ポンサクレック、小松戦の翌朝、韓国行きの飛行機に乗った。機内でしばらく新聞の中の1枚の写真に見入っていた。スポーツ報知1月30日版の写真だ。
小松の右ストレート(ボディ)に対し、ポンサクレックは左フック(顔面)を合わせている。小松の右より先にポンサクレックの左フックの方がヒットしている。しかも、見事にナックルが返っている。
よくこんな芸当ができるな、と感心した。東洋の選手は利き腕のストレートで相手のボディを打つ。アメリカのトレーナーはジャブで相手のボディは打つが、利き腕のストレートはあまりボディに打たない(よほどリーチ差がある場合以外)。たとえばオーソドックスの選手が右ストレート(ボディ)を打つと、打ち終わりに左フックを打たれる、と米国人トレーナーは考える。
日本の場合、相手がストレートでボディを打ってきたらどうするだろう。セオリーとしては、
(1) ヒジでエルボーブロックして前腕(右の選手なら左フック、左の選手なら右フック)を打つ。
(2) バックステップして相手のストレート(ボディ)をはずし、すぐ利き腕のストレートを打ち下ろす。
(3) 相手のストレート(ボディ)を払い落として(ショビングして)、前腕(右の選手なら左フック、左の選手なら右フック)を打つ。
日本人選手ではあまり見ないが、サウスポーが左ストレートでボディを打ってきたとき、同時に左フックを打った例は見たことがある。それは、カルロス・オルティスが小坂照男に対して披露した。あれは、オルティスが左フックをモーションなしで強く打てたので、タイミング合わせできたからだろう。
ポンサクレックは小松の右ストレート(ボディ)に対して、左フック(顔面)でカウンターを取った。こんなのありか、と思うような打ち方だ。それは、リカルド・ロペスがアラ・ビアモアを左ロングアッパーで倒したときの驚愕に通じる。
なぜ、小松の右(腹)に対して、あの左フックが打てたのだろう。しかも、あれほど的確に。
第一に、ポンサクレックは小松が右ストレートでボディを打ってくるタイミングを読んでいたのだろう。だから、小松の右が自分のボディに当たるより、一瞬早く左フックをヒットできたのだろう。確かに、小松がガードの位置から右ストレートでみぞおちを打つ距離より、ポンサクレックがガードから左フックで相手の顔面を打つ距離の方が近い。
第二に、あんな芸当はとっさにできるものではない。タイのジムで反復訓練をしてきたのだろう。とすれば、タイのボクシング・セオリーあなどるべからず、という気がする。それは、ウィラポンが西岡に対して、右ストレートをジャブ代わりにあれほど軽く、的確に、自在にヒットしたのに通じる(日本では、サウスポーに対する右ストレートは強めに打つ。軽く打つのは、左フックを返す前か、右ダブルを打つときだけで、ウィラポンほどジャブ代わりにヒットする選手はあまり見ない)。
第三に、小松の右ストレート(ボディ)にはモーションがかかっていたのではないか。だから、ポンサクレックは小松が腰を落として右ストレートでボディを打たんとするのを、瞬時、察知できたのではないか。
メキシコ人ジャッジのロチン氏が試合後、言った。
「ポンサクレックがホルヘ・アルセに対したとき、今日のような素晴らしい調子なら、とてもアルセでは勝てないだろう。初めてポンサクレックを見たが、すごい選手だ。感心した」
メキシカンのそう言わせるほど、ポンサクレックは攻防兼備、パンチが的確、間合いの取り方が見事だった。久しぶりにいいボクシングを見せられ、感銘を受けた。
(1−30−05)
今日は韓国でWBCフェザー級戦、福岡でOPBFフェザー級戦をマッチメーク。
朝5時に起き、関空から9時40分発の仁川行きの便に乗り、11時30分着。
12時40分にグランド・ヒルトン・ホテルに到着。1時半からの興行に間に合った。
池仁珍は大差の判定でトミー・ブラウンを撃退したが、この21歳の挑戦者は勇敢で打たれ強く、よく反撃した。
レフェリー、ジャッジ諸氏と会食後、疲れたので1時間眠り、FIGHTNEWSに英文リポートを出した。
速報メールは会食前に送った。
TVをつけると勘九郎が謝罪記者会見をしていて、チャンネルを変えると、WOWOWエイキサイトマッチをしている。モンシュプールとヨーダムロン戦だ。韓国のホテルでも見られるのか。
明日、池の次の防衛戦の話をしてから火曜に帰国し、そのままWOWOWの音入れに行く。
(1−30−05)
いまからソウル行きの便に乗る。
昨日のポンサクレックは実に強かった。小松選手もよく頑張ったが、王者の調子がよすぎた。
捲土重来、OPBF王座奪回、そして世界再挑戦に向けて頑張ってほしい。
韓国では1:50pmからWBCフェザー級タイトル戦開始の予定。
2日続けての世界戦マッチメーキングだ。あとひと頑張り。
(1−30−05)
地方へ出張する前、あと30分、1時間でも事務所か自宅で集中して仕事を消化しようとする。それがよくない。いつもギリギリになる。
のぞみ129号 東京/新大阪 16:03/18:40
はるか51号 新大阪/関西空港 18:48/19:51
なぜ関空へ世界戦のオフィシャルの出迎えに行くのに、羽田から関空へ直接飛ばなかったのか? オフィシャルの来日日程は2週間も前に出ているのに・・・。
忙しくて飛行機の予約を取るのを1日延ばしにしていたため、出張の2日前に夜8時前、関空に着く便がすべて完売になっていた。出張の日もギリギリまで事務所でオプション契約書や対戦者の決定のFAXレターを書いていた。途中、織田君が新幹線で行く場合の時間表をどこかのサイト(駅たんか?)で見てくれた。
2時40分ごろ事務所を、自宅で着替え、必要なものをバッグに入れ、飛び出した。東京駅のプラットフォームに着いたのが、16:03の5分前。あと10分仕事をしていたら、間に合わなかった。
なぜこんなギリギリの滑り込みをするのだ?
明日でもいい仕事を今日こなそうとするからだ。そこに無理が出る。反省しないと、今度大事な仕事のときに交通機関に乗り損ね、人に迷惑をかける。
特に走りはしなかったが、品川、横浜を過ぎても神経が鎮まらなかった。それから「ボクシング評論」の巻頭言「主人敬白」を書き、京都で停車しているときに事務所にメールを出した。
関空には間に合い、レフェリーと立会人を出迎えOCATまでバスで行き、そこからタクシーでホテルに入った。一緒に夕食を摂りながら、長く話していた。ラストオーダーを過ぎ、われわれが最後の客になったのに気づき、そこを出た。明日も話せる。私を含め拳闘屋は議論が好きで仕様がない。
(1−26−05)
まるで駄目な一日だった。
昨日12時間以上、ぶっつづけでパソコンを打っていた。調子があがっていたので昼食を抜いて書き続けた。
今日、起きてみると眼が疲れている。体もだるい。
いつも元気で、いいコンディションで毎日を送っている積りだが、今日は本当によくない。
自宅でEメールを打つのがいつもより能率が悪く、会社に出たのが3時頃。もう1時間、早く会社に出る積りだった。
マッチメーキングのやりとりを済ませて、昨日書き終えた「ボクシング評論」の自分の頁の版下作成まで自分でやり始める。早くそれに取り掛かりたいのだが、次から次へと仕事が出てくる。電話がかかる。
やっとひと段落して朝長君に「ボクシング評論」の写真入れの方法について説明を受けだしたのが夜10時。1時間で彼のアドバイスに従い、「英語で専門誌を読もう」第2回の写真入れ、版下作りが終わった。
新しいことに挑戦しなければ・・・。
いずれ自分の頁の版下はすべて自ら作りたい。
明後日から大阪だから、明日が勝負だ。いろいろマッチメーキングで処理することが残っている。
(1−24−05)
朝9時から書き始めて、夜12時には終わった。
昨日、「みんな一緒に勉強しよう」第2回 トレーニングを科学する No.2を書き終わっていたが、それを見直し、会社にメール。
まず、「わが想い出の名ボクサーたち」第2回で、「小口章」を書いた。2頁分になった。当時の雑誌を開いて見ていたら、つい読んでしまい、予定より時間がかかった。
つぎに、「ボクシングの本」渉猟記。
中村信一会長の「虹の戦記」を取り上げる積りで書庫を探したが見当たらない。2冊あるはずなのに・・・。30分探して、今日は断念。次回にでも書けばいい。
今回は、1935年版の「拳闘年鑑」を取り上げた。
つぎに、「英語で専門誌を読もう」に取り掛かる。これは割りと早く仕上がった。
ここで「小口章」の執筆で遅れていた時間を取りもどした。
夕方、床屋へ行った(プールと床屋と公園は私の好きな場所だ)。
原さんは年末、ランディ・スイコ対イブラヒム戦のビデオを進呈したのに、まだ見ていないそうだ。
夜、「ボクシング改造論」第2回を仕上げた。
結局、1日半で「ボクシング評論」の自分が担当する部分を終えた。
こんな仕事の仕方をするから、「1日でできる」と本ばかり読んでなかなか取り掛からない。その悪癖が直らない。反省。
今日も習字ができなかった。徳村先生に約束していたのに申し訳ない。反省。
(1−23−05)
石原英康選手(松田)の世界タイトル挑戦が延期になったので、事情説明のため名古屋に出張。
1:33pmに着いて、3:24pm発に乗ったのだから、2時間弱の滞在。
東海テレビのスポーツ局で河合部長以下、スタッフ諸氏と善後策を協議して出た。
事務所に出て、10時半まで。
旅に出て、途中、本を読んだりパソコンを打ってばかりいるわけではない。
ぼんやり窓の外を眺める。そのとき、いろんな考えが浮かぶ。
アイデアが浮かんだり、過去の自分の言動、書いたものについて反省が起こったりする。
新幹線は前進するのに、自分の頭の中は過去をさかのぼる。
(1−20−05)
漠然と考えていたことを書いてみると、論点が明確化する。
だから、ひとは日記を書く。書くことは自分を写す鏡となる。
「ひとりごと」に1−2について書き、時間をおいて読み直して思った。
なぜ日本の1−2はツーを打つとき右足(後足)を前に出し、
アメリカの1−2はツーを打つとき右足(後足)を固定するのか?
それは手の長さに関係するのではないか?
リーチの短い選手が後足の位置を固定してツーを打つと届かない。
一方、リーチの長い選手は後足を送らなくてもツーが届く。
だから、こう考える。
リーチの短い選手には、(1)か(3)の1−2。
リーチの長い選手には、(2)の1−2。
「ボクシング評論」に「テクニック(技術)の論点」と題し、いろんな教え方の長所、短所を分析する連載を考えている。しかし、いまの連載以外に他の連載を始められるかな? 「ジョーク小泉ジョーク集」も考えているし・・・。
(1−22−05)
WOWOWエキサイトマッチのレギュラー放送600回記念番組の音入れがあった。過去10余年を通じて、その年のベストファイトを放送する。それを解説者控室で事前に流していた。
それはタイソン、ホリフィールド第1戦だった。
ふと両者のワン・ツー(以下1−2と略す)の打ち方の違いに気がついき、隣の浜田氏に訊いた。
「基本の1−2はどう打っていた? 1−2を打つときの後の足の送りは?」
彼の返事は下の(3)の打ち方だった。
ここで、1−2の基本の3種類の打ち方について考える。
(1) ワンを打つとき左足で踏み込み、ツーを打つと同時に右足を出す。
(2) ワンを打つとき左足で踏み込み、ツーはそのままの位置で右足を踏みしめ親指を回転させながら打つ。右足はツーを返すときに前に出す。
(3) ワンを打つとき両足でステップインし、(元のスタンスの幅で)ツーを打つ。
私がまだ10代の終わりごろ、見習いトレーナーとして新しくジムに入ってきた練習生に1−2の基本を教えていた。前任者の教え方を踏襲していた。それが(1)の打ち方だった。
(1) の打ち方の長所は、相手が後退しても、ワンで左足を踏み込み、ツーでまた右足を踏み込むから、どちらの方向にも追える。この打ち方を基本とするジムは多い。
(1) の短所は、(2)の打ち方に比べ、強い1−2を打てないことだ。なぜなら、右足は中途半端な伸びの状態で、ツーを打つことになるからだ。
(2) の打ち方は、野球でバッターが打つのに似ている。ワンで踏み込み、右足(その親指の回転)により体を回転させ体重を前に乗せながら、ツーを打つ。左足がキャンバスを蹴るので、作用反作用の法則により、強く打てる(ホリフィールドを始めアメリカの選手の多くはこの打ち方をする)。
(2) の打ち方にも欠点はある。スタンスが広くなることだ。ワンを打ったとき、相手が大きく後退したり、自分の左側にサイドステップすると、ツーは届かない。後足が残っているからだ。
(3) の打ち方は、ファイターの1−2に適す。ワンで両足を踏み込んでいるから、この位置から右を打ち込める(タイソンはこの打ち方をする)。
(3) の短所は、相手がワンに反応して(自分から見て)後、左に動いたとき、ワンで右足(後足)を送ってしまっているので動きの対応ができない。相手を追うには適すが、カウンターで1−2を決めるときには不適だ。なぜか。ワンで両足を踏み込まないとツーを打てないような癖がつくからだ。
私は当時、工学部の学生だった。理に合わぬことを改善することに意欲を燃やした。ジム伝統の1−2の教え方を(1)から(2)に変えた。
あの頃、坂東芳昭トレーナーと私が2人で教えていたが、一緒に何度も議論した。彼は前任者(彼の叔父)の教え方を変えるのを好まなかった。しかし、私は(2)の打ち方の方が、速くて強い1−2が打てることを何度も説明した。確かに(1)の打ち方にもよいところはある。しかし、(2)の打ち方なら、体が突っ込まず、カウンターも打てる。ついに坂東を説得しきり、1−2の基本の教え方を(2)に変えた。その結果、選手たちは強くて速い1−2を打てるようになった。
いま考え直すと、(1)、(2)、(3)の3つの基本の教え方おのおのに長所がある。(1)や(3)の打ち方でも、右足(右の下肢)を急速に伸ばす訓練をすれば、充分強い1−2を打てる。そして、右足はツーを打つとき、あるいはツーを打つ前に送っているので、逃げる相手を追うには適している。
もし自分がいま教えるとき、どの1−2の教え方をするかな、と考えた。
ボクサータイプには、(2)。
ファイタータイプには、(3)。
連打型には、(1)。
器用な選手には、3つとも教える。
不器用な選手には、(1)。
22歳の頃、70年安保で学園封鎖のため、授業がなかった時期があった。あの頃、「ボクシングにおける力学的考察」というノートを作り、レオナルド・ダビンチのように自分で絵を描き、ボクシングのセオリーを力学の面から考えてみたことがあった。結局、それは中断したのだが、あれが「ボクシングは科学だ」の基礎になっている。
600回記念の番組で、私の話は変な方向に行った。それはそれで面白かったと思うのだが、昔の解説者(故平沢雪村、郡司信夫、石川輝、下田辰雄諸氏)を出し、彼らの回顧をした。エキサイトマッチが全国のジムの指導者、選手に与えてきた技術的影響について語る方がよかったのだが、それは「ワールドボクシング」に書いたのでいわなかった。そちらの方をいうべきだった。
放送は1月23日(日)夜10時から12時まで。どうぞご覧ください。
(1−18−05)
昨日、上野駅で警官(あるいは刑事)とにらみ合ったとき、私は子供のときから喧嘩馴れしているから気迫で圧倒してやろうと思った。まるで漱石の「坊ちゃん」の中で、坊ちゃんと山嵐がにらめっこをしているようだった。相手は警察だった。ひるまないはずだ。
事務所で仕事を終えたとき、ふとあのスイス人の若者が無事、福山で彼女とめぐりあえたのだろうか、と興味を持った。玖珂郡周東町にO姓はひとつしかないのを思い出した。また104に電話をかけ、番号を調べた(昨日、調べた紙は若者に渡してしまった)。
電話をかけ、マルコという若者と話したかったが、トモコさんが出た。彼は岡山で5分の接続時間で乗り換えができ、無事、福山で彼女と会えたそうだ。よかった。トモコさんは非常に感謝していた。
なぜあの程度の曖昧な情報だけで、電話番号を特定できたのだろう。
(1)104のオペレーターが親切だった。
マルコは山口県のKUBO、KUBA、KUGAと思い出したが、そのつど親切に調べてくれた。
私はSHUTO郡KUGAか、と思ったが、オペレーターが、KUGA郡SHUTO町と調べてくれた。
(2)O姓が割りに少ない苗字(みょうじ)だった。
あれが、田中や山本で、その町に10人も20人もいたらお手上げだった。
(3)マルコ君の「彼女に会いたい」という情熱がこちらに伝わった。さもなければ、104に何度も電話する親切心は起きなかった。彼の熱い心が道を開いたのだろう。
「ごまたまご」はゆで卵にごまをまぶしたものでなく、菓子の名前です。東京駅構内を通る人、地方から上京してきた人は一度試しに食べてみるといい。なかなか美味だ。
帰宅後、「ボクシング評論」の「スポーツを科学する 第2回」を書いた。
(1−17−05)
私はボクシングの存在自体、あるいは仲間のボクシング人を部外者から非難されると、激しく腹を立てることがある。
その一例が、比国マニラの日本大使館においてだった。当時、まだ私の選手だったルイシト・エスピノサが世界チャンピオンだった頃、彼の日本へのビザ申請に同行した。
係の大使館員が、「本当にボクシングの世界チャンピオンなの?」と訊いた。このとき、切れた。
「あなた何年、比国にいるんだ? 新聞を読んだことがないのか? 彼は昨年末この国の年間最高スポーツ選手賞をもらった。新聞をよんでいないのか。そんなことも知らないで、よく比国で仕事をしているな。ここで一番上は誰だ? 大使か? 大使を呼んで来い。説明してやろう。ここで働いている比国人の誰に聞いても、ルイシトを知らない人間はいない」と噛み付いた。
相手側はしどろもどろになり、急に丁重になった。結局、大使は出てこなかったのだが、その日、一日中、私は立腹していた。ボクシングをバカにされたような気になったからだ。
いま考えると、その大使館員はたまたまボクシングに興味がなかっただけかもしれない。いかに比国でボクシングの世界チャンピオンの地位が高いとはいえ、しかも彼が自分が育てた世界王者だとはいえ、あれほど激昂するのは大人気なかった。
こういう分別が出てくるのが、齢(よわい)を重ねた証拠で、私の中で、以前「立腹」だった反応がいま「苦笑い」に変わっていることがある。いまなら、同じことを大使館員にいわれても、怒りはしない。
今日、朝5時起床。金曜、社員諸君に「日曜の朝、3組の外国人グループを誰が見送りに行く?」と声を掛けると、返事がなかった。みんな行きたくないのだ。リング・ジャパンの仕事は量が多いうえ、他人が休んでいるときに働かねばならない。元旦に世界戦のオフィシャルを分担して出迎えたのがいい例だ。だから、「じゃ、私が行こう」といった。
前日ダイナミック・グローブがあり、彼らが出場した。興行は早く終わり、早めに寝たが、朝5時起きではやはり寝不足。ホテルに朝7時に着き、比国人4名、韓国人2名を伴って出ようとした。
ホテルの窓口にいわれた。
「昨日夜2時ごろまで大声で騒いで、他のお客さんから苦情が来て大変でした。注意してもらわないと、今後、ボクシングの人には貸せませんから」と。私は平謝り。
そこで、全員を集めて注意した。
「夜騒ぐんじゃない。他の選手たちがこのホテルを使えなくなるじゃないか」と。
「クェンチャンスミダ(問題ない、わかりました)」と大声で答えるDB(昨日、ネストール・ロチャに負けた朴賛烈のトレーナー)が猛烈に酒臭い。彼だな、騒いだのは。仕様がないな。
比国のマネジャーの荷物が大きくて多い。何だ、買い物か。これでは車(タクシー)が3台要る。タクシーは2台をとめ、先の車に待ってもらうことができるが、この早い時刻で3台一緒に出るのはこのホテルの前からでは難しい。よし、JRで行こう。
上野駅で降り、修学旅行の先頭のように歩いていたら、最後の比国人トレーナーMFが出てこない。改札で何か詰問されている。すぐ改札口に小走りでもどった。
30代の五分刈りの男がMFを叱っている。比国人とはいえ、ボクシングの仲間だ。弁護しなければいけない。こんなところで時間を食ってはおれない。飛行機の時間が迫っているのだから。
「どうしたんですか?」というと、JRの職員が何かいいだそうとする前に、その五分刈りの男が横柄な口調でこういう。
「この男がそこの改札をくぐって出ようとしていたんで注意したんだ」と。
私は乗る前、各自に切符を手渡しした。それは間違いない。それを説明するが、男は執拗だ。あまりにしつこいので、私は「あなたは一体何ですか」というと、彼は金章のついた警官の身分証明を出した。
こりゃ、相手が悪い。たいがいうべきことは主張するつもりだが、少々弁が立っても、相手が警察とJRでは相手が悪すぎる。
「本人は切符を入れたが、改札が閉まったのでくぐった、といってる。私は確かに切符を渡した。改札の機械の故障という可能性はないんですか。決して不正乗車ではない」と、言い争った。最後はこちらが折れた。時間がない。
「今後、改札をくぐるようなことを絶対しないように注意します。ただし、今回、私は確かに全員7名分の切符を買い、おのおのに渡した。それは確かです」と釈明すると、警官も納得してくれ、やっと解放。10分くらい時間を浪費した。
今日は謝ってばかりだ。MF氏に注意したが、比国にこんな自動改札はないのだろう。JRに乗せた私にも責任がある。田舎のおじさん風のMF氏をこれ以上とがめるのはやめた。
成田空港第2に着き、韓国組をチェックインさせた。「よく練習して、この次来るときはチャンピオンで来いよな」と肩を叩いて分かれた。比国の1組は午後の便だから、5時間くらい時間つぶしが必要だ。このカウンターで何時ごろからチェックインできる、と指示して、もう1組を連れ、第1ターミナルへ。
MF氏の組だ。第1ターミナルに回り、チェックインさせ握手をして別れた。「マナタッド、もっと手を出さないと、日本で使ってもらえないぞ」と昨日の敗者にいった。いろいろ比国の情報を聞いたな。マッチメーキングの参考になった。
帰りは成田エクスプレスだ。座っていると、ドイツ人と思われる老夫婦がチケットの席の番号を読めず、右往左往している。それを読んで、隣の号車だ、と教えた。
そこで、向こう側の席にいた若い外国人が話しかけてきた。
「実は困っている。これから山口へ行くのだが、相手の電話番号を携帯にいれていたのをデリート(消去)してしまった。どうすればいいだろう」と。
勘弁してくれよ。私はお助け屋ではないぞ。話を聞くと、スイス人で、山口に住むガールフレンドのところに行きたいのだ、という。私は新宿まで切符を買ってある。ひと眠りしたい。帰ってから、「ボクシング評論」の2月号を書きたいのだ。
「山口県の住所は分かるかい?」
彼は「SHUTO」と書いた。山口の首都(県庁)は山口市だ。携携帯の104でそのトモコ・Oという人の登録があるか、聞いたが、ない。では、O姓では? 山口市内に5件登録があった。彼は「うろ覚えだが、5件とも番号が違うようだ」という。
「住所の他の名前は分からないか?」
彼は紙にKUBAと書いた。104でもう一度訊くが、そんな地名は山口にない。KUGAかもしれない、という。それがあったのだ。玖珂郡周東町(くがぐん・しゅうとうちょう)だった。
そこにトモコ・Oの名前で登録はなかったが、O姓の登録は1件だけあった。その番号にかけると、そのトモコさんが出てきた。スイス人の若者は感激した。若いというのはいいな、女の声を聞いてこれだけ喜ぶ(と、おじさんはひがむ)。
私はそのトモコさんと話した。
「彼(マルコという、チビマルコではない、背は高い)はどうすればいいのです」
「ご迷惑でなければ、福山まで新幹線に乗せていただければ、私はそこまで出迎えます」
成田エクスプレスで東京駅下車し、新幹線の窓口でこの男は福山までの切符を買えるか? 初来日というし、それは多分無理だろう。紙に東京駅地下3階の成田エクスプレスのプラットフォームから上にあがり、新幹線口まで行く指示書を書いてやるか。それとも、私自身が、新宿までの切符を買ったのに、東京で下車してこの若者を助けてやるか。
先に韓国人や比国人一行に親切にして別れた余韻が残っていたのか、「東京駅で降り、案内してやろう」といった。「きみ、次の駅は東京だ。私はこれからしばらく眠るから、東京近くになったら起こしてほしい」といって仮眠。
新幹線の窓口で訊くと、福山への直行はこの時間帯ではなく、岡山乗換えになる、という。ただし、接続時間は5分。それに乗り損ななった場合のため、岡山で30分後のこだまで行くルートもチケットに英語で付記して説明する。
<JRへの改善提案>
切符のスペースに、「7号車5A」だったら、英語で「7th Train, Seat No. 5A」と表記したらどうか。そしてHIKARI 311くらいプリントする余白はチケットにあるだろう。日本もこれだけ国際化し、外国人の乗客も増えているだろうから。
親切ついでに、16番プラットフォームまで案内し、7号車に乗せた。若者は私にお礼のためか葡萄酒をプレゼントしようとした。「トモコと飲めよ」といってそれを断った。物をもらえば、親切が親切でなくなる。今日は英国で買った傘(この傘については面白い話があるので、いつか書きたい)を初めてさし、それ以外のものを手に持ちたくない、という理由もあった。
そのくせ、東京駅構内で家内の好物の「ごまたまご」を目にしたら、それを買って荷物にするのだから、それは英国製の傘と合わない。行動が矛盾している。寝不足で頭がクリアではなかったせいだ。何か面倒をかける外国人の世話ばかりしていた半日だった。
(1−16−05)