土、日曜、試合がないので、「ボクシング評論」執筆に専念。
「わが想い出の名ボクサーたち」は、山口鉄弥。
山口が20歳で石橋広次に勝ち日本バンタム級チャンピオンになったとき、私は14歳だった。その前後の試合をいまも鮮明に記憶している。テレビで見たのだが、当時はビデオやDVDがないから、見落とすと2度と見られないと思い、目をこらして見つめていた。まして、記憶のいい年頃だ。しかも、山口の試合はいつどちらがダウンするかわからない。だから、緊張感を持って見ていた。そのせいで、細部までよく憶えている。
「みんな一緒に勉強しよう トレーニング科学 No.3」は3頁になった。
雑誌に寄稿するときのように頁が決められているわけではない。私自身が編集者だ。書くべきことがあり、それが長くなれば、2頁を3頁にできる。購読者の中の指導者、トレーナー諸兄に対して、分かりやすく、やさしく解説するよう心がけた。だから、日曜は朝から晩まで、これにかかりきりで、関連のスポーツ科学の本を読み返した。このコラムを書き続けるのは、自分自身にとっても勉強になる。
もちろん、習字はした。忙中、閑あり。どんなに忙しくても、一日一度は筆をとるようにしている。それは意志の問題だ。
今日は「ボクシング評論」の原稿を推敲し、さらに読みやすくする工夫をした。写真や表も送った。いまが追い込みだ。
予定通り、水曜、3月2日に印刷に出せば、7日の月曜には発送できるのだが・・・。
(2−28−05)
ボクシングは下克上の世界だ。昨日までハングリーだったトレーナーが今日世界チャンピオンを作るとビッグ(大物)になる。それがこの世界のおもしろさだ。
マック・クリハラ氏は私が松田ジムの薬師寺と結び合わせた。ちなみに柳和竜氏を同じく松田ジムの石原に紹介したのも私だ。
マックとはもう20年近いつきあいになる。彼は1969年、アルトン・コルター(日本でF原田に勝った長身選手)の付け人としれ来日し、私とはそれ以来の付き合いだ、と他の人にいっているらしいが、それは間違いだ。その頃、私はまだ学生でロボットの腕の研究をしていた。
2−20の名古屋におけるOPBFタイトルマッチのあと、マックが私に対して怒り狂った。
話はこうだ。マックがコーチする王者、國見が出だし悪く、菅原にポイントを先行されていた。3回に國見がバッティングで負傷し、4回終了後、マックはレフェリーのチャーリー・ルーカス(豪州)をコーナーから大声で呼んだ。負傷引分けで逃げようとしたのだ。
チャーリーはそれが見え見えだから、それを無視して試合を続行させた。なぜなら、出血した直後の3回半ば、その傷をドクターに見せ、それほどひどくないことを確認済みだったからだ。
マックはそれを怒っている。
「あのレフェリーはよくない」と怒鳴る。コミッションの小島局長が間に入ってくれたが、マックの怒りはおさまらない。延々と愚痴というか非難が続く。局長もさじを投げ、会場を去った。
レフェリーを任命したのはOPBF本部だ。一昨年からOPBFは(WBAやWBCと同様)中立レフェリーを本部から任命するシステムに変わった。
名古屋の日本人同士のOPBF戦に外国人レフェリーを希望したのはカシミジム側だ。ただし、その費用を負担するのは、興行者の松田ジム側だ。そこで経費節減のアイデアをOPBF本部が出した。前日(19日)のOPBFバンタム級王座決定戦(鳥海、ジャガー戦)のレフェリーが翌日の名古屋の試合も兼ね、経費はワタナベジムと松田ジムとで折半する、というものだ。
チャーリーは東京ではいいレフェリーぶりを見せた。名古屋でもマックが非難する一点を除けば、レフェリーぶりは上手かった。
あの4回と5回の間の休憩時間が勝負のヤマだった。
もしマックがこの休憩中にレフェリーを呼び、再度ドクターに見せ、「続行不能」ということになれば、あれは負傷引分けで國見の防衛になっていた。
強引なマックのことだ。もしドクターが「続行できる」といっても、強硬に続行不能を主張しただろう。そこで大もめになっていたはずだ。ドクターの診断ひとつで裁定が変わるのだから。
レフェリーはマックの猿芝居を見破り、それを無視したわけだ。序盤の出来が悪い王者が負傷を理由に逃げられるのなら、みんな文成吉になってしまう。
なぜチャーリーはマックのコーナーからの要請を無視したか?
それはマック自身に責任がある。いってもマックには分からないだろうが。
試合前、東京から同行したチャーリーを会場に着くなり、樫見会長、松田会長、そしてマックに紹介した。私なりに公平を期した。その初対面の挨拶のとき、マックの口のきき方、あれは何だ。
「ヘイ、ユー、チャレンジャーは頭を持ってくる。よく見て減点してくれ」と命令口調だ。
そのあと、チャーリーがいった。「あいつは何だ?」と。
「チャンピオンのトレーナーで、これまで数人世界チャンピオンを作ったベテラン・トレーナーだ」と答えた。
チャーリーはマックの口のきき方にあまりいい印象を持たなかったようだ。それが4回終了後のマックの主張無視となって現われた、と私は推察する。
これは想像だが、もし19日、20日とOPBF戦が続いておらず、チャーリーが1日か2日前から名古屋へ入り、マックと含めた関係者ともう少しゆっくり話をする機会があれば・・・そして、マックが試合前あんなぞんざいな話し方をせず、チャーリーともっと顔見知りになり、敬意を受けていたら・・・。4回終了時、チャーリーの対応は違っていただろう。
そうなっていたら、ドクターの診断ひとつで負傷引分けか、試合続行か、決まったことになる。まるで渡嘉敷、マデラ戦におけるドクターの診断と同じように、重大な局面を迎えていたことになる。
マックはベテランだから、頭が走る。3回と4回は、國見の傷を止血しなかったそうだ。試合続行となり5回に入ってから、それから血を止めだした、と本人が自慢げにいう。まるで猿芝居じゃないか。
國見が負けたのは私の責任か。私にやつあたりするのは筋が違うだろう。ボクシングは公正に運営されるべきで、それが自分の思い通りに運ばなかったらといって、マッチメーカーを責めてどうする。私のどこに落ち度がある。
最近あれだけボロカスにいわれたことがないから、チャーリーと新幹線で東京に帰る途中、気分が悪かった。東京に着いたとき、マックの口のきき方に本当に腹が立ってきた。
いかに付き合いが長いとはいえ、仕様のないジジイだ。
薬師寺、戸高、國見、日高など、マックの教え子諸君、今度マックと話をする機会があったら、「ジョーが口のきき方に対して怒っている」と伝えておいて欲しい。
私はこれまで何度もマックをサポートしてきたじゃないか。私は恩人だろう。もっと私に敬意を払え、と。
(2−26−05)
昨日夜1時、ベッドで本を読み終え、電気を消し、寝ようとしたとき思い出した。
Uジャッジが2−26のドイツ、ハンブルクにおけるWBAバンタム級タイトル戦、サラテvs.シドレンコ戦に指名された。WBAからのFAXにプロモーターの連絡先が書いていなかった。丁度、鳥海、ジャガー戦の計量のあと、コミッションに寄ったとき、小島局長に連絡先を調べるように依頼された。
それを忘れていた。約束は約束だ。起きて、Universumプロモーションの連絡先を調べ、Eメールを打ち、それをFAXでも入れた。メキシコの兄貴分ラファエル・メンドサに地震の見舞いの電話をくれたことに対する礼状も書いた(明日でもよかったのに)。
朝起きて、傘を差して散歩に出かけたが、寒くて戻った。30分ほど歩けば、目が覚めるし、体調がよくなる。しかし、風邪を引いては身も蓋もない。バックして帰ってきた。
明日の國見、菅原戦のオプション契約書を打ち、それから「ボクシング評論」の「みんな一緒に勉強しよう」の「トレーニングを科学する No.3」を書き始めた。ピッチがあがり、調子のいいところでストップ。今日のOPBF戦のレフェリー、チャーリー・ルーカス(豪州)と5時半に東京ドームホテルで待ち合わせをしている。
電車の中でパソコンこそ打たなかったが、頭の中で原稿の続きを書いている。
来月から、「トレーニングを科学する」は倍の2頁にする。
そして、従来のテキストとは違い、もっとくだけた分かりやすい例で説明していく。
たとえば、
動脈と静脈は、新幹線を思い浮かべればいい。東京駅が“心臓”で、新大阪駅が“筋肉”と考える。新幹線の東京から大阪への下りが、動脈。逆に、大阪から東京への上りが、静脈。
たとえば、東京(心臓)から荷物(酸素)を積み、大阪(筋肉)へ運び、そこで下ろしてくる。積み残し(酸素)は東京へ持って帰る。その差が、“動静脈酸素較差”だ。これは、いわば酸素積み下ろし量である。
こういった調子で書き進めている。
夜、鳥海がジャガーを破り、新OPBF王者になった。よく手を出し、出来がよかった。
速報メール、今日は早かったでしょう。11ラウンド終了時、この調子ならKOはなさそうだ、と休憩時間中にリポートを打ち終わり、採点が発表されるや否や、送信。
ルーカス・レフェリーと一緒に出る約束だったから、急いだ。臨機応変。
明日は、ルーカス・レフェリーと名古屋のOPBFスーパーバンタム級タイトル戦に日帰り出張。
一緒に行き、一緒に戻る。
「英語で話す日本 Talking About Japan Q & A」を持参し、道中、日本のことを説明しよう。
もし彼が寝たら、車中、原稿を書けばいい。
(2−19−05)
こんな土、日曜のない生活をしていると、月に1度か2度、カクンと疲れる日が来る。
昨日がそれだった。
一昨日、WOWOW解説のあとホールへ行ったのが無理だったようだ。
昨日は、1日中、仕事のピッチがあがらず、かといって消化しないといけない仕事が山積。仕事のリズムが悪い。速報メールなどノルマをこなそうとするが、いつもと比べるとスロー。まるでのろまだ。
夜、事務所にニューヨークのY氏の来訪あり、そこで一緒に出る。
2人で一杯やって、よもやま話。
こんなに疲れた日には早く寝るに限る。10時過ぎには床に就く。
朝9時まで寝ていたから、10時間は眠ったことになる。やはり疲れていたのだろう。
土曜はOPBFバンタム級決定戦、日曜は名古屋でOPBFスーパーバンタム級タイトルマッチだから、忙しくなりそうだ。
(2−18−05)
朝5時前、地震あり。飛び起きたのはいいが、以後、寝られず。
6時に起き、WOWOWの解説に出る前、一仕事。
雨足強く、家内の運転で辰巳のWOWOWスタジオまで。
後の座席で予習の復習。
6時ごろ終了し、すぐホールへ。
朝早かったので、セミファイナルあたりから睡魔が襲ってきた。
メインが初回で終わり、助かった。
ホールで安原検査部長に「ボクシング評論」2月号を贈呈(1部は小島局長用)。
今月は小口章、来月は山口鉄弥、再来月は渡辺治(会長)・・・だから、フルレコードのチェックには今後ともJBC記録のお世話になる。
メキシコの兄貴ラファエル・メンドサから地震の安否を問う電話あり。感謝。
今日は少し本を読んでから早めに寝る。明日リフレッシュして消化しないといけない仕事がある。
(2−16−05)