先々月、「運動科学 実践編 二軸動作がスポーツを変える」(小田伸午編、丸善)という本を読んだ。最初は粗い読み方をした。読んでいて、ボクシングに応用できない部分はとばした。読み終わって、面白い本だが、あまりボクシングには活用できないな、と思った。ところが、一ヵ月ほどして再読し、ボクシングに応用できるところがあることに気づいた。
以後、「ヒザを抜く」という動作が気にかかり、散歩しながら急に左へ、また右へサイドステップすることを試した。普通、サイドステップはつま先でキャンバスを蹴ってポジションを変えることで行う。もっと速いサイドステップ、しかも右でも左でも自在に位置を変える横への動きはないか。
「ヒザを抜く」とは、滑らかな重心移動で、これは予備動作が少なく、動→静、静→動へ滑らかに切り替える重心移動をいう。構えていて、急に左ヒザの力を抜く。体は重力のため、つまずくような動きで急に左側へ傾く。このとき、右足の親指の蹴りを補助的に加える。速いサイドステップができる。
左へは動けるが、右に出るのが鈍い選手がいる。体の癖として股関節の硬さのため、一方へは滑らかに動けるが、他方への動きは鈍い選手がいる。その際、オンガードポジションで後に引いている右足のヒザを抜く。体が右へ傾く。それを利用して右へサイドステップする。これをいかに滑らかにするかだ。
一昨日、泳ぎ疲れてプールを歩いていたとき、このヒザを抜く動作をしてみた。抵抗の多い水中でも、ヒザを抜けば、サッとサイドステップができる。一方、足の蹴りだけでは、水中では速い横への移動ができない。
歩いていて、急に前から車か自転車が突進してくるとする。人間はどういう動作で自分の身を衛るか。上半身を右か左かへよけようとする。ヒザを抜くコツを知っていれば、サッと直進する車を避け、サイドステップできる。
試合の後半、疲れてきてサイドへ出られないとき、この瞬間的にヒザを抜いて横へ動く練習をしていると、重心を利用してポジションを変えられる。そのうえ、腰を落とせる。ヒザを抜いたポジションからアッパーを突き上げられる。ヒザを抜く瞬間にパンチ(ストレート、フック)を打つと、パンチに体重が乗り強打できる。
朝、散歩をするとき、ときどき家内がついてくる。2人の間へ急に前から自転車が来たときを想定して、急にサイドステップする。要はいかに滑らかに、素早くサイドへ動けるかだ。「ビックリするじゃない。何!やめてよ」と怒られる。ヒザを抜く練習は、ひとりで散歩するときだけにした方がよさそうだ。
(10−10−07)
8月16日の朝だ。この日の夕方に神戸に入る予定だ。クリス・ジョンー武本在樹戦のレフェリー、ジャッジが着く。空港での出迎えは先に神戸に入っている織田君に任せてある。旅の用意はまだしていない。そこに金平会長から電話があった。宮田ジムとの交渉に出てほしい、という。急いで着替え、後楽園飯店に向かった。
最終的に両陣営が互いに譲歩し、交渉は合意に達した。昨夜、作っておいた覚書を一部修正し、両者サイン。宮田会長、交渉者の石井氏に歩み寄りの礼を言った。石井氏は元々もの書きだ。ポンサクレックのマネジャーは辣腕で、交渉が難しい男だ。彼と交渉しきり、内藤をチャンピオンにしたのは殊勲だ。その点を誉めた。
飯店での記者会見を終え、すぐ帰宅し、すぐ旅支度をして出た。今回、チャンピオンのジョンとオフィシャルは同じホテルに泊まる。新神戸駅に着き、ホテルに電話し道筋を聞くと、目の前にあり徒歩5分もかからない。ジョンのマネジャー、クリスチャンと話し、ジャッジが織田君とホテルに到着するのを待ち、須磨の実家に向かった。2泊は実家、2泊はオフィシャルと一緒のホテルにした。プロモーターの経費節減のためだ。
須磨というのは、前は海(海水浴場)、後は山だ。義経の一の谷の合戦に見るように、海と山との距離が非常に短い。毎朝、1時間は朝食前、水だけ飲んで空腹状態で運動する(ボクサーのロードワークと同じ)。浜で泳ぐか、須磨寺まで散歩するか。泳いでゲソっとした顔でレフェリー、ジャッジと会うのはよくない(多分、泳ぎすぎるだろうし)。
こんな炎天下、帽子もかぶらず歩くのが健康にいいのか、と危惧しながら、須磨寺に着いた。月見山から須磨寺の街並みが、震災のため建て直し、道が広くなっている。この寺は真言宗で、空海(弘法大師)を祭っている。
ここ数年、空海のことを意識しだした。習字を始めたからだ。なぜあれほど字が巧みだったのか。どんな学習法をしたのか。司馬遼太郎「空海の風景」、杉本苑子「空海と最澄」などを読んだが、何をどう勉強してあれほど書道が上手くなったかは書いていない。
私の推察はこうだ。空海は王義之から始めて中国の名跡を臨書したはずだ。書の才能があったうえ、勉強家だった。昔の勉強とは、教科書を書写することが主だから、空海はその書写を人一倍したのだろう。普通の学生のように単に字を写すのではなく、それを習字としてひたすら書いた。だから、学は進み、書道の基礎ができたのではないか。
空海に「三教指帰」という著作があり、孔子、老子、釈迦の3つの教えの優劣を論じた書がある。18歳のときに書き、24歳のときに清書したものが、高野山金剛寺に蔵されている。国宝である。その一部が藤原鶴来「和漢書道史」208頁に載っているが、その歳でこれだけ書けたというのは立派なものだ。やはり天賦の才に恵まれていたのだろう。空海はそれを幼少の頃から磨きぬいた。
天才といわれる人は、
1. 習得の速度
2. 習得の程度
3. 習得の活用
が顕著である。メイウェザーを見ればわかる。空海は習得を早く卒業し、独自の字を書くことに向かった。筆まめで常にメモをとり、手紙を書いた。だから、書の腕は磨かれた。ボクシングが好きで仕方がないボクシングの天才児に似ている。
書道史を読みだして、最澄も能筆家であることを知った。空海の作品の中で最も名高い「風信帖」は最澄にあてた書簡である。最澄の字は、有名な「久隔帖」に見られるように非常に基本に忠実な、品のあるものだ。芸術新潮社「行書百科」58頁にこの作品の最初の部分が出ていて、「王義之の集字聖教序からの影響を認めることができ、書としての品位は空海より上というべきであろう」と驚くべき記述がある。しかし、書道家としての腕は空海の方が上ではないか。
晩年の空海は筆を自在に操り、曲芸師のようにいろんなタイプの字を書いた。ボクサーも晩年になると、無駄な動きが削られ、タイミング合わせが巧みになり、ときにすごい名作を生み出すことがある(シュガー・レイ・ロビンソンがジーン・フルマーを左フック一発で仕留めた試合など)。
帰りかけて、ふと山陽電車に乗ってみたくなった。須磨寺から月見山の一駅だけ。炎天下、また歩くよりはいいだろう。車中、学生時代を思い出した。
昼過ぎにホテルに着き、あとはオフィシャルの世話。ずっと英語を喋っていて、ふと思った。「この中で、私が一番、書道が上手いな」と。当たり前だ。彼らは漢字を書けないのだから。世界戦のたび(あるいはWBA、WBC総会中)、一日中、外国語を話していると、無性に漢字が一杯詰まった本を読みたくなる。字を書きたくなる。
武本は敗れたが、ある意味でいいタイトルマッチだった。クリス・ジョンのマネジャー、クリスチャンは、「また君たちと一緒に仕事をしたい」と千里馬会長と私に言った。われわれがフェアにもてなしたということだ。それは将来につながる。
帰りの新幹線のなかで、須磨寺で買った「お大師さま」という薄い漫画の本を開いた。空海が中国に留学したのはわずか3年足らずだ。その地でも、空海の能筆ぶりは評価されたそうだ。最初、例の空海伝説で眉唾だろう、と思っていた。ところが、上記の藤原書道史(これは書道の先生が検定試験を受けるための参考書としても知られる)にこうある。「彼の地(中国)ですでに能書の誉れが高く、五筆和尚の名があったという。当時、王義之の書いた唐朝宮殿の一間が破損し、担当する人がいなのでそのままになっていたのを、憲宗が勅して空海に書かしめたという」。本当だったのかもしれない。だが日本からの短期留学僧にそんな大事なものを書かせるかな。本場、中国にも立派な書道家はあまたいただろうに。昔のことで真実はどうだったのだろう。
書道をしているとボクシングの上達のプロセスをよく考える。「書道とボクシング」。このテーマで一文が書けそうな気がするが、書いたところで誰がそんなものに興味を持つだろう。
(9−20−07)