ジョー小泉のひとりごと 2006年8月


今年の夏休み

14日の相澤―ユーシ戦のあと、社員と私自身のため3日間夏休みを取った。

15日、午前中、泳ぎに行った。時間に制約されるわけではないので、結構長くプールにいた。午後、スポーツ報知の原稿を書いていたら、睡魔が襲ってきた。泳ぎすぎたらしい。昼寝をすると夕方の締め切りまで寝込んでしまうかもしれない。ほぼ出来上がり、行数を削るだけなのに、眠くて悪戦苦闘。3時半、近藤デスクから電話があった。それから半時間ほどしてやっと仕上がった。それが終わると、なぜか眠気は去っていた。

夕方から家内と映画に行った。M:i:3。いつも内部に敵がいるのが陳腐でおかしい。

16日、朝から大掃除。6月末からともかく前に進む生活をし、海外に2週間出たりしていたので書類が散らかっている。片付けるのに時間がかかった。夕方、帰省中の息子と新宿で会食。ジュンク堂で「ひとりでできる特許・実用新案出願」のたぐいの本を2冊(薄くて図解が多い本)選んで、息子に買い与えた。仕事以外の分野の生活用品や玩具で実用新案でも出してみろ、手伝ってやるから、とアドバイス。

私のサラリーマン時代最後の仕事は、社内で特許を出願する手続きを担当していた。エンジニアというのは専門分野にどっぷり浸っているので、自分が出そうとする特許の説明が概して上手くなかった。延々と従来の技術を説明する人が多く、どこが新しいのか、出願のポイントは何かを聞き出すのに数時間がかりだった。当時、私の頭はボクシングで狂っていて、考えることといえばボクシングばかり。数年続けて希望を出し、やっと特許契約の仕事に移してもらった。そこでは「この仕事は明日にしよう」という融通がきいた。5時半に終わり、後楽園ホールにでもジムにでも6時には入れた。

弁理士の資格を取り、将来、特許事務所を開くのもいいか、と思い、夜学に通いだした。確か授業は6時から7時半までで、御茶ノ水の学校だったので、終わってからでもホールのメインには間に合った。当時、渡辺二郎氏のカットマンをしていたのでテレビに映る。それを会社にとがめられ、結局退職してボクシング一本で生活することになった。なぜ弁理士取得の勉強をやめたのだろう。ボクシングで飯が食えたからで、好きなことだけで生活できるならそれに越したことはない、と考えた。しかし、自営業になったのだから、勉強の時間はサラリーマン時代より取れたはずで、あのとき怠け癖を出さず、弁理士を取っておけばよかったとも思う。後悔は先に立たず。

17日、家内が名古屋に料理の講師に出るので、朝4時半に一緒に起き、駅まで車で送った。私が4時半に起きて出かけることもある。そのとき家内は眠いのに起きてくれる。お互いだ。インドネシアからFAXが入っていた。ウィド・パエスの夜行便の成田着が朝7時半から11時に変更になるという。ホテルで記者会見が12時から予定されていたので、それを午後3時に変更してもらった。協栄の篠田氏は朝5時ごろなのに電話に出た。

もう一度寝て、自分でブランチを作り、ホテルへ出かける前、到着時刻を再確認した。再度到着が遅れ、1時55分着だという。もうひと寝入りする前、再確認すればこの延着は把握できていたのではないか。到着時刻の確認のためモタモタしてホテルに着いたのが3時過ぎ。10名ばかりの記者諸氏がもう集まっていた。私は平謝り。この暑い昼間、ご足労をかけ誠に申し訳ない。

パエスのインタビューを5時半に再設定して、一旦解散することになった。6時すぎ通訳を終え、再度記者の皆さんにお詫び。若い頃、私はくどいくらい確認する人間だった。だからミスが少なかったと思う。最近、くどく確認するのが、スマートでなかったり、いまの言葉でいうダサい行為のように思え、詰めが甘くなっている。たとえば、マッチメーキングの契約ウェイトなど、「ジョーさん、前に言ったじゃない」と迷惑がられても、必要があれば再確認すべきだ。計量時トラブルが起こるよりはいい。

私は本を読んだり、習字をする時間を生み出すため、いつも時間短縮の計算をしている。他人も同じだろう。自分の時間だけが貴重で、他人の時間は貴重でないということはあり得ない。記者諸氏に空振りさせてことを大いに反省した。今年の夏休みは反省点が多かった。
(8−17−06)


私の中の亀田騒動整理

8月2日、リングサイド(ランダエタ・コーナーの真下1列目)での私の採点はこうだった。
亀 8・・9・・・・9・99 114
ラ ・99・9999・9・・ 113

翌日の各スポーツ紙のいわゆる本社採点は、
日刊 114―113 亀田(最終回は亀田のラウンド)
サンスポ(矢尾板氏)114−113 ランダエタ
報知(石松氏) ランダエタ7点差(117-110か)
スポニチ(浜田氏)114−113 ランダエタ
翌々日の報知(福留氏)115−113 亀田
石松氏の意見を除き、あの試合がクロスゲームであった点では一致している。

テレビ、新聞、週刊誌などからインタビューやコメントを求められたが、すべて断った。仮に私が正論を述べても、「あなたは亀田のマッチメーカーだから、亀田の肩を持っているのでしょう」と一蹴されただろう。それはロープを背にして打ち合うようなものだ。亀田バッシングの嵐の中で、冷静な議論がなされる雰囲気がないように思えた。だから沈黙を保った。

亀田騒動がほぼおさまったいま、私の中で今回の問題を整理してみたい。

(A)亀田、ランダエタのどちらが勝者か

(B)亀田が生意気だ、嫌いだ
とは別問題である。騒動は論理性を欠き、感情論に走りすぎていたように思う。

また(A)亀田、ランダエタのどちらが勝者か

(B)亀田は大口を叩いてきたのに初回のダウンはふがいない
とは別次元の問題である。予告通りKOで勝てなかったからといって、(A)の問題を即、亀田の負けと断ずるのは論理的に矛盾がある。

(D)亀田が2−1の判定で勝った今回の裁定に不服である
から
(E)ボクシングの勝敗決定機構(採点基準)がおかしい
と判断するのは、論理の飛躍である。亀田の負けとアンケートに答えた人たちの中で一体何%が採点基準を十分に理解したうえで意見を述べたのだろう。私はアイススケートやシンクロナイズドスイミングや体操の評価点がよくわからない。それはその競技を見慣れていないためだろう。見慣れている人はその採点基準が分かるようだ。今回、アイススケートなどを見る場合の私のようなレベルしか理解度のないような観客、視聴者が(A)の問題で発言しすぎたのではないか。

(D)亀田が2−1の判定で勝った今回の裁定に不服である
からといって
(F)WBAは亀田寄りだった
とWBAの中立性を否定することには大いに疑問がある。
WBAが王座決定戦の勝者(亀田またはランダエタ)に贈呈するため、チャンピオン・ベルトを事前にJBCに送付したのは日本側の要請のためだ。そのリクエストはプロモーターから依頼され、私がWBA本部に出した。WBAが亀田が勝った場合にその父親にもベルトを贈呈すると決めたのには、2つの理由がある、と私は思う。第一に、WBAの中枢国、日本でそれほどセンセーションを巻き起こしている亀田親子のベルトを目指す成長ストーリーに対し、WBAは好意を示した。第二に、亀田のWBA契約書のファイトマネーは挑戦者としては破格の50万ドル(6000万円)で、WBA承認料はその3%、すなわち1万5000ドル(180万円)だった。挑戦者のミニマム(最低)WBA承認料は1500ドルだから、その10倍にあたる。デラホーヤやホプキンスでさえ承認料を出し渋る時代に、このファイトマネー額申請、ひいては承認料支払いはWBAにより評価されたはずだ。WBAはその評価をもう1本ベルト進呈という形で表現したのだろう。亀田が負ければ、JBCの事務所に次のWBA王者誕生まで保管すればいい話だ。WBAがベルトを2本用意したからといって、WBAと亀田陣営や協栄ジムの癒着を憶測するはおかしい。WBAが判定を操作したとか書いたメディアがあったが、そんなことはあり得るはずがない。

テレビの解説に問題があったのではないか。元世界チャンピオン3名を批判する積りはないが、現行の採点基準に則した解説をしなければいけない。有効なクリーンヒットは攻勢(手数)に優る採点基準である。亀田のボディプローの有効性を評価せず、ランダエタの亀田のガードの上を打っている手数を評価していては、視聴者はそのコメントに誘導される。テレビやメディアは、元世界チャンピオン=専門家として意見を求め、解説を依頼するのだろうが、採点基準(あるいはその傾向、趨勢)を勉強していないものが解説すると、試合の印象が誤った方向へ導かれる。今後、解説者にはJBCで採点基準について事前にベテラン・ジャッジ(森田健氏、あるいは内田正一氏)にレクチャーを受けることを勧めたい。「各ラウンドは独立した採点単位であり、前のラウンドの差の大小は次のラウンドの振り分けに影響しない」という基本線を銘記しないと、いまの世界戦の解説はできない。

あまりに亀田バッシングの勢いが激しいので、「あれは亀田の勝ちだ」とか「あれだけ接戦だったから亀田の勝ちも許容できる」という意見を出せない雰囲気ができてしまった。万機公論に決するならば、反論にも耳を傾ける必要がある。今回、反論(亀田の勝ちという意見)は押しつぶされてしまった感がある。非論理の濁流に長くボクシングを見てきたファンの声は押し流され、次元の低い憶測や根拠のない想像が日本中をかけめぐった。

私は別に亀田というひとりのボクサーを擁護するのではない。ボクシングの尊厳が今回の騒動で汚されたことを遺憾に思う。ボクシング界、長年改良を続けてきた採点方法、WBAすべてが貶められた。二度あることは三度ある、という。台風が過ぎ去ったら、次の災害のために対策をするのが賢明な措置だ。日ごろから採点基準の一般への啓蒙を図るとともに、ボクシング界において判定騒動が起きた場合、それを説明し沈静化する広報部門を設けるべきかもしれない。ボクシング界には説明責任があるはずだ。
(8−17−06)


8月上旬は忙しかった

7月31日、朝4時半起床し、7時10分福岡発、成田行きのジャッジを空港まで送る。同じ便に乗る新王者ルディ・ロペス一行と会う。私は8時10分発羽田行きの便を取っていたが、7時10分発羽田行きに変更。一旦帰宅し、荷物を置き、シャワーを浴びてランダエタの迎えに行く。2時から東京ヒルトンで調印式、記者会見。このあと、成田空港へリングアナウンサーのジミー・レノンJr.を出迎えに行く(成田エクスプレス)。空港で合流した織田君にレノンを任せ、東京プリンスへWOWOW15周年の会に向かう。明日の解説予習があるからといって1時間ほどで退席。

8月1日、朝8時半にはWOWOWのスタジオに入り、1本解説。すぐランダエタのホテルに直行し、世界戦計量。一旦帰宅してひと仕事し、夜は世界戦のレフェリー、ジャッジ諸氏と会食。夜FIGHTNEWSに長い世界戦展望記事。

8月2日、5時前、ランダエタ一行を乗せ、横浜アリーナへ。試合後、ランダエタ一行をホテルまで送る。FIGHTNEWSへはアリーナから速報を入れ、帰宅後、詳細リポート。長い1日。

8月3日、福岡出張以来、久しぶりに事務所に出て書類の処理。深夜1時ごろまで仕事。

8月4日、明日の栗田―ダオロエックの計量。やはり深夜1時ごろまで仕事。

8月5日、ホール。リング・ジャパンは休めない。5日東京、6日刈谷、7日東京、12日東京と鹿沼、13日大阪(OPBF戦)、14日東京と続く。

12日、朝9時の新幹線で大阪の計量に行き、計量後、チャンピオンの金正範にファイトマネーを支払い、その他の処理をして、金沢会長に新大阪まで送ってもらう。すぐ新幹線で帰京し、後楽園ホールへ。元五輪選手、五十嵐のデビュー戦の相手を組んでいたが、何とか開始までに間に合った。

13日は、WOWOW生解説。ラクマン、マスカエフ戦。

14日、相澤―ユーシ戦。これが終われば、20日の東京と敦賀のカードまで間がある。15日から17日まで、夏休みをとる。
(8−15−06)


ウィド・パエスはインドネシア・チャンピオン

某夕刊紙にリング・ジャパンが組んだ
8月20日の亀田大毅vs.ウィド・パエス戦について
パエスがインドネシア王者ではない、という
非難記事が出ていたそうだ。

その根拠はウェブサイトのBOXRECだという。
BOXRECは米国、英国、日本などはレコードをよく集めているが、
比国、タイ、インドネシアの選手についてはリポートで確認した試合しか
載せていない。いわば、歯抜けの記録を掲載している。
それはボクシング界では周知の事実だ。
BOXRECの記録が99%正しいなどとよくいえたものだ。

それをたてに当社が組んだカードをこのように非難するのは
名誉毀損にあたる。

最新インドネシア・ランキングでウィド・パエスがチャンピオンで
あることを示したいので、その夕刊紙は19日の計量に記者を
寄こしてほしい。私自身、資料でもって記者諸兄に説明したい、と思う。
(8-15-06)