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中学生の頃、親父がある新書をくれた。 読書術の本で、考えてみれば、以後その本に書かれた方法で本を読んできた。その著者が加藤周一(以下、敬称略)だった。 博学の作家、石川淳が加藤周一の出版パーティでこう挨拶したそうだ。 「君は古今東西の知恵の海をきわめるシンドバッドだ。その大航海に、さあ、乾杯」と。 シンドバッドは12月5日午後2時逝った。享年89。 加藤周一は血液学の博士号を持つ医師で、若い頃からフランス文学を好み、医学研究のためフランスに留学。数年間、同地に滞在して帰国後、日本文化の雑種性を指摘した「雑種文化」という当時としては衝撃的な本を出した。仏独英語が非常に堪能で、カナダ、ドイツ、スイス、アメリカ、イギリス、イタリア、メキシコ、中国などの大学で日本の文化や文学について教鞭をとった。 加藤周一は博覧強記を地で行く読書家で、その評論は切れ味がよかった。その文章を読むと切れ味に感心して、読み終わったあと、彼が切った対象より、切れ味だけが印象に残る感さえあった。 最初の本「頭の回転をよくする読書術」の奥付を見ると、昭和37年(1962年)12月の26版だ。加藤周一は1919年生まれだから、43歳のときの本だ。私は15歳だった。彼は私より28歳年長だ。 よく本を書く人だった。出るたびに読んで、よく分からないところもあるが、感心した――その切れ味に。問題を整理するのに巧みだった。ものごとを集約、類型化する独特の才能があった。 加藤周一は当初フランス文学に傾倒したが、のちに日本文化に回帰し、日本の文学や芸術に傾倒していった。その著作も、大仏次郎賞を受けた「日本文学史序説」など、日本文化が主なテーマとなった。ただし、彼の関心、知識は古今東西、森羅万象におよび、広くかつ深かった。 その著書を読み慣れない読者にとっては随分難解に見える本が、加藤周一語(普遍性とか彼岸、此岸とかの用語)に慣れた読者にとっては、面白かった。著作が多いので、書庫に加藤周一の本だけの棚ができたほどだ。 私はある時期、加藤周一の毒に気づき、読むのをやめた。その理由の第一は、加藤周一が興味を持つ対象にそれほど興味を覚えなくなったからだ。それは江戸時代の文学、あるいはそれ以前の日本の文学、文化である。私にはもっと他に読み考える対象があった。 |
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第二に、ものごと加藤周一のようにズバリと切断できない対象もあり、私はその中で生活しだしたからだ。つまり、ボクシングの世界だ。そこは、勘や情が論理を超越する場である。加藤周一的論理を背負うと、ボクシング人として生きることに支障が出る。だから、彼の本から距離を置いた。 第三に、晩年の加藤周一が力を注いだ九条の会などの政治的活動に興味を覚えなかった。 第四に、芸術の問題がある。加藤周一は芸術家ではない。単なる批評家だ。自ら書や絵画を書き、描かぬ人である。自ら芸術に没頭していたら、とてもあれだけ本を読めないだろう。私は書道に凝り、次に絵を描こうと思う。批評家は数多く芸術を観る必要がある。ところが、私のような自らの立場、制約の下に芸術を志すものは、加藤周一のように美術館めぐりする余裕がない。社会的責任を伴なう職業を全うし、その余暇で自らの対象に没頭するので精一杯だから。加藤周一が書く芸術論に敬意は払うが、とても彼に対抗して美術展を追う時間がない(東京にはあまりに多くの美術展が開催され、それを追っていると本が読めない)。 第五に、スポーツに対する姿勢が違う。加藤周一は、「スポーツは体に悪い」という。それは程度問題だ、と私は思う。体を壊すまでスポーツに没頭するから、それは体によくないので、適度なスポーツは健康にいい、と思う。生きるうえで、体が資本だ。心身を鍛えることを否定する考えには賛同できない。私のように還暦を過ぎても体を鍛えることに取り憑かれた人間は、加藤周一から見れば愚か者だろう。 先日、息子が豊田市から正月休みで戻ってきて、一緒に本屋へ行った。新宿のジュンク堂だ。息子が本を選び、あと私が支払いをする。待つ間、加藤周一の本を検索した。150冊近くはあった。その大半を読んできた。よくレベルを落とさず書いたな、よく勉強し進化してきたな、と改めて感嘆した。 持っていない本を数冊求め、正月に読んだ。 「漢字・漢語・漢詩」これは一海知義との対談。 「加藤周一、高校生と語る」(かもがわブックレット) やはり面白かった。 12月半ば、図書館まで散歩し、いろんな新聞の加藤周一追悼記事を読んだ。通り一遍のことしか書いていない。多分、加藤周一の関心の広さに記者あるいは批評家は追随できないのだろう。 一度会って話したかったが、気が進まなかった。会っても互いに反発し合うだけだったかもしれない。「君は不勉強だね。それも読んでいないのかね」といわれたかもしれない。私が「先生、簡単な体操を教えますから、毎日これだけでもするようにしてください」というと、「君、もう来ないでくれたまえ」と追い出されたかもしれない。あるいは、非常に仲がよくなったかもしれないが、そうなって影響を受けすぎるのもよくない。私は誰からもあまりに強烈な影響を受けたくない。加藤周一に近づくと、魅了され、そんな影響を受けたかもしれない。それはよくない。私は私だ。自分独自の見方、考え方を生み出すのに集中せねばならない。 別れた昔の恋人に愛惜の念を持つような感情だが、加藤周一の逝去を悼む。 さらば、シンドバッド。 (2−11−2009) |
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いつも体を鍛えよう、という意識がある。
最近、忙しく以前ほどには毎日トレーニングできない。水泳だけは隔日続け、週に一度はストレッチング指導を受けに通っているが。
なぜ体を鍛えるのか?
仕事や趣味をするのに、体力が必要と思うからだろう。
体力が衰えると、気力が萎え、責任感が鈍る。
もう疲れた、これ以上、仕事をしたくない、と感じたとき、いや、やはりこれは今日片付けておくべきだ、と思う。そのとき、自分において、頑張ろうと思う源になるのは体力だ。それを私は基礎体力でなく、「クソ体力」という。何くそ、と思い振り絞る体力だ。
「何のために、規則的に泳いでいるのだ? 何のために、脚力を鍛えているのだ? 何年間、トレーニングを持続してきたのだ?」と自問自答する。そこで、もうひと頑張りする。
30代からずっと忙しかった。
サラリーマン+トレーナー+もの書き
脱サラしてからは
マッチメーカー+マネジャー+もの書き+リング・ジャパン主人
この調子で行き続ければ、森鴎外のように死ぬ前、「ただあくせくして生きてきた」という後悔が残るだろう。むこうは文豪で立派な作品を残したが、私はそんな作品さえない。ただただ目先の仕事を消化するのに追われる人生――。こんな生活をしていると、きっと最期に悔やむだろう。
そんなことを考えているとき、「大人の時間はなぜ短いのか」という新書を読んだ。一読してガッカリした。期待していた答が書いていない。
そこで、このテーマで、この本を参考にして、自分なりの回答を出してみよう、と思った。昨年たしか11月ごろ、1週間、他の本を読むのを自ら禁じ、どうすれば生きている充実感が得られるか、を考え続けた。
この本のマークしたところを読み直し、自分の言葉で言い換えてみた。反論があるところを考えた。計5度読み直した。
3度目に読んだとき、これは、私が期待した答は書いていないが、筋の通った、いい本だ、と思った。
私があくせくしてマッチメークに追われる生活の中で、生きている充実感がないのは、自ら忙しくしているためではないか。時間の有効活用と、時間があれば本を読む。足りない時間の中で無理をして書道をする。水泳をする。
インスピレーションがわいた。
1日の時の流れの中で空白を作る。そこで今日あったことを、中間回顧する。たまには電車の中ですぐ本を開かず、今日という日を噛み締める。つまり、自分自身の時を鑑賞(appreciate)する。
そして、日記を書き出した。もう4ヶ月続いたから、習慣になったのだろう。信じたことを実行する程度の意思の強さはある。
凝り性だ。筆で和紙に書く。銀座の鳩居堂にその和紙を求めに行った。日々、字が変わる。くたくたに疲れて、ただ習慣のために、あえぎながら書く。いいことがあり、それを記す。字が躍る。わるいことがあり、反省を述べる。字が沈む。
筆を変える。墨を変える。硯を変える。最小限の変化をつけ、日記をつける。
仕事でも業務日誌を自ら書き始めた。以前は、パソコンの横にポストイットパッドを貼り、それにやるべき仕事の優先順位を書き、終わると赤で消し、すべて終わるとそれを捨てた。マッチメーキング・ファイルに書類を収納し、記憶に留めるだけ。忘れはしないが、終わった仕事を振り返ると、それが2年前だったか、3年前だったかを思い出せないことがある。憶えているのは、ただ消化したという記憶だけだ。
だから、従来どおり、(1)パソコンに貼り付けたポストイットパッドに書き、(2)業務日誌にメモし、(3)夜、日記に筆で書く。3度、同じことを1日の間に書くこともある。
時間の鑑賞が出来だした。
英語でいうと、appreciationが出来だした。
分かった、なぜ人が日記をつけるかが。
生を、生きていることを自覚するためだ。
この文庫本には日記をつけろなどとは書いていない。それは自分で考え抜いて引き出した自分自身の回答だ。だから、価値がある。だから、続けられるだろう、と思う。
もっと大事なのは、電車の中、寝る前、1日を振り返ることだ。考えることだ(苦痛なこともあるが)。どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、日記を書く、寝る前に考える程度はできるだろう。それも体力に依存するが――。
ボクサーもトレーニング日誌を書くべきだ、と思う。
そして、トレーナーも指導者としてのトレーニング日誌を書くべきだ。きっと効果がある。
(2−15−09)