まだ名古屋にいる。WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチのマッチメーキングを終えた所感を述べたい。
石原選手にはこれまで何度もやめようとしたことがあった。彼に柳和龍トレーナーを紹介したのは私だ。そのコンビを側面からサポートしてきた。結果は石原の敗戦で、石原は多分これで引退が濃厚だ。不器用な石原をこれまでに育ててくれた柳トレーナーに感謝し、いま慰めの電話をしたところだ。
ボクシングは勝ったり負けたりだ。それは人生にも通じる。いつも成功ばかりしている人間はいない。失意のとき、いかに自分を励まし、その挫折を将来の糧にできるかで、その人間の器量が決まる。松田会長も捲土重来、またいい選手を育て、世界タイトルに挑んで欲しい(電話したら、もう寝ていた。悪かった)。
今回の世界戦を支援してくれた人たちにマッチメーカーとして心より感謝の意を表したい。
(6−26−05)
ドイツから戻った。
ドイツ語は私にとって本当に役に立たない言葉だった。習ったのは18歳から19歳半までだが、以後約40年間、ほとんど使う機会がなかった。若い頃、あれほど一生懸命文法を憶えたのは何だったのだろう。単なる知的訓練にすぎなかったのか。
27歳のとき、欧州旅行をし、初めてドイツに行った。そのときは、学生時代に習ったドイツ語がそこそこ通じた。以後、井岡の世界戦でドイツ人のジャッジが来たことがあり、少しドイツ語を使ったが、かなり忘れていたし、彼が英語を話したのでドイツ語を復習する必要もなかった。サラリーマン時代の最後の仕事は特許・契約関連の仕事で、ドイツ語の契約書を読むことが少しあった。それだけだ。
なぜ社会人になってから、もっとドイツ語を勉強しなかったのだろう。日本の風潮がどんどん米国に傾倒し、文化は米国一辺倒になった。その反面、かつてドイツを模範とした工業化学はドイツを離れ、米国にモデルを求めた。その傾向はいまも続いている。仕事の中でドイツ語が要求され、それを使うという機会がほとんどなかった。
私は別にドイツという国にあまり興味がなかった。言語に興味を持つためには、Motivation(動機づけ)が要る。ドイツには私を言語学習に駆り立てる何かがなかった。ドイツでボクシングの人気が復活したのはヘンリー・マスケ以来で、割と最近だ。私は少々本を読むが、あまり文学に傾き過ぎないようにしている。小説ばかり読んではいられない。私が本から読み取りたいのは知識であり、考えるヒントである。文学を読んでもそんな知識が得られる場合もあるが、小説や詩は知識の源泉として密度が薄いから、できるだけ小説は読まないようにしている。
ドイツ語で書いた作家でほぼすべての作品を読んだのはフランツ・カフカだけだ。ゲーテの「箴言集」や「若きウェルテルの悩み」は読んだが、あまりよく鑑賞できたとはいえない。その点、カフカは一人暮らしをしながらコツコツ何かをするのが20代の自分と重なるような感じがして、その作品を何度も読んだ。しかし、日本語の全集を読んだのであって、ドイツ語を復習しカフカを読もうという気にはならなかった。
オケロ・ピーターのドイツでの試合が決定してから1ヵ月以上の余裕があった。必要に駆られて、40年ぶりにドイツ語の復習を開始した。1ヵ月という時間をどう考えるか? 1ヵ月もある。あるいは、1ヵ月しかない。ともに正しく、その1ヵ月をどう使って自分の錆びついたドイツ語を多少なりとも磨くか。それが問題だった。
私がとった復習法はこうだった。
(1) 学生時代の薄い文法テキストを読み直した。意外にもよく憶えているのに自分でも驚いた。そして若い頃の自分を思い出し、ちょっと懐かしい気がした。
(2) 目的を旅行で使う日常会話、その会話力強化に置いた。すなわち、難しい本を辞書を引きながら読むより、旅行用のドイツ語の文例集、そのCDを繰り返し聞く方が短期の促成学習としては有効だ、と考えた。
(3) 寝る前に、「レクラム文庫で読むドイツ語」という本を少しずつ読んだ。最初がハインリッヒ・マンの文章、つぎがカフカのそれだった。なかなかいい。これは、今回の旅行が終わっても、ドイツ語を学び続ける動機づけを求めるための読書だった。
自宅から後楽園ホールに向かうJRの中でもCDを聞いていた。2度ばかり四谷で乗り換えるところを御茶ノ水まで乗り過ごした。熱中していたのだろう。
基本的な会話というのは、つぎのような表現をいえ、相手の返事を理解できればことが足りる。
日常的あいさつ
〜(物)をください
〜してもいいですか
〜してくれませんか
〜を教えてください
これはいくらですか。
〜までどのくらい(時間あるいは金額)かかりますか。
など
ドイツへ旅立つまで毎日CDを聞いたのは、「ドイツ語自遊自在」(JTB)のそれだった。別に他のドイツ語基本会話のCDでもよかったのだが、たまたま持っていたのでそのCDを聞いた。
旅のガイドブックとして持って行ったのは、
「ワールドガイド ドイツ」(JTB パブリシング)
「地球の歩き方 ドイツ鉄道の旅」(ダイアモンド)
だった。本当は、「地球の歩き方 ドイツ」が欲しかったが、いま改訂中とのことで、代わりに2冊を求めた。それが結構役に立った。
ドイツにいた間読んだ本の中の1冊は、「物語ドイツの歴史」(中公新書)だった。ドイツにいながら、こんなコンパクトな歴史の本を読むと、よく頭に入った。
私は7日に成田からロンドン経由で夜8時にミュンヘンに着いた。なぜミュンヘンまでルフトハンザ航空の直行便にしなかったか。それは英国航空の方が値段が安く(約12万円、1100ドル程度)、ドイツのプロモーターの負担を少しでも軽くしたかったからだ。もし将来、日本の選手をドイツのプロモーターが使うときのため、「案外、日本からドイツへの往復旅費は安いんだな」と思わせたかったからでもある。先駆者は畑を耕さねばならない(と、ヴォルテールの「カンディード」のようなことを思う)。
翌8日の午後、ピーターは松尾会長、東マネジャーと一緒にラスベガスからサンフランシスコ、チューリッヒを経由してミュンヘンに着く。それを出迎えに行った。試合会場、そして私が先にチェックインしたホテルはケンプトンにあり、それはミュンヘンから鉄道あるいは車で約2時間、距離にして175キロの場所だ。
ホテルにプロモーター傘下のマルコというインテリ風の青年が迎えに来て、彼と一緒にミュンヘン空港へ行った。会話はドイツ語と英語のミックスだった。9日にWBC3位でWBCインター王者ジナン・ザミル・ザムとピーターの合同記者会見があるとの予定を聞き、英独・独英辞典を引きながらスピーチの原稿を車の中で書いた。ちなみに、私のドイツ語は瞬間的に英語を経由する。その方が自分で何かをいう場合、あるいは相手がいったことを理解する場合、文法構造の点で早いからだ。外国人である自分が何らかの言語を使う場合、その即応性というか、読み、書き、話すスピードというのが非常に重要だ、と思う。モタモタしていたら、相手との会話が出来ない。
松尾会長たちを待っている間に、マルコにスピーチ原稿に手を入れてもらった。より適切な単語、表現をアドバイスしてくれた。彼らのチューリッヒからの便が遅れたので、待つ時間が長くなり、そのあいだに私が何度もスピーチの原稿を読み、発音やイントネーションを直してもらった。あとは暗記をすればいい。
ボクシングでいいジャブ、ワンツーが打てれば、そこそこ戦えるのと同様、私のドイツ語トレーニングの成果はまあまあだった。必要なことはすべて通じた。ただし、単語の数が限定されているので、難しい議論は出来ない。それは1ヵ月という短期間の復習だから仕方がない。CDを何度も聞き、相手の早い話し方に耳を慣らしていたので、結構、ホテルのフロント、鉄道の駅、本屋、文房具屋、スーパーマーケットで言葉が通じた。
私は度胸がいい方だから(それだけが取り得)、9日の記者会見でのスピーチはうまくいった。練習した中のベストに近いスピーチが出来た。というのは、思い出しやすい論理の鎖でつないだ、短いやさしい文法的構造の文章を用意したからだった。1ヵ月間、CDでトレーニングしたから発音もよかったのだろう(それがCDを使った学習の利点なのだが)。
それをここに再現してみよう。
Wir freuen uns, Sie zu sehen. Peter Okello ist ein Afrikaner wohnend in Japan. Peter is der meister von der OPBF. Er verteidite seinen gurtel achtmal, und ist jetzt nummer eins in Asien. Wir wissen, dass Sinan Samil Sam ein starker meister ist, aber Peter wird versuchen ihn zu shlagen und den gurtel nach Japan zu bringen. Viel Erforg!
これを英訳すれば、こうなる。
We are glad to see you. Peter Okhello is an African living in Japan. Peter is the champion of the OPBF. He defended his belt eight times, and is now No.1 in Asia. We know that Sinan Samil Sam is a strong champion, but Peter will try to defeat him and bring the belt to Japan. Great success!
ドイツの関係者は勘違いをしたらしい、私はドイツ語が得意だと。記者会見のあと、多くの人たちが私にドイツ語で話しかけてきた。それも早口でだ。恥ずかしいが、途中で英語に変えてもらわねばならなかった。私の語彙は限定されている。日常会話は非常に流暢に話せるが、こみ入った話はできない。あまり早口でペラペラ話されると、理解が追いつかない。ドイツ人は普通のインテリならほとんど英語を話す(ややドイツ訛りの英語だが)。だから、大事な話は、ドイツ語が分かったふりをせず、英語で論点を確認した。
10日、松尾会長たちとケンプテンの街に出た。ダウンタウンにショッピングセンターがあり、そこで文具店に入った。ドイツにはSTEADLERなど有名な文具メーカーがある。書きやすいボールペン、水性ローラーペン、マーカーなどを探した。日本製のものも数多くあり、比較検討すると日本製のものが総じていい。毛色の変わった文具などを買ったが、それでも50ユーロ(1ユーロは約140円)もしない。会長が後援者への土産としてワインを求めている間に隣の書店に入った。
「フランツ・カフカの本はどのあたりにありますか?」
「その柱の後にいくつか置いてあります」
「カフカはいまでも若い世代に読まれるのですか?」
「そうですね。現代的なテーマで書いていますから」
店員とそんな会話をして、カフカの代表作4冊がセットになったケース入りのものを買った。19・90ユーロだった。荷物を増やさないようにしようと思っていたのに、こんな重い本を買ってしまう。
「日本に帰ってもドイツ語を勉強し続けるんだぞ」と自分に言い聞かせる道具としてこの本を買った。
11日、試合の日、会場に美人のコミッション・ドクターが来ていた。ロミー・シュナイダーをもう少しクールで知的にしたような感じで、しかもセクシーないい女だった。「こんなドクターが日本にいたら、日本でも人気が出るだろう」と会長たちと話した。昨日の計量のときにも、そのドクターに会った。そのときは化粧をしていなかったので、端正な顔をしたドクターだな、と思った程度だった。昨夜、ザウアーランド・プロモーターの招待で、会長と一緒にイタリア・レストランに行った。イタリア、ロシア、アメリカ、イギリスなどいろんな国からのゲスト、関係者と一緒だった。その美人ドクターも来ていた。髪を後に束ね、化粧をしているから昼間とは別人に見えた。歳は30歳から35歳くらいだろう。
そのドクターが試合前、止血剤のアドレナリンをくれた。欧州、英国ではアドレナリンはコミッションの支給だ。ふたを開けようとしたが、うまく開かない。ジャッジの横に座っていた彼女のところに行き、「開け方がわからない。ビンを壊したくないので開けてください」といった。ちょっと話をしたが、私がドイツ語で話しかけているのに、ずっと英語で答える。私がドイツ語を分からないと思っているようだ。近くで見ると、やはりいい女だった。もっと話をしたかったが、アドレナリンのビンを開けて私に渡すと、リングの方を向いた。その横顔を見ていたら、彼女に「まだ何か用?」といった感じでにらまれた。「ダンケ・シェーン(ありがとう)」といって、私はピーターの控室にもどった。今回は家内が一緒に来ているので、私が彼女に話しかけたのを見て笑った。私が昨日から「いい女だな」と話していたから、「やっと話ができたわね」といわれた。美人と話ができたのも、ドイツ語を学んだ効果だろう。
あとで聞くと、この女性は貴族の出で、バロネス(Baroness 男爵夫人あるいは女男爵)らしい。そんな高貴な女がなぜボクシングのコミッション・ドクターなどをしているのか? 「変わった貴族もいるのさ」といわれた。家内は女だから(当たり前だ)、昨日の晩餐のとき彼女の指輪を見て、「まだ独身だわ」という。ピーターの試合が始まると、私はセコンドをしたのでコーナーのすぐ横に彼女がいたが、女どころではない。「ボマエ、ボマエ!(やっつけてしまえ、というウガンダ語)」と何度も怒鳴ったが、笛吹けどピーターは行かず。ドクターの彼女から見たら、私は姫路木下の前会長みたいなセコンドに映ったかもしれない。ザムは、パンチはない、スピードはない、テクニックはない、並の選手だった。ただがむしゃらに出てきて、タフなだけだ。惜しい星を落とした(115−112、116−111、117−111の3−0の判定負け)。
松尾会長、ピーターたちは後援者たちとバスでミュンヘンに行って一泊。私たち夫婦は午後1時半発ロンドン行きの便で帰る。空港でSPIEGELという雑誌が戦後60年特集をしていたので、それを求めた。ドイツ語版とインターナショナル版(英語版)があったので、両方買った。帰途は、辞書を引きつつ、英語版を参照しながら、ドイツ語版を読み続けた。
帰国後、親切にしてくれたザウアーランド・プロモーションの人たちに手紙を書きたかった。そこで、ある日、計量後、東京駅前の八重洲ブックセンターにドイツ語による手紙の書き方の本を買いにいった。
求めたのは、
ドイツ語手紙のキソ知識(真鍋良一、郁文堂)
ドイツ語手紙のハンドブック(古池好、Hans-Hartmut Dathke共著、同学社)。
ともに非常にいい本でドイツ語特有の書式など大いに参考になった。2冊とも終わりまで目を通し、それから礼状を書き出した。途中、雑用が入ったりしたので2日がかりだった。
以前、「世界中の言語を楽しく学ぶ」(井上孝夫、新潮選書)を読んだ。この著者が勉強したのは100ヵ国語以上だという。私が20歳の頃、たしか種田とかいう10ヵ国語くらいペラペラの語学の達人の本を読み、刺激された。この井上という人はそれを上回る。趣味とはいいながら、生活自体が新しい言語を覚えることにつながっている。彼の本職は校正の仕事だから、直接彼がPOLYGLOT(多国語使用者)であることが役立っていない。その本を読んで、しばらく自分が低いレベルで彼の軌跡をたどっているような気がして、厭になった。
私はアルファベットを使う言語なら3週間あれば、日常会話程度まで使えるところまではいく。言葉を覚える特技がある。しかし、物覚えがいい人間は物忘れもいい。旅行の前、復習すればいい、と普段は忘れてしまう。これではよくない。ドイツで、ベルギーのレフェリー、ダニエル・バンデヴィーレに会った。彼は銀行マンで、5ヵ国語程度だが、そのどれも非常に流暢に話せる。主要言語を日常的に読み、書き、話すことが重要だ。そして、私の外国語は頭の中で英語を通過するのだから、英語のヴォキャビュラリーをもっと増やし続けねばならない。頭の辞書をもっと整備しなければいけない。辞書を引けばドイツ語を読めるというのではなく、辞書を頭の中に入れねばならない。
ドイツは第2次世界大戦後、いかにして復興したか。ユダヤ人虐殺の過去をいかに清算したか。東西ドイツの統一以降、社会はどう変わったか(失業率の増大、外国人労働者の増加、経済の伸び悩みなど)。SPIEGEL誌を読んで、私はドイツという国に興味を持ち始めた。そこには日本が抱える問題の縮図があるような気がする。
ドイツ語については、WORDでドイツ語を書くため、設定を変えたとき、標準ドイツ語、ドイツ語(スイス)、ドイツ語(オーストリア)の3つがあることを知った。どこに違いがあるのだろう。正書法とは何か。ドイツ語自体についても、興味がわいてきた。
いま名古屋のカスティーリョ、石原戦の前だ。名古屋に出かける前、書店で、「ナチ・ドイツと言語」および「ドイツ史10講」(ともに岩波新書)を買った。それをいま名古屋で読んでいる。
帰京したら、ドイツで買ったカフカの本を読み始める。最初は、「変身」がいい。10月のシドレンコ、福島戦まで3ヵ月ある。書道に時間を食われすぎなければ、ドイツ語の復習を地道に継続しよう。トラベル・外国語以上のレベルまで持っていきたい。将来、WOWOWの解説をしているとき、ドイツの試合でセコンドが選手に喋っていることを聞き分けられるようになりたい。
旅行前、もっとドイツ語の勉強をすべきだったが、書道を始めるとどうもむきになって書き続け、ドイツ語のノルマなどどうでもいい、とそれを無視する日もあった。反省している。
これはドイツ日記か、ドイツ語日記か分からないような内容になった。まあ、いいだろう。雑記なのだから。
(6−25−05)