福岡にいても次々と会長諸氏から電話があり、それをフォローしていると多忙となる。
午後4時から計量。
計量後、ファイトマネーなどの支払い。
夜、オフィシャル諸氏、越本会長などと会食。
明日のため、早く床に就く。
(1−28−06)
正午ドクター山田ホテルに来訪あり、寿司屋にて昼食を馳走になる。
腹ごなしに大濠公園の入口、コウロ館、平和台球場跡を歩く。
コウロ館は飛鳥、奈良、平安時代の迎賓館。唐の商人、新羅の外交使節をもてなすための施設だ。中に入り、種々の陶磁器、木簡(木の上に書いた書状)などを興味深く見る。歴史の年輪を感じる。
ホテルにもどり二人で談笑し、オフィシャルとともに福岡駅前のホテルに移動し、調印式、記者会見に臨む。
夜、青年商工会議所の越本激励パーティで、乾杯の音頭をとる。スクリーンに映し出される両選手の過去の試合につけて、明後日のタイトル戦の展望を話す。乞われたら、何でも消化せねばならない。
(注)コウロ館のコウはこうのいけのコウ、ロは月偏に盧だが、この「ひとりごと」に貼り付けるとほぼ全文が文字化けするため、あえてコウロと記した。
(1−27−06)
12:30羽田発、14:30福岡着。
堀マネジャー、ドクター山田の出迎え。ホテルに一旦入り、夜オフィシャルの出迎え。
メキシコのジャッジの便が2時間遅れ7:40関空着で、7:20の関空ー福岡のJAL便に間に合わない。JALに頼みこみ、8:40のANA便に乗せてもらうよう依頼。最初、断られたが、そこは交渉のスペシャリストだから、担当の女性を電話で説得。
堀さんと二人で福岡空港へもどり、2名をピックアップ。
メキシコのジャッジは朝長君が出迎え。
ホテルでそのメキシカンのチェックインを手伝い今日の仕事は終わり。
(1−26−06)
朝、銀行へ行き、OPBF承認料の代理振込み(外国為替係から振り込むのを面倒と思う会長が少なくないので)。
午後、事務所。
夜、小林生人ーヨーデット戦マッチメーク。
タイ人の初回KO負けに苦虫。
小林は渡邉ー阿部の勝者に挑戦するのでポカをしない相手を頼んだが、このタイ人選手はよくなかった。反省。
夜、九州へ出張前、片付けるべき仕事を処理。そのためにはホールのメインが早く終わったので時間が取れたのだが・・・。
11時を過ぎてから長島会長、大橋会長、高橋直人会長、本田会長と電話。
みんな私をせかせる。ハイ、がんばります。
(1−25−06)
10時からWOWOW音入れ(パーラーアスロウム、ナルバエスーイノ)。
2時過ぎ終わり、帰宅後、事務所。
6時半ごろ事務所を出て帰宅し、すぐホールへ出る。
ちょうどセミが始まる直前で、メインのキムー川崎戦に間に合った。
終わって、飯店のエディ・タウンゼント賞の会場に顔を出しスピーチ。
帰宅12時。それから1時間、マッチメーキングの仕事。
明日、三迫会長がメキシコへ出るため、ホテルなどの確認。
ロデル・マヨールの到着便をWBCオフィスに確認。
スライマン会長、WBCスタッフにマヨールのビザが取れ飛行機に乗ったことの礼。
(1−24−06)
昨日、大雪だったので車でホールに行くのを控え、スニーカーを履き雪の降る中を歩いて行った。
雪をジョリジョリ踏みしめながら歩くとまったく滑らず快適。
しかし背広を着て、下はスニーカーというのはまるでニューヨーカーみたい。
今日、WOWOW音入れ。今日もスニーカー。どうせ足は映らないだろう。
パッキャオがあれほど鮮やかにタフなモラレスを仕留めるとは。
帰途、東京駅で降り、1冊だけ書道の本を買うつもりが1時間もそこにいた。
こういうメモ調で書くなら5分で書ける。今年は長いエッセイを書くようにリキむより
このメモ書きパターンで行こうか、と思っている。
そうだ、昨日、ホールで酔っ払った観客が投げたビール・カップが背中に当たり、
ジャケットがビールで濡れた。
若者はSジムの関係者だと名乗り、私に洗濯代として1万円札を渡そうとする。
「いいよ」といっているのに、あまりにくどいから頭にきた。
「よせよ!そんなもの受け取れるわけないだろう!」と言った。
私はヤクザではないぞ。
S会長、ジムの関係者ならホールでビールを投げないように教育してくださいよ、得意のビンタで。
(1−22−06)
1.WBC、WBA総会で講演
総会において、いままで何か東洋人ゆえの、あるいは日本という世界のボクシング界の中の孤島にいるための、劣等感があった。どうせわれわれ東洋人のいうことに欧米人や中南米人は耳を貸さないだろう、という一種のあきらめだった。だから、軽量級の自分がかかわる選手のランキングや指名挑戦権についての議論のときだけ発言してきた。そのときだけは最後まで頑張り粘って主張を通してきた。総会の会議場で多くの人たちの中で立って英語やスペイン語で自分の主張をするのには度胸がいる。私があまりに執拗に粘るので、議長のスライマイン会長から「もう分かった。あと1分だ」といわれたことがあったほどだ。私の兄貴分のメキシコのベテラン・マッチメーカー、ラファエル・メンドサはその交渉のしつこさで「コブラ」と呼ばれるが、私はさしずめコブリタ(小型コブラ)かな。自分のクライアント(会長)の選手でWBCランキングに入って当然の選手はどんなことをしても押し込む。そのために総会に出ているのだから。
今回、東洋のボクシングライター兼マッチメーカーとして、10点法の問題について講演する機会を与えられた。私などの主張を傾聴してくれた彼らに感謝している。WBC総会では英語、WBA総会ではスペイン語で講演したが、その原稿を何度か書き改め、主張がより明確に伝わるように工夫した。その過程で、新しい勉強をすることができた。またやりたい、と思う。
東洋から私が提言したいことは、いくつあるか?
10ある。
10よ(東洋)。
2.ランディ・スイコの米国での敗戦
9月、ランディをロサンゼルスで元ライト級王者ハビエル・ハウレギと対戦させたが、判定で敗れた。昨年、ランディは2試合しか戦っていない。米国の興行ビザを取るため約3ヵ月もかかった。世界ランキングは3位から13位まで落ちた。待っていれば、指名挑戦者決定戦に出られるのに・・・という批判も聞いた。しかし、そんな形でもし世界タイトルに挑戦できたにしろ、いまの実力でどうしてチャンピオンになれる? 東洋のS・フェザー級のレベルは低い。東洋に置いていては実力がつかない。今後とも東洋圏以外の国で戦わせたい。それでつぶれるのなら、力がないということだ。勝てもしない実力で世界タイトルに挑戦するならしない方がましだ。この筋金を入れる路線を取ったために遂に世界挑戦の機会が訪れなかったら、それは仕方がない。それはそれでいいではないか。そうなったら私をマネジャーにしたことを恨んでもいい。私はしかるべき選手の育て方、試合の組み方をする。
3.書道のこと
私はいつも生活の中で初学者である部分を作ってきた。長くボクシング界にいて仕事をしていると、それなりの名前や地位ができる。歳を重ねると、新しいことに取り組み挑戦する意欲が薄れる。失敗をおそれるためだ。それではいけない。だから新しい外国語を勉強したり、いまの仕事と直接関係のない分野の本を読んだりして自分を刺激してきた。自分の中の驕りや慢心を戒めるためもある。
その対象ができた。いまは書道だ。まだ二年だが、日に一度筆をとり自分の筆跡を見ることで謙虚になれる。いまさら書道家になれるわけはない。始めるのが遅かった(あと十年早く始めていれば、もっと上達していただろうに)。単なる素人の愛好者でいい。ライバルなどいない。敵は自分自身だ。怠けたかったら、今日書くのをやめてもいい。進歩が止まるだけだ。
設計技師だった父も晩年に書道をよくした。続け字を書かず、楷書ばかり書いていた。なぜ行書を書かないのかと問われ、父はいった。「楷書さえまともに書けないのに、なぜ行書が書ける。漢字というのは楷書をきれいに書ければいいのだ」。それは行書や草書を否定する暴論なのだが、王陽詢の臨書などは上手かったのだ、と思う(ただし、子供の頃の私には父の書道の巧拙を評価する批評眼がなかったから、どの程度かは分からないのだが)。
いま私は暇さえあれば、行書のくずした字の形を覚えようとしている。いずれ十年後か二十年後、流れるような文字の手紙を書きたい。それにしても自分の下手な字を見るたびに「役にも立たぬ外国語をかじったりせず、なぜもっと早く習字を始めなかったのか」という後悔の念が沸き起こる。
4.速報メール
試合結果や新情報をいちはやく携帯電話(またはパソコン)に送るサービスが定着した。2005年は510メールを出した。後楽園ホールの試合が終わり、すぐ速報を送る(あるいは外国で番狂わせが起こると、すぐ速報を出す)。帰宅して英文でインターネットにより世界各地にその結果を伝える。この自分が送る速報メールがいいデータベースになることに気づいた。パソコンで検索もできる。その便利さに自分でも驚いた。ただし、1ニュースにつき1つの件名をつけることが望ましい。
なぜこんな便利な情報伝達手段である速報メールがもっと伸びないのだろう。多分、宣伝不足のせいだろう。あるいはこれだけの情報を必要とするボクシングファンが少ないのかもしれない。試合予定、結果、情報、ゴシップ、採点表など工夫しだいで、携帯にいろんなメールを送れる。体調に留意し、速報メールを継続しよう。
5.リング・ジャパン・クラブ会報
2005年、会報を「ボクシング評論」と改称し、ボクシング科学講座などを書き、ボクシング研究誌の形をとった。しかし昨年の後半、息切れしてしまった。だが減量のコツ、エネルギー発生の構造、食事のエネルギーに変換されるプロセスなど、書くべきことはほぼ書き終えた。「わが想い出の名ボクサー」、「ボクシング改造論」なども企画としてはおもしろかった。
2006年は元の「ボクシング・ファン」にもどり、できるだけ私は書かず、会員のオピニョン誌にする。これでより定期的に会報が発送できるだろう。いつも会報の日程を妨げるのは私だった。忙しくて、「もう2日ほしい」とかRJスタッフにいい、翌週印刷出しになったりした。今年はそれがなくなる。2005年、私なりに限られた時間の中で、スポーツ科学講座を復習し、その中のボクシングに関連するエッセンスを「ボクシング評論」に書いた。私は満足しているし、それが参考になった読者(会員)もいる、と信ずる。
6.リング・ジャパン改造
改造といってもそれほど大幅に会社を変えることはできないだろう。しかし年間170試合もの数を消化する体制ではなかった。今年はもっとマッチメークする試合が増えそうな勢いだ。
私が意図するのは、マッチメーキング資料の整備だ。
(1)候補リスト
(2)レコード
(3)ビデオまたはDVD
(4)写真(ポスター用)
これを連動するパッケージとして整えておきたい。誰がするか?社員諸君は自分のノルマで精一杯だろう。私自身が立案し、着手し、実践しなければいけない。そのために、年末、正月も事務所に出て、ひとりハウスキーピングをした。私の後の本箱を処分し、スペースを作った。
膨大なマッチメーキング資料も法定期間の3年を越すものはすべて消却し、スペースを空けたい。それも自分でやる。「This land is my land」という歌があるが、This company is my companyなのだから。自分なりにベストを尽くせばいいのだ。それ以上のことができなければ、それはリング・ジャパンのマッチメーキング能力の限界だ。
(1−21−06)