リナレスと戦ったアヨン・ナランホ(比国)は横浜の病院に運ばれたが、危機を脱したようだ。マネジャーのレオニルは病院で徹夜をした。横浜までナランホの見舞いに行き、レオニルと一緒に東京に戻る。東京のホテルを引き払い、横浜のホテルに移すためだ。YAHOOで病院近くのホテルを探した。朝長君に東京のホテルまで来てもらい合流、彼がレオニルと横浜へ同行。私は事務所へ出た。
(9−26−05)
ロスから一番早く成田に着く便に乗ったが、午後3時着予定が空港付近の強風のため上空で1時間以上旋回。結局着陸したのが4時すぎだった。空港から東京まで成田エクスプレス、東京から新横浜まで新幹線。接続が悪く、横浜アリーナに着いたのは、新井田、ゲホン戦の3ラウンド目だった。すぐリングサイドに行き、パッキャオたちと会った。新井田も長谷川もよく頑張った。
長谷川の試合終了後、すぐ緊急入院したアヨン・ナランホ(リナレスに敗れた比国人)の見舞いに直行。病院を出たのが夜11時半。都内のホテルでゲホン一行の帰国の手配を確認し、サルード・マネジャーたちと遅い夕食。帰宅は2時すぎ。ちょっと疲れたが、これも仕事だ。
(9−25−05)
9月23日(金)ロサンゼルス
元IBFライト級王者ハビエル・ハウレギ(メキシコ)
10R 判定2−0 (99−91)x2、95−95
OPBF S・フェザー級王者(WBC3位)ランディ・スイコ(比国)
午前中、会場を下見に行った。ホテルからタクシーで5分足らず。帰途、ボクシング興行から撤退したオリンピック・オーデトリアム(ロックコンサートの準備中)、オリンピック・ジム(廃墟)を見てから戻る。
大学のキャンパスの中に試合会場がある。まだ陽は明るく、構内を学生たちが歩いている。アメリカに留学していたら、こんな雰囲気の中で生活していたのだろう、と思う。10代の頃、ジョン・トーマスという走り高跳びの選手がいて、たしか南カリフォルニア大学の学生だったように憶えている。新聞には南加大と書いていたような気がする。それがここだ。
50メートル・プールがあり、普段25メートル・プールで泳いでいる私は、「ひと泳ぎしたいな」という強烈な誘惑に駆られる。大事な試合の前、マネジャーが水泳していてどうする。アメリカに泳ぎに来たのではない。しばらくスイマーの動きを眺めていた。
ランディは予想外の判定負けをしたが、いい勉強になった。鍛えなおすべきポイントが見えた。前半、トリッキーな動きに撹乱され、中盤から追い上げ最終回には一方的に攻めまくったが、仕掛けがやや遅かった。ランディは世界3位で東洋では無敵だし、相手のハウレギはIBF7位、歳は32歳(ランディは25歳)。心中、楽勝だろう、と思っていたが、ベテランの撹乱戦法に引っかかった。本来ファイターのハウレギが逃げまくった。あれでは、勝又行雄がレズギー・ギザニーの逃げ足に追いつかなかったようなものだ。
ランディが日本の選手なら、マネジャーの私は大いに批判されていただろう。「世界3位のOPBF王者をなぜアメリカに連れて行く必要があったんだ?」と。マネジャーは私だ。フェザー級以上は東洋に置いて試合をさせていては強くならない、と私は思う。筋金が入らない。米国、メキシコのトップとのレベルの差が大きいからだ。
負けたが、非常にいい負け方だ。再戦すれば、ハウレギに勝てるだろうし、本人は発奮して、敗因の克服に励むだろう。これで米国で1勝1敗。負けて逆に今後アメリカで試合が組みやすくなるかもしれない。今後OPBF王座を保持しつつ、米国に試合のベースを移したい。
選手には、「自慢の強打が当たらなかったな」と笑いながら言っただけ。アブラカ・トレーナーには課題をかなりきつく注意したが。ランディには2週間後の練習再開後、時間を置いてから注意する。いま負けて悔しいのに、とやかく言うと自信を失う。何か自分が矢尾板さんや小林さんを連れて海外遠征をした中村信一会長になり、「虹の戦記」を踏襲しているような気がした。
(9−23−05)
ある試合のため、ロスに滞在中だ。
選手、トレーナーと私の3人だけだが、ジムに行くか、ホテルの周囲を一緒に散歩する以外は、ずっとホテルにいる。
今朝など6時に目が覚め(私の時差はとれた)、ホテルのアスレティック・ルームが開くのを待ち、1時間マシーンでジョッギング。それから選手が起きてきて、外がやや寒いので、そのアスレティック・ルームでロープを跳ぶのを見ていた。その間、私は自転車のマシーンを漕ぎながら、そのトレーニングを見守った。
昨日までデラホーヤ・ユース・センターで練習していたが、今日はほぼ体重ができているのでホテル内で動いた。130と3/4だから契約体重より1ポンド1/4軽い。計量前日でこれだけアンダーだったら、ゲータレード(スポーツドリンク)を飲めるし、軽く夕食が摂れる。
夕方5時ごろから泳いだ。まだ水は温かいが、泳いでいるのは私だけだった。プールからあがり、ロビーを通ると、飛行機のランディングが成功した瞬間、みんなで拍手をしていた。
選手と年齢差があるので、私が一緒にいると、彼は緊張する。私は説教癖があるし・・・。だから、彼の部屋にいるのはほどほどにしている。マネジャーというのは気をつかう。
いま併読しているのは「物語 ラテン・アメリカの歴史」と「空海の風景を旅する」だが、CNNをかけながら読んでいるので、ついついTVの方を聴きいってしまう。早く帰って静かな部屋で習字がしたい。
(9−21−05)
いま自己改造中なので、ひとりごとを書く時間があまり取れない。改造中というのは、もっとレベルの高い人間になるためには今後どう生きるべきか、を考えることで、かといって私がやってみたいことをし、読みたい本をすべて読むには、150歳くらいまで生きねばならず、それはまず難しそうだから、目標設定を低くして生きねばならず、そのためには一体自分が何をしたいのか、を自分自身に問い詰めねばならない。そんなことを考えていたら、とても「ひとりごと」を書く時間的、精神的余裕が持てない。
しかし、忙中閑ありという。ちょっと思っていることを書いてみよう。
部屋で音楽を聴くのをしばらく一切やめた。聴くのは自宅から会社までの車中、片道15分間くらいなものだ。いま世の中、音があふれすぎている。騒々しくてかなわない。静寂の中で何かをする片時が非常に貴重に感じられてきた。読書と習字に熱中しているからだろう。その両方とも静けさの中でする行為だ。
先日、小沢征爾「ボクの音楽武者修行」(新潮文庫)を買って読んだ。初出は昭和37年だから43年前に出た本の文庫版だ。
この夏読んだ本の中で印象に残った中の一冊は、「太平洋戦争 人物列伝」(扶桑社)だった。扶桑社の本だから「新しい歴史教科書を作る会」路線の内容だが、軍人たちの死に際に興味を持って読んだ。付録のCDに昭和天皇の玉音放送、終戦の詔勅などが入っている。
その本の中に、甘粕正彦が服毒自殺を遂げたとき、部屋の外で見張りをしていた満州映画科学研究所主事、赤川孝一は作家赤川次郎の父だと出ていた。また関東軍参謀本部嘱託、小澤開作は息子に板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつとり、征爾と名づけたという。それが指揮者の小澤征爾だという。
しかし、本人の書いたこの文庫本を読むと、その名前の由来が出ている。普通の音楽ファンはその名の出所をもう知っていたのだろう。ただし、私のような戦記愛読家と違い、板垣征四郎や石原莞爾についてみんなどれだけ知っているかは分からないが。
その小澤征爾の本の中にボクシングの練習に応用できることが書いてあった。
「力を完全に抜ききるということが、どのくらいむずかしいことか(中略)。力を抜くということ、自分の筋肉の力を抜ききる状態をつくることが、指揮のひとつのテクニックだとぼくは思っている。それを同じようなことを、(中略)シャルル・ミュンシュも言っていたし、カラヤンも、ベルリンでぼくに教えてくれたときに言っていた」
楽にガードして構え、自分が打つ直前まで、できるだけ力を抜くといいパンチが出せるし、相手の攻撃に対するディフェンスにおいて瞬発力を発揮できる。
これは、他の分野にも適用できるコツだ、と思う。すぐ緊張する人間、こわがり(関西弁でいう、びびり)、臆病な人間、何でもうまくやろうとしすぎる完全主義者、自分の能力に不安を持つ人間などは、肝心の行動の前に力が入る。リキんでしまう。
ここで世阿弥の「風姿花伝」にも「体の力を抜け」ということが書いてあったような気がして読み返したが、記憶違いだった。ただし、「この芸において、おほかた七歳をもて初めとす。このころの能の稽古、必ず、その者自然としいだすことに、得たる風体あるべし。舞、働きの間、音曲、もしくは怒れることなんどにてもあれ、ふとしいださん懸かりを、まづ打ち任せて、心のままにせさすべし」とある。この自然(じねん)が、気持を楽にもつこと、そして自発的にすることに通じる。
ここで自分の書道において考える。なぜもっと滑らかで、且つ形のよい、流れるような字が書けないのだろう。それは「上手く書こう」という意欲が強すぎて、体に力が入っているからだろう。もっと楽に筆を動かさねばならない。
では、なぜ指に力が入るのだろう。それは、力を抜くことに慣れていないので、力を抜いて書くと、筆先がフラフラして制御できず、半紙の上をとんでもない所まで走ってしまうからだ。いまの私の習字のレベルでは、ある程度リキんだ方がいい字が書ける。ところが、そうしてリキんで書いた字は、線が生きていない。もっといい字を書くには、リキまずに筆先をコントロールできないといけない。
ボクシングでもそうだ。あまり体の力を抜くと、ブランブランになり、相手のパンチに吹っ飛ばされたり、自分が打つパンチにまったくパワーを込められないケースが出てくる。そうではなくて、構え(オン・ガード・ポジション)をとることにおいて必要最小限の力(姿勢を作るための力)は入れ、それ以上の無駄な肩、背中、腰、ヒザ、足首のリキみをとる。全身が一体化したゴムのような気持で構え、相手の動きにキビキビ反応していく。そうすると、反応がよく、タイミングのいい強いパンチが出せる。
それを英語で何とランディ・スイコに説明するか。日本語でも上手くいえない。自分では分かりかけているのだが、他人にうまく伝えられない。
そんなもどかしさを感じながら、今日も習字をする。私にとり、習字はボクシングに通じる面があり、それは精神修養の糧となるような気がするのだが。
(9−14−05)