」は、「賢人を尊び慕うて好色の心に易(か)え」とある。

こう解釈できないだろうか?
「賢人を賢人として識別(認識)でき」と。

「色」に「色分け、識別、認識」という意味はないのだろうか?
ここ学而篇のはじめに、女や好色が出てくることにどうも違和感を覚える。ところが、「賢人を常人と区別して敬う識別能力を持ち」という意味なら、前後のつじつまが合う。

前の節六は、親孝行や忠義を尽くしたうえ、余力があれば学問をせよ、という。
後の節八は、有名な「過失をしたらすぐ改めるのをばかるべきではない」が来る。

ともに孝、弟、仁、忠信などを説く非常に固い内容だ。どうしてここで、賢人を敬う心を自らの好色心より超越させ、という言葉(解釈)が唐突に出てくるのだろう。

「色」を漢和辞典で引いてみた。
「色」自体には色分け、識別という動詞の意味はなく、「色どり」、「女」あるいは「女の美しい顔色」という名詞の意味だ。

では「易」はどうか。
「易色」という言葉はない。
「易」には、あらためる(改易)、うらなう(易断)意味がある。

こう読めないだろうか。
「賢を賢として色を占(うらな)い」と。
それなら、色分け、識別の意味が生まれ、前後のつじつまが合うような気がする。

漢文の碩学のご教示を乞う次第である。
yu6y-kym@asahi-net.or.jp
まで
(1−3−2010)