19日にウィラポン一行が来日。WOWOWの音入れをして、5時55分発の飛行機で関空着予定が、この便が欠航。欠航はまったく結構ではない。次の便に変え、関空に着くと、8時10分着のウィラポン一行はもう着いていた。千里馬マネジャーの手配したMKシャットルで神戸のポートピアホテルまで送る。この日は実家に泊まる。
翌日、ウィラポンの公開練習を終えてから、一旦帰京。
21日、仕事を終えたのが、深夜の2時。さすがに疲れた。
22日、飛行機で関空着。オフィシャル(レフェリー、ジャッジ)で出迎えのため、午後2時から10時半まで飛行場でパソコンを打ったり、本を読んだりしていた。PCのバッテリー2つが消耗。携帯のバッテリーも3つ消耗。このあたりで仕事をやめろ、という警報だったのかもしれない。
23日が、調印式、記者会見。夜は北野町の北野ガーデンでディナー。高島忠夫と寿美花代がデートした場所だ、と家内に電話したとき教えられた。
24日、計量。夜は千里馬会長の実家の焼肉屋でディナー。
25日、長谷川の見事な右フック・カウンターでTKOフィニッシュ。ウィラポンはホテルから目と鼻の先にワールド記念ホールがあるのに、歩くのを拒否し、車で行くと主張。5時15分ホテル出発の約束で、ちょうど粟生の試合だった。早く倒さないと、終わりまで見られないな、と思っていたところ、2回でKO。すぐホテルに戻り、一行18名の先導。
朝、プールで泳いだのが悪かったのか、仕事がすべて終わり、ホテルの部屋でFIGHTNEWSの詳細レポートを打つとき、眠くてたまらなかった。冷水で顔を洗って眠気を払い、レポートを打ち切り、やっと就寝。
26日、朝6時40分発のイタリア人ジャッジ、シルビを見送り、次は8時45分発のタイ一行を送り、それから朝食。11時からの長谷川選手の一夜明け記者会見に出てから帰京。1時15分初の新神戸発の新幹線で帰京。そのままWOWOWに直行。27日放送分の音入れをして帰宅が10時半。
2月の徳山、ナバーロ戦から世界戦続きで、休みなしだから曜日の感覚がない。そうか、今日は日曜か。明日は月曜だから、明日からまた仕事だ。帰宅して習字をしたかったが、体に力が残っていない。習字は明日。
(3−26−06)
アブラカ・トレーナーが来日中、体調をこわしていてミットを受けるのも大儀だというので、私がミットを受けていた。今後、ライト級で戦うため、スタイルの改造を指示した。こういう練習をすべきだ、とランディとアブラカに説明した。
途中、ハードトレーニングでばてていたので、5分の休憩を入れた。1分+3分+1分休み、深呼吸させて休ませる。1分間の休みなら深呼吸の効果は目立たないが、たまに5分間休み、深呼吸すると体が生き返るのが分かる。その間、アブラカにランディ役をさせ、私のミットを打たせる。あるいは、逆に私がランディ役をし、アブラカのミットを打つ(アブラカもそれくらいはできる)。第三者の目で、打つ角度を見ると、理解しやすい。試合前、スタミナを鍛えるトレーニングなら、5分休憩など入れないが、今回はこの5分深呼吸インターバルが効果的だった。
水曜だったか、あまりにしぼったのでランディはへばり、最後のロープもとべないほどだった。普段、強いパンチを高速回転で打つ練習をしていないからだ。こんな密度の高いミットを打つには筋持久力が要る。そして、パンチを出さないとき、もっと体の力を抜くと、もっと強いパンチが出せる。
ランディが来日している間、10時半に家を出て帰宅しひと休みして会社に出るのが5時。それからぶっ続けに仕事をして終わるのが12時すぎ。
いま忙しいのは当たり前だ。5人の世界チャンピオンと亀田(兄)を担当しているのだから。ミスのない仕事をする責任がある。
(3−17−06)
13日、朝4時に起きて、車で6時着のフッソー・スマジラジック(豪州)の出迎えに行った。夜寝たのが12時で、4時間弱しか寝ていない。眠気覚ましに熱いコーヒーを飲んでから運転した。早朝だから、結構すいていて6時ごろには成田空港到着。
もう1時間到着が遅いと、成田エクスプレスか、スカイライナーの始発に乗り、眠って行ける。夜行便で到着が早いから、私が行った。誰だって、朝の4時に起きて空港へ出迎えに行くのは嫌だろう。そんな仕事は社長がやればいい。
ドームホテルにチェックインさせてから、事前に電話していた通り、ランディたちのビジネス・ホテルに回り、10時から11時まで仮眠。起きて、彼らと一緒に帝拳ジムへ行く。この日も猛練習。1日休み疲労がとれているためか、土曜よりスピードがある。パンチの切れも悪くない。
私のランディへの教え方はいわばほめ殺し。「お前はいい選手なんだ。強いんだ。だが、ここをちょっと直せば、もっとよくなる」といった調子。決して自信を失わせない。怒るときもあるが、それは最小限にとどめる。一対一で戦う格闘技だ。少々天狗になるくらい自信に満ちた方が強気なボクシングができる。悪いところを直すのも大事だが、自分の特長(ランディの場合はパンチの強さ、タフネス)に自信を持たせた方が、試合で強みを発揮できる。
一緒に昼食をとりながら、今日よかった点、悪かった点を話し、明日はこんな練習をしようとトレーニング計画を説明。
一旦、帰宅してひと休みし、日本茶をすすってから事務所へ出る。仕事が終わったのは12時前。夕食が12時半。胃袋が空になり、胃壁を荒らさないように冷蔵庫にバナナを入れてあり、途中それを食べる。最近、終わるのが遅いからバナナばかり食べている。まるでチンパンジー。夜は昼間よく動いているのですぐ就寝。
(3-13-06)
3月12日(日) 19,679歩
3月13日(月) 13,557歩
3月14日(火) 12,062歩
3月15日(水) 18,813歩
3月16日(木) 10,795歩
今週はよく歩いた。
そして、ジムでよくミットを持ちながらステップを踏んだ。
トレーナーは動かなければ・・・。
止まって打ちやすい形でばかりミットを持っているのは実戦的ではない、
と思う。
ちなみに、私の万歩計の最高記録は、辰吉ーウィラポン第2戦で、
2万5000歩を超えていた。両選手の控え室、WBCオフィシャルの控え室、
リングサイドを何度を往復したからだ。あの会場、広かったな。
(3-16-06)
いまランディ・スイコが来日していて、毎日トレーナー役をしている。
速くもなく強くもないパンチをミットに打ったとき、私は怒鳴る。
「Are you a girl? おまえは女か? しっかり打て」と。
腕力のない女性が打つようなパンチを出すな、という意味で、ランディはいつも言われているから、これを聞くと、苦笑いしてしっかりしたパンチを打つ。
実際、強弱をつけさせると、弱くて遅いパンチを出す瞬間が出てくる。これは実に危険だ。ガードが開くのだから。捨てパンチの弊害だ。そんな速く強くもないパンチを出すと、私は怒る。それが危険だ、と教え諭すためだ。軽くて速いパンチなら誰でも出せる。そうでなく、強くて回転の速いコンビネーションを出さねばならない。その私の要求がアブラカ・トレーナーはいまひとつ分かっていない。だから、私自身が教えだした。
私はトレーナーとしてはオールドファションド(昔風)のタイプで、自分のベストパンチをクリーンヒットしたら必ず倒せるようなハードパンチャーを育てるのが得意だ。ルイシト、ガンボア、ランディとみんなそんな教え方をしてきた。最近のトレーナーはリズミカルで回転の速いコンビネーションを教えるのが上手い。ミットを素早く操作するのが得意なトレーナーが多い。
私は違う。きちんと3発クリーンヒットしたらノックダウンを奪えるような強打の打ち方を教える。そして当てるタイミングを重視する(連打の回転よりも)。私がトレーナーの見習いを始めた40年前ごろ、いいトレーナーとは、いかにパンチを効かせるか、それを教え込むのが上手い人をいった。本当に教え方の上手なトレーナーがいた。いろんなトレーナーの教え方を見たり盗んだりして、私の中にはパンチを強く打つノウハウが詰まっている。それをもっとランディに教え込み、もっとハードパンチャーにしたいのだが、なかなか比国へ行く暇がない。私自身、比国という国があまり好きでないせいもある(それはルイシト事件の後遺症のせいだろう)。だから、ときどきランディを日本に呼び、1週間ばかりトレーナーをする。
昨日などミットを受けるとき、よく体が動いた。一旦、帰宅して30分ばかり横になり体を休めよう、と思っていたら、Eメールの返事などで忙殺され、結局休めぬまま夕方後楽園ホールに飛び出した。昼間、ジムで動きすぎた余波が出て、ホールで座っていて眠たくて仕方がなかった。自分が組んだ試合で居眠りしていては人に笑われる。だから、1試合終わるごとに控え室に行ったりして、眠気を覚ました。
歳をとるというのは、回復が遅いという現象に現れる。激しく、速く運動することは、短時間ならできる。しかし、疲労がとれるのが遅い。私の場合、世話をする選手は一人だけだから、目一杯動いても一時間半だ。あと休息をとってからマッチメーカーの仕事にもどればいい。まだ速く動ける自信があるから、気が若いのだろうが、昔より体力は落ちている。
今日は変な日曜だった。朝10時、昨日トラッシュ中沼と戦ったクリストファー・テポラとアブラカ・トレーナーを京成上野からスカイライナーに乗せ、私はランディを伴い、東京都美術館に行った。ランディは書道展など見ても分からないのだが、あとリングシューズを買いに行くから連れて行った。
わが師、徳村先生が鷗友展で準大賞を受けられたので、その作品を見て先生にお祝いを言うために行った。入ったところで先生と会い、大先生の田岡正堂師に初めて挨拶した。「孫弟子です」といって。さあ、初学者も頑張らなくては。
上野から新宿へ。新宿駅の東南口のオシュマンズというシューズ店に行き、丈の短いリングシューズを見るが、ランディは気に入らない(アディダスのレスリング用タイプはラバーが足の裏の中央しか張られていなくて、滑りやすいという)。東口に回り、ミナミスポーツへ行ったら、もうつぶれてない、と近所の店の人にいわれた。
それならと、渋谷のセンタースポーツへ二人で行った。ここにランディの気に入るアシックスのシューズがあった。サイズは28だから、かなり大きい。ランディの足の親指を見ると、普通の人はびっくりする。すごく大きい。だから、足を踏みしめ、強いパンチを打てるのだろうが。それから、ジョッギングシューズを買いに行き、ホテルにもどる。アブラカが帰っていた。
私の万歩計はこの時点で1万4000を超えていた。ちょっと疲れたので、ベッドの端で目を冷やしながら横になった。そのまま眠っていたようだ。一時間ほどして千里馬マネジャーから電話がかかった。よく電話をかけてくれたものだ。さもなければ、ずっと寝ていたところだ。横を見ると、ランディとアブラカも昼寝をしている。
本当は、公園で日曜も練習するはずだったが、疲れているのなら休ませよう、と思った。「私は帰る。今日の練習はなしだ」と。早く帰って書道をしたかったせいもあるが、みんな寝ぼけた状態でいい練習はできない。北の丸公園で、選手のミットを持つのも気が引ける。周囲の人が見に来るのが嫌だし・・・。ともかく、今日はなし。
車中、「チンギス・カン」(中公新書)を読んでいたら、電車を一駅乗り越した。あと少しだから、帰宅してからも読み続け読了。いま中国の元の時代に興味があり、この本は面白かった。
マッチメーカーというのは土日曜の仕事だから、今年ダイナミックグローブが月三回になってから、休日がなくなってしまった。私にとり休日というのは、家を出なくていい日という意味で、土曜も日曜もたとえ数時間でも仕事のために家を出ることが続いている。
徳山―ナバーロ、新井田―バレラ、亀田―ボウチャン、福島―カオナーとずっと休みなし。普段は夜の11時すぎまで会社で仕事をしている。閑古鳥が鳴くよりはいいだろう。もう少し習字の時間が欲しいのだが。忙しすぎて、一日に30分の習字の時間もとれないとき、機嫌が悪くなるのだが、これも仕事だ。責任を果たすためだ。仕方がない。それは森鴎外の諦念(あきらめ)に通じる。
(3−12−06)