ジョー小泉のひとりごと 2009年11〜12月


年賀状と鉄棒

年賀状を書いている。昨今、パソコンで住所録から宛名を印刷し、裏もまた印刷という年賀状が増えている。私がもらう年賀状のほとんどがそうだ。多忙な時代だから、そして周囲がそんな形で新年の挨拶を済ましているから、自分もパソコンで事足れりという風潮になってきたのだろう。しかし、それは文化に対する甘えである。

何のために年賀状を出すのだろう。交友に感謝する気持ちを伝えるためだろう。表裏とも印刷の年賀状では心が伝わらない、と思う。

私は一枚ずつ宛名を筆で書く。350枚だ。以前500枚書いていた時期があったが、交友が減り、近年はこの数に落ち着いている。今年は喪中の葉書を例年より多く受け取り、約20名には挨拶を控える。約50枚余る計算になる。年賀状を出し忘れたところ相手から頂戴した際、返書するために保管する。

宛名を書いている間、その人のことを思う。もっと助けてあげなければいけない、たまには親戚に連絡をしよう、元気でいるだろうか.「年賀状を書いているんだけれど、おばさん、元気ですか」と電話することもある。こんな中断をするから、年賀状を書く能率が上がらない。しかし、それでもいい。能率などという言葉に反する形で書いているのだから。能率を追求するなら、パソコンにゆだねる。それを拒んでいるのだから、道草もいいだろう。

楷行書でかく。楷書と行書の中間の字である。くずしすぎると相手が読めない可能性がある。読めなくては挨拶にならない。

これまで約200枚書いた。残り、約150枚だ。新年まであと5日。昨日、関東地区とそれ以外を分け、後者を先に書いて出した。今日、明日で前者を書き終えれば、すべて元旦に届くだろう。

書いていて気づいた。私の字は微妙に右へ曲がっている。なぜだろう。多分、書くときの姿勢が悪いからだ。書道をしているときもその傾向があるが、下敷きの縦線が透けて見えるので極力まっすぐに書くように心がける。だが、年賀状では下が透けない。だから、右曲がりの癖が出る。先に書いたものを振り返ると、すべてにその傾向が出ている。

かといって、200枚を書き直すわけにはいかない。姿勢をただそう。そこで散歩に出た。歩いてすぐの公園で、鉄棒にぶらさがる。背骨を伸ばすためだ。そして空を見上げる。背筋がそり、自分の荷重で背骨が伸びているのがわかる。

また年賀状書き。ときにひと休みし、傍らの王義之「集字聖教序」を眺める。刺激を受け、また再開。

私の右曲がり癖の例として掲げるのは、ウイニングの杉林社長宛ての賀状である。同社の住所は公知なので、個人情報開示には当たらないだろう。なぜ文京区と一旦止まり、下の千駄木への縦の線を意識しなかったのか。書き急いだためだ。杉林郁夫(敬称略)の夫を書く前も筆を止め、視線を上に移し、垂直線を想定すべきだった。

300枚あまり書くと、1枚くらい出来のいいものがある。4年ほど前、広島の竹原三郎会長宛ての賀状。2年前、芦澤清一氏宛てのもの。出すのが惜しかった。それを保存し、もう1枚書いて出来の劣るものを出すとする。それはおかしい。何のために年賀状を書いているのだ。そう思い、苦渋の決断で投函したが、毎年、そんな経験がある。

多分、年賀状を書いている途中、こんな「ひとりごと」を書くのは逃避なのだろう。あとひと頑張り。今年は出すのをためらうような1枚がまだ書けていない。
(12−27−09)


本番で実力を発揮する方法

今年の4月、岡山大学の客員教授になった。昨年、同大学ボクシング部監督、丸山圭介先生からの依頼によりスポーツ科学講座で話をしたことがある。それが縁で客員教授の任命を受けたが、私はさほど学識深いわけではない。ただごく特定の領域で自分なりの勉強をしてきただけだ。

1年に数度、講義、講演をする約束になっていた。多忙なため、それが12月9日になった。大阪での多田、富樫戦が6日。翌日、一旦帰京し、当日朝5時に起き、早朝の新幹線に乗った。この日、中央線の信号故障で快速電車が走らず、東京まで各駅停車。しかも、駅員は東京まで36分(快速なら通常30分)といったのに、55分かかり予定していた新幹線に間一髪、乗りそこなった。岡山駅に出迎えに来られる丸山先生、鈴木先生に電話して詫びた。大事な行事のときはもっと時間的余裕をとらねばいけない、と猛省。

当初の予定は、午後6時から1時間半、「特別スポーツ講座」と題した講演をするだけだった。それは学生のみならず社会人の人たちも聴講できる公開講座だ。ところが、大学側から、「最近の学生はあまり勉強しないから、勉強が社会で役立つか、について昼の部で講義してほしい」と依頼され、それを受けた。

午後1時から講義1時間、質疑応答30分(20分だったかもしれない)。講義のタイトルは、「大学での勉強は社会でどう役立つか」とそのものずばり。私が工学部の学生だったとき、「つまらない退屈な話だな」と思い辟易した講義が、会社勤めをして有形無形、役立った経験などを話した。

講義をする前、「新入生にすすめる本」というテーマの本を3冊チェックした。東大の先生が出したもの(上下2巻)と広島大学が出したもの。その中で、自分が読んだことがあるものをチェックし、それを「読書のすすめ」として1枚の紙にまとめた。

私などが学問のすすめを語るなどおこがましいのだが、そこは自分の信条である「自分なりのベストを尽くし、それでよしとする」通り、熱意をもって話した。その熱意がどれだけ伝わったか。昼食後の講義なので腹満ちたせいか、居眠りをしていた女子学生がいた。次のテーマに移るとき、「大事な話をしますから、寝ている人は起きて」といった。教師というのは大変だな、と実感した。

そのあと、ホテルで1時間くらい休息をとり、夕方の講演に出かけた。大きな会場には数十人の聴講者がいた。

まず、敵地メキシコでのルイシト小泉対アレハンドロ・コブリタ・ゴンサレス戦のハイライトを映写した。

本番、試練、正念場、勝負どき、ピンチ、危機を前にして、どのように心身の備えをすべきか、を主に話した。さらに、雑念、邪念、弱気を取り除くための集中力の重要性を強調し、それを実現するためのコツについて述べた。

終わりに、私が昨年、名誉の殿堂で行った受賞スピーチを映した。多くの聴衆を前にして、どうしてあがらず予習の成果を発揮したか、について自分の方法を説明した。

多分、面白かった、と思う。他の本には載っていない独自性があったから。私の話のテーマは、SPORTS PSYCHING(スポーツ心理学)で、講演の前、何冊かこの系統の本を読んだ。そこに書いていること以外の話をしよう、と思った。他人の受け売りでは面白くない。

来年は、「緊張とリラックス」。
再来年は、「勝負勘の分析」。
そのテーマについて話す予定だ。

今回、このような講義、講演の機会を与えていただいた千葉学長、鈴木先生はじめ関係各位に感謝したい。講義ノートをまとめる過程で、以前あいまいな形で考えていたことを言葉に置き換えることが出来た。その作業の時を持てたことは自分自身にとってためになった。教えることは学ぶことに通じる、と実感した。
書名 著者 出版社 ひとこと紹介
思考の整理学 外山滋比古 ちくま文庫 自分の頭で考えることの重要さ
ソクラテスの弁明   岩波文庫 無知と有知の境界
方法序説 デカルト 中公クラシックス 全体と部分、仮説(研究志望者向け)
       
頭の回転をよくする読書術 加藤周一 岩波現代文庫 本を読むことの楽しさ
日本文学史序説 加藤周一 ちくま学芸文庫 文科系必読
       
武士道 新渡戸稲造 講談社バイリンガルブックス 日本とは、日本人とは何か
       
日本人の英語(続もあり) マーク・ピーターセン 岩波新書 英語学習の刺激
       
「超」整理法 野口悠紀雄 中公新書 これに限らず整理法を読むことは重要
       
理科系の作文技術 木下是雄 中公新書 レポート、作文のコツ(文科系にも有用)
       
知的生産の技術 梅棹忠夫 岩波新書 知的活動のための整理技術
       
竜馬がゆく 司馬遼太郎 文春文庫 読書の楽しさ(本を読む習慣作り)
坂の上の雲 司馬遼太郎 文春文庫 日本の発展を支えた人物像
「明治」という国家 司馬遼太郎 NHKブックス 日本史への導入
「昭和」という国家 司馬遼太郎 NHKブックス 日本史への導入
       
ケインズ「一般理論」を読む 宇沢弘文 岩波現代文庫 近代経済学の概要
       
わかりやすい統計学 松原望 丸善 統計学の存在を知ることは重要
       
漢語の知識 一海知義 岩波ジュニア新書 漢文の素養
       
坊ちゃん 夏目漱石   ユーモアを必要とするときのために
       
思考のための道具 ラインゴールド パーソナルメディア コンピューターの成り立ち(理科系)
       
日本とアジア 竹内好 ちくま学芸文庫 日本のアジアにおける位置
       
ことばと文化 鈴木孝夫 岩波新書 日本語とは何か
       
新 物語世界史への旅(全2巻) 大江一道 山川出版社 世界史を在学中、復習すべし
       
知的複眼思考法 苅谷剛彦 講談社+α文庫 ものの見方、視点を変える
       
中国古典名言事典 諸橋轍次 講談社学術文庫 漢文へのいざない
       
論語 孔子 岩波新書 東洋人のアイデンティティ

(12−24−09)


「BOXING NEWS」100周年

英国の「ボクシング・ニュース」誌が100周年を迎えた。9月11日号がそれだ。

1909年創刊だから、1921年発刊の「リング」誌より古い。しかも「ボクシング・ニュース」は週刊誌だ。その内容の緻密さ、濃さはインターネットのFIGHTNEWSなどをはるかに凌駕する。文章の質は「リング」誌より上だ、と思う。その差の源は、英語と米語の違い、英国人と米国人の違いにあるように感じる。つまり、英国人の方が細部において穿鑿的だ。

英国では金曜発行で、1週間遅れで日本に届く。自宅に「ボクシング・ニュース」が着くのは、月曜か火曜だ。スーパーファイトの展望号が終わった直後に届く。その点が残念だが、毎週、この週刊誌を読むのが習慣というより生きる楽しみになっている。

忙しくて先週号を読みきっていないうちに、最新号が届くことがある。そんなときは、先週号の読むべき記事にポストイットパッドを貼り、あとで読むことにして、最新号を開く。

編集長がいまのClaude Abramsになってから、英国色より国際色が強まり、私のような非英国人にとっては読むところが多くなった。

記事により記者の個性が色濃く出て、ときとして癖の強さ(英国ナショナリズム)に辟易することもあるが、読んでいてその偏見、偏向ぶりが笑いを誘うこともある。

私も寄稿家で世界戦の記事が載るが、いつも短縮版だ。昔から「ボクシング・ニュース」誌には東洋関連の記事が少ない。多分、英国の読者たちは東洋のできごとにあまり興味を持たないのだろう。「ボクシング・ニュース」誌を読み続けていると、欧米と接点の少ない東洋の孤立が感じられる。

最新号は、パッキャオがコットを破った写真が表紙だ。早速読み始めねばならない。さもないと、すぐ来週号が届く。その追われるような気ぜわしさがまたいいのだが。
(11−25−09)