4泊5日の旅だった。
夜は10時に寝て、朝6時に起きる。すぐ1時間泳ぎ、腕立て伏せをし、それから7時起床のランディを見に行く。それが3日続いた。非常に健康的な日々だった。
ALAジムでは、アルデゲール氏に会った。痛風で杖をついていた。「金持ち病ですね」というと、彼は笑っていた。アマ6年連続優勝のホープがいた。カスタニャレス、スルタン、マルコなど顔見知りの選手、そしてビラモア・トレーナーと会った。石原が5月末から世界戦前にまたここで練習するので、その手配を頼んだ。
沖縄出身の朝長君はこの灼熱の地に故郷のにおいをかいだのではないかな。私はセブによく来るから、もう観光などする必要はないが、彼のためにアブラカ・トレーナーと名所見物に出かけた。サント・ニーニョの教会堂は、冒険家フェルディナンド・マジェランが運んできたセント・ニーニョ像を祭る。教壇の荘厳さは筆舌に尽くしがたいほどだ。比国全土からセント・ニーニョ像を拝みに来るのが分かるような気がした。
セブ国際空港はマクタン島にあり、セブ島の首都セブ市にはマクタン・マンダウエ橋で渡る。ニューヨークのブルックリン・ブリッジを行くような気分がする。ポルトガル人のマジェランはキリスト教布教を目的とし、まずセブ本島に上陸した。布教活動は成功し、次にマクタン島に乗り込んだ。しかし、この小島には勇猛果敢な若き酋長ラプラプがいた。1521年4月27日、マジェランはラプラプとの闘いで戦死する。だから、この日は「マクタンの闘い Battle of Mactan」記念日で、セブでは祝日である。その記念日に、ランディ・スイコはOPBF防衛戦を行ったわけだ。
ラプラプというのはフィリピンの歴史的英雄である。善と悪は、座標系を変えれば紙一重のような面がある。世界史の中では探検家を殺した蛮族のように扱われるラプラプが、この地ではヒーローである。最近、このマクタンの闘いが映画になったとか聞いた。それは伊藤博文を暗殺した安重根が韓国では英雄として崇められているのに似る。島の端に逞しい裸体のラプラプ像が立つ。強い陽射しの下で、褐色の像が雄々しく見える。
そのすぐ横のフィッシュ・マーケットで魚を選び、奥のレストランで料理してもらって食べる。試合当日の昼食はいつもここだ。比国にしては結構高いのだが、ランディに好きなものを食べさせるのがいい。彼はラプラプ(酋長の名前をとった魚で、日本の鯛にあたる)を美味そうに食べた。
ランディは比国のゴールデン・ボーイだ。パッキャオを除けば、一番人気があるだろう。比国にはJ・ライト級に伝統がある。私のような日本人マネジャーがついたことが、彼にとって本当に幸せだったのか? 彼の進路決定(今後のマッチメーキング)に大いに責任を感じる。いつも比国の記者に取り囲まれ、「What’s Randy’s next? ランディの次の試合計画は?」と問いかけられる。それは、「俺たちのホープをうまく育て上げないと承知しないぞ」という圧力に感じられる。
朝長君にセブのきれいな浜を見せるため、シャングリラ・ホテルのビーチに行った。ホテルは日本人観光客ばかり。浜辺を歩き、のどが渇いたのでテラスに座り、アイスティーを注文すると、「ホテルの宿泊客でないと駄目だ」と断られた。
ホテルへの帰途、アブラカが運転する車が信号で停まる。周囲に子供が新聞や首飾りなどを買って欲しい、と車の窓ガラスをたたく。「昔、フラッシュ・エロルデはこのセブの通りで、この少年たちのようにアイスクリームを売っていたそうだ」と、朝長君に説明した。比国でプロボクサーになるのは、貧しい家庭出身のハングリーな若者が多い。その中から、ときにビラフロアやパッキャオのような逸材が生まれる。
飛行機の中では、通路を挟んで隣通しだった。2人旅では席続きより、この方が互いに気楽でいい。かれはボクシングの本ばかり読んでいた。私は習字の本を見ながら、手で行書の練習ばかり。この次は、私のようなうるさいのとは別に個人的にこの島に来るといい。治安はいいし、夜出かけるのも自由だ。私のように夜10時に寝て早起きするのが楽しみになったら、人間老境に入りかけているということだろう。
(4−30−05)
4月27日のランディ・スイコのOPBFスーパーフェザー級タイトル防衛戦のため比国のセブまで旅をした。社員の朝長君と一緒だ。最近、ランディの試合には助手を同行するようにしている。南アフリカのムゾンケ・ファナ戦は織田君、比国のイブラヒムとの防衛戦は村木君を連れて行った。ローテーションだ。もしランディが世界戦をする場合、みんなで社員旅行をする約束になっている。
おもしろいことがあった。
ラプラプ市体育館の中には控室がなく、ランディは他の選手と屋外のテントの下で用意をしていた。「今日はよく入るな」と盛況ぶりに感心していた。国民的英雄マニー・パッキャオの観戦のため、チケットはプレミアがつくほどの人気だ。館内からアナウンスがあり、まず挑戦者のムアンファレックがリングに上がったようだ。次はランディ。ところが、体育館の入口は切符を買えない群衆が一杯で、とても入れない。
ふとファイティング原田さんがキングピッチとのタイでの再戦の際、観衆の混乱のため控室からリングまで30分もかかったというエピソードを想い出した。ここでモタモタしていると、ランディが疲れてしまう。最初、「道を開けてください Please open the way」と何度も言った。だが、ごった返す人の波はそんな声をかき消してしまう。
ここで映画の「十戒」でモーゼが通るとき海が真っ二つに割れ、道が開いた場面を思い浮かべた。
どうしたか? まず手近なひとりの胸を突いた。4,5人が吹っ飛んだ。
手で押す力などは力持ちであってもしれている。私の方法はこうだ。壁に両手を当て、一方の足を後、もう一方を前にして、アキレス腱のストレッチングをするような体勢を急に作り、そこでヒザを抜いた。同時に、腕で押した(ベクトルの和)。私の体全体の重力が、前にのめるときのような格好で負荷し、数人を突き飛ばした(腕の力だけで押していたら、群集にはね返される)。
今度は同じことを右側の男に対して行った。また4,5人が吹っ飛んだ。これで道が少し開いた。体の重力全体をかけるには、急にヒザを抜くのが、コツだ。いわば、つんのめり力である。
次に、左側の男の首をのど輪で押した。彼は息が苦しいから体がのけぞり、後退した。これでまた道が開いた。反対側に向き直り、また前の男にのど輪をした。
ここで、「ランディに道を開けろ! Open the way for Randy!」と大声で怒鳴った。私がけんか腰なのと、自分ものど輪をされるかもしれない恐怖心で、急に道が開いた。眼力の効力だ。
その間、ものの数十秒。
「さあ、行こう!」と後のランディに声をかけた。私が道を開くやり方があまりに荒っぽいので、ランディは苦笑していた。だてに毎日、腕立て伏せをしているわけではない。自分の選手を守るため、側に付いているものはこのくらい泥をかぶる勇気がないと駄目だ。いうではないか、勇将の下に弱卒なし、と。
リングに上がり、アナウンサーのコールが始まる直前、バケツに水のボトルを詰めたのを持ってくるはずのアーチー(アブラカ・トレーナーの義弟)が来ていないのが分かった。何をやってるんだ。私が群衆の間に道を開いたとき、ランディについて会場に入っていたのかと思った。
格好悪いが、リングアナウンサーのアナウンスを中断し、事情を説明し、「ランディの水を早くコーナーに持ってくるため、道を開けて欲しい」とアナウンスしてもらった。
両選手の紹介が終わり、両選手がリング中央に進み出るとき、ワセリンを持った男が来ていないという。アブラカ、ワセリンぐらいトレーナーが持てよ。ここで、またリングアナウンサーに耳打ちして、ワセリンがコーナーに届くまで、また中断してもらった。この連中と一緒に仕事をしていると、恥をかかされるな。
試合は4回TKO勝ちだが、試合前のコーナーのドタバタはもし負けていたら、敗因となりかねないような混乱ぶりだった。試合後も、アブラカはもたもたしていたアーチーを怒鳴りつけている。もうやめろよ、兄弟げんかは。勝ったことだし・・・。
あの体育館にあれほど人を入れてはよくないな。すし詰めを通り越している。日本なら消防法の規制でとてもあれほど観衆を館内に入れられない。あの体育館のキャパシティにしたら異常なほどの観衆だった。
試合に決着がついたあと、パッキャオがリングに上がり、ランディにベルトを渡す役になった。フライ級時代から私と顔見知りだから、挨拶に来た。ずいぶん体が大きくなっている。ウィエトトレーニングで作ったのだろうが、外から見ると小太りのアンちゃんのような感じだ。それにしても、パッキャオの人気はすごい。
このクラスは、チャンピオンがバレラ、1位モラレス、2位パッキャオ、3位ランディ、4位カルロス・エルナンデス、5位ヘスス・チャベスだから、今後の持って行きかたが難しい。
朝長君は比国の最初から最後まで力まかせに打ち合う試合を前座から最後まで見て、楽しんだことだと思う。
(4−28−05)
リング・ジャパンの月報「ボクシング評論」に昨年12月から、私がボクシングを好きになった少年時代の頃、活躍した選手のことを書き出した。
これまで書いたのは、
酒井源治
辰巳八郎
小口章
山口鉄弥
渡辺治
先日、コミッションで古いフルレコードをもらってきたのは、
篠沢佐久次
宇都照也
金沢二郎(次郎だったかもしれない)
昭和30年代初期のボクシングについて興味のある方はどうぞご購読を。リアルタイムで見た人間でなくては書けない状況描写が特徴です。
(4−24−05)
4月16日の世界戦の1週間前から行事やオフィシャルの出迎え、世話で忙しかった。多忙の中でも留意したのは、(1)運動量を減らさないこと、(2)読書量を減らさないこと、(3)習字の習慣を絶やさないこと、だった。
時間をとって運動できないため、重いパソコンバッグ(ダンベル代わり)を持って早足で歩き、駅の階段を走って昇った。忙しい日は、昼に公開練習に行き、一旦戻って会社に出て、夜また後楽園ホール、あるいはオフィシャルの泊まるホテルに戻った。駅からホテルまで早足で往復すると、いい運動になった。
車中でずっと読んでいたのは、「スポーツ選手なら知っておきたいからだのこと」(小田伸午著、大修館書店)だった。アンダーラインや?をつけながら、精読した。非常におもしろい本だった。
このなかで、よりパワーのあるパンチを打つにはという項目があった。それについて考えていた。この「ひとりごと」に自分の考えを書きかけてはやめた。翌日、考えが変わったりした。
家に家内の姿見があり、その鏡に向かって何度もワンツーを打ってみた。注意したのは、右ストレートを打ったときの左手の位置、左手と左肩の力の入れ具合だ。普通、右を打ったら、左手はアゴの横、と決めて指導している。しかし、この左肩に力を入れ、硬化させると、右ストレートが伸びない。強い右ストレートが打てない。
より強く右ストレートを打つには、右を打つときの左手、左肩の働きを考え直す必要があるのではないか。
最近、「ボクシング評論」でスポーツ科学のエッセンスをボクシングの立場から要約する連載を書いている。だから、スポーツ科学関連の本を読み、復習している。
卓上には、
「乳酸」(ブックハウスHD)
「新トレーニング革命」(講談社)
「奇跡のトレーニング」(講談社)
「腹筋・背筋のトレーニング」(大修館書店)
などが順番を待っている。
右ストレートを打つときの左手の働きについて、考えがまとまってきた。ワールドの「東洋から世界へ」に書くかもしれない。あるいは、この「ひとりごと」に書くか。
(4−22−05)