ジョー小泉のひとりごと 2007年3月


眼科医へ行く

26日月曜、イーグル、八重樫戦の発表の帰途、眼科医へ行った。
病院や医者に行くのは珍しい。
昨年、区の誕生月の無料検査を受けたとき、各検査ともいい数値が出た。
「毎日1時間運動をしているせいですね」というと、医師は笑った。

ここ数日どうも眼がおかしい。多分、仕事をし過ぎて(パソコンの見過ぎで)
ドライアイになったのでは? 眼がショボショボする。
検査してもらうと何ともなかったが、目薬をもらった。

明らかに働きすぎだ。ちょっとペースダウンをしないといけない。
3週間ほど前、深夜仕事を終えて帰宅したとき、車庫入れをするとき車を壁にこすった。
半分うとうとしながら車を運転していたせいだ。修理費、17万円。

仕事の山は3月24日の亀田、モラレス戦で越えたので、本を読み、習字をし始めた。
いま読んでいる本は、ドナルド・キーン「渡辺崋山」。
(3−29−07)


なぜ彼らはウェイトオーバーするのか?

ロレンソ・パーラにはまいった。
3月中旬の異常な寒さも原因だろうが、毎日側についている私のアドバイスを聞いていれば、体重は落とせていた。ところが、聞く耳を持たない。

「トレーナーは俺だ。大丈夫だ。計量日には落ちている」といわれると、それ以上、口を出せない。東洋の中堅選手の場合、マッチメーカーである私はマネジャーやトレーナーとの親しさもあり、「ちょっと私の目の前で計ってみろ」といえる。

ところが、世界チャンピオンや世界ランカーで、まして東洋以外の地域から来た選手になると、日々の体重はプライバシーに属する。相手が見せたくないものを無理に見せろとはいえない。

パーラの場合も、最後の4日間になり、藁をもつかむ状態になってから、私にも体重を見せてくれだした。中南米の選手は食べながら落とす。日本人選手のようなレベルでの節食、絶食、水絶ちはしない。だから結構ウェイトがきつい場合でも、計量をパスしたあとは元気を回復する。

計量まであと数日でまだ2、3キロオーバーの場合、
朝のロードワーク後、フルーツ(オレンジ)程度。
ジムワークの後、たんぱく質を含んだ野菜サラダ(チキンサラダなど、ただしドレッシングは控えめ)
水分は1日500cc程度(最大1000cc以下)。

これで数日追い込めば、やや脱水状態にはなるが、体重は落ちる。(試合まで1週間ある場合、翌日の練習を休むか、軽めにする場合、サウナや岩盤浴を使う場合もある)。

たしかに、相手側から見れば、私はマッチメーカーとはいえ敵方なのだろう。プロモーターに雇用され、日本人側に立つ、と見られる。親切ではあっても、所詮、相手方のスパイのゆに見ているのかもしれない。

それが分かっている。逆の立場なら、私は相手方のマッチメーカーやコーディネーターに自分の選手の体重を見せたりしない。「ノー・プロブレム」と言い切られると、それ以上ウェイトのことをとやかくいえなくなる。

WBAの5日前のコミッションでの予備計量はいい制度だ、と思う。5日前なら世界戦に出場する外国人選手も来日している。側についているマッチメーカーもそのときは実際の体重を知ることができる。

選手の体重管理を指示できないようでは、いいトレーナーとはいえない。トレーナーとはコーチであるだけでなく、調教師でもあるのだから。「余計な口出しをするな」と大口を叩いた挙句が、あの不祥事かと思うと、複雑な気持になる。その気持は、腹立たしさというより、プロフェッショナルではないな、という相手に対する失望感である。

選手がウェイトオーバーした場合、マッチメーカーも処分とかいう意見を聞いた。処分するなら、処分すればいい。それはボクシングの現場の構造を知らない暗愚な処置だ。現地(日本側という意味だ)マッチメーカーが選手の体重管理で相手側から阻害される立場にあるのに、どうして責任を取れる? 現場の苦労を知らない輩はこんな下らない処分を考え出す。

ノーウッド、アランブレット(2度)、そしてパーラと世界戦のオーバーウェイト事件の側にいたが、選手のウェイトコントロールは完全に選手任せ、トレーナーは体重管理にはノータッチという形だった。そこに根本的原因があった。
(3−28−07)


ロータリークラブで講演

2月28日、東京銀座ロータリークラブで講演をした。WOWOWの佐久間相談役からの依頼で、昨年の10月頃、話があった。

自分で選んだ演題は、「国際マッチメーカーの交渉術」で、要は小さなひとつひとつの仕事を誠意を持ってこなすことにより、実績、信用を築くことが、交渉成功の基礎になる、という持論を述べた。もっとジョークをいい、笑ってもらうつもりだったが、年配の人が多く、あまりくだらない駄洒落をいう雰囲気ではなかった。

その中で、壮年、老年の人たちの健康維持法を元トレーナーの立場から述べた。それは下記の通りだ。

体調維持・健康法
1. 規則正しい生活をする。生活のリズムを守る。
(1) 起床、就寝時間を守る。
(2) 食事の時間、量を守る。
2. 適度な運動を毎日する。
(1) 週1回のゴルフより毎日30分の体操の方が体液循環に効果あり。1日1回の発汗。車も毎日乗る方がエンジン良好。
(2) 散歩(早足3分、ゆっくり歩き1分の繰返し)は効果あり。
3. 疲れたときは、睡眠こそ最大の栄養。
    1〜2時間、普段より早く寝て、体に休養を与える。
4. 夜遅い時間に過食しない。消化器への負担を減らすため。
5. 脂っこいものは昼に食べる。生活時間の中で燃焼される。
6. 深呼吸をしよう。
7. 昼休み、5〜10分の仮眠は疲労回復に効果あり。
8. 知的訓練の時間を毎日持つ → ボケ防止。
     読書。外国語学習。字を書く。日記を書く。手紙を書く。etc.
9.忙中閑あり、一生続けられる趣味を持つ。
10.ストレスをためない。
  明日は明日の風が吹く。プラス思考で楽天的
に。

6月末、岡山大学のボクシング部監督、丸山先生の依頼で同大学へ講演に行く。演題は、「実力評価と目標達成法」だ。頭の中で講演の骨子はできている。学生諸君約150名くらいの前で話すそうだ。

多分、私の話は非常に面白いはずだ。というのは、他の本からの知識の寄せ集めで話すのでなく、自分の体験や考えから導いた方法論(あるいは方法論の組み立て方)を話すからだ。

以前、月に50冊くらい本を読んでいたが、最近は忙しく前ほどには読む時間が取れない。開き直って、「それなら自分の眼で確かめ、頭で考えよう」と仕事や日常生活の中で観察し頭を使い、そこで自分なりに教訓を作っていく。仕事の中の失敗を通じて、同じ失敗を2度繰り返さない反省を一般化する。

だから、他のどんな本にも書いていない内容の講演になるだろう。6月末、岡山へ行くのが楽しみだ。
(3−26−07)


初心を忘れるな

この1週間はこうだった。
毎日事務所を出るのが夜の12時。
土曜など、朝9時から午後1時まで事務所で仕事をし、計量に行く。計量から戻って1時間仕事をし、また後楽園ホールに行く。粟生―梅津戦が終わってからまた事務所に戻る。

日曜は岐阜と横浜にマッチメークした試合を見にいかないといけないので、片付ける仕事があった。終わったのが深夜3時前だった。3月19日の坂田―パーラ戦、3月18日の名古屋のOPBFタイトル戦、および神戸の武本―世界4位カブレラ戦の諸問題解決。

去年の11月ごろから仕事のやり方を変え、できるだけ自分自身で処理するようになった。俄然、仕事量が増えた。ところが、マッチメーキングの末端まで目が行き渡るようになった。それはプラスだが、長時間作業して事務所を出るのが非常に遅くなった。

私はリング・ジャパンを会社にし、社員やアルバイトを雇い、彼らに仕事を任せることで初心を忘れかけていたのかもしれない。だから初心に戻った。

子供の頃、どんなにボクシングが好きだったか。ずっとボクシングを見ることが生きがいだった。トレーナーをしていた時代、本当にボクシングにかかわることが楽しかった。22年前、会社をやめ、二股でなくボクシングの世界でマッチメーカーとして生きていこうと思ったとき、あの頃の初心はどうした。もっと仕事に燃えていたはずだ。ひとつひとつの仕事をもっと丁寧に、ジム側ともっと頻繁に連絡を取り合い、作業を進めていた。その姿勢に戻ろう、と思った。

雑用は社員に任せ、自宅で本を読んだり試合のビデオを見、習字をして、最後のチェックにだけ会社に行けば、それは楽だろう。しかし、それでは仕事にミスが出る。自分自身でできるだけ多くの範囲をカバーしなくてはいけない。ただし、この仕事のやり方に私のいまの体力が耐えうるか? 気力、意欲は問題ないが、この方法では非常に疲れる。

しかし、さしあたり、この方法でいこう。事実、成果は出ている。会長諸氏と非常に密に連絡を取り合えるようになった。「ジョーさん、細かいことをよく電話してくるな」と思われるかもしれないが、意思の疎通がよくなった。マッシメーキングの方向性の確認にはいい。

土曜、夜3時前まで事務所で仕事をし、朝8時には起き、新幹線に乗り、岐阜の午後のカードを処理し、終わって名古屋から新横浜まで。当社が組んでいた米山―パヤトール戦の前には横浜文化体育館に着いた。さすが、横浜からの帰りはちょっと疲れた。

こんな生活をしだしたから、「ひとりごと」を書く時間、わずか10分がなかなか取れないようになった。これは言い訳でもある。
(3−5−07)