世界戦前の一番忙しい日だった。
12時にブストス一行を迎えに行き、角海老ジムへ。イーグルが3時から練習するので、それまでにブストスのトレーニングを終えてほしい、といわれていたからだ。
帰途、コミッションへ行き、公式の秤で体重チェック。私はそれを見ない。ジムでもウェイトを量るところは一切見ない。相手が見せたくないものを覗き込むことはない。後楽園ホールに寄り、「ここで戦うんだ。君は挑戦者だから青コーナー」と説明。
ブストス来日以来、電車の中では「分類式 スペイン常用単語集」(白水社)を読んでいる。これはスペイン語の通訳をする人には非常にいい本だ。
一旦帰宅し、会社に行く積りだったが、また東京ドームホテルにもどるには時間が足りない。Eメールのチェックをしたあと、15分「目もとひんやりシート」を目に当てソファに横になる。これでリフレッシュ。
6時に京和建物の美山さんと会い、レフェリー、ジャッジ・マネーなどを受け取り、事務的段取り相談。あと、白夜書房の井上さんと「ボクシング評論」への寄稿について話す。
朝長君は成田空港へオフィシャルの出迎えでピッチャー役。私はホテルでキャッチャー。7時頃、2名が到着。チェックインを手伝い、オフィシャル料などを手渡す。8時頃、レフェリーが到着し、同じ手配。
帰宅後、夕食を終え、ちょっと書斎に入り速報メールを送信。早めに寝る積りだったが、急にやる気が沸いてきた。「ボクシング評論」の「わが想い出の名ボクサー」第1回、辰巳八郎を書こう。
本誌1頁の3分の2を書いたとき、「とても1頁では書き足りない。もっと書きたい」と思った。よし、今回は2頁にしよう。編集長は私だ。2頁とる価値がある、辰巳八郎の長いキャリアを想い出すには。
RJ通信員の皆さん、1月号のための原稿の締め切りは12月20日。どうぞ宜しく。
(12−15−04)
朝6時に起き、スポーツ報知の原稿(昨日書き上げていた)を再チェックし、近藤氏にメール。いつも火曜の夕方までにメールを入れるのだが、今日は終日忙殺されるため。
10時10分前、WOWOW着。
来週日曜の分と新年1月9日放送分の解説。
5時20分にはWOWOWを出て後楽園ホールに向かう。
世界ランカーのバキロフと山口の一戦は三者三様の引分けだったが、私は山口に大いに分があったように感じた。それをホールから速報メールに書いた。
「ボクシング評論」の原稿を書きたいのだが、明日から世界戦のレフェリー、ジャッジが来日するのでまた忙しくなりそうだ。その中でも、書こうという意志があれば書ける。読もうという意志があれば読める。
(12−14−04)
1時にホテルでブストス一行をピックアップ。
角海老宝石ジムで公開練習。
ブストスは荒く、馬力がありそうだ。
一旦、帰宅し、FAXで契約書をチェックし、
すぐホールへ。相澤、パハヤハイのマッチメーキング。
ホールで日本語で速報メールを送信。
帰宅し、FIGHTNEWSへ英文リポート、明日の解説の予習。
大阪で組んでいた亀田の試合は2回KO。
(12−13−04)
朝早く起き、辰巳のWOWOWスタジオ入り。
ダブル世界戦を生で解説。
帰宅し、中村金雄著「拳の世界」再読。
これをRJ会報1月号のコラムで取り上げる。
コラムの題は、「ボクシングの本」渉猟記ではどうか。
「昔、こんな本がありました」では新しい本を取り上げられない。
渉猟記なら、たとえ新刊書でもタイトルに反しない。
(12−12−04)
成田空港に、川嶋の挑戦者ナバロとイーグルの挑戦者ブストスの出迎え。
ほぼ同時刻に出てきた。ナバロはロスから、ブストスはメキシコから。
ブストスは旅の疲れからか、ブスっとす。
都内のホテルに入るまで、約2時間、同行のメキシコ「エスト」誌の
記者アルフレド・ハイメに質問攻め。日本の人口、東京のそれ、日本の
ボクシング界の現況など。ホテルに着いた後、ロードワークのコースを
説明するため、公園までトレーナーたちと歩く。
(12−11−04)
1.速報メールを日々、誠実に活発化する
2.リング・ジャパン会報のミニコミ誌「ボクシング評論」を積極的にリニューアルする(自分自身でもっと書く)
3.もしランディ・スイコの世界戦が決まったら、社員旅行をする(南アかも)
4.事務所のハウスキーピングをする
5.マッチメーキング資料(記録、ビデオ、DVD)の整理整頓をする
(12−7−04)
ムリョス、カスティーリョ戦のとき、ジャッジのルーベン・ガルシア氏に誘われた。
「明日、コーパス・クリスティからメキシコ湾を見に行かないか。素晴らしい眺めだよ」と。
それを断ってしまった。
相手はラレドまで1時間かけて迎えに来て、また帰りは送ってくれるのだろう。それは彼にとり迷惑だろう。彼は日本にジャッジの仕事で来たとき、私に親切にされたのを感謝していたらしい。親切といっても、そうするのはマッチメーカーとして自分の仕事なのだから。
試合の翌日、松田会長が後援者への土産を買うというのでダウンタウンまで案内した。本当に土産となる物がない。靴屋、化粧品屋、輸入電気器具店、レストランしかない。街行く人たちはメキシコ系ばかり。白人がほとんどいない。かつてメキシコの領地だったテキサスを1845年に併合した。テキサスは一時、井上ひさしの吉里吉里国のように独立国だった。星ひとつ(ローン・スター)の国と呼ばれ、これはのちにテキサス州の別名になる。だから、ドン・カリーが「ローン・スター・コブラ」と呼ばれたのは、テキサスのコブラのようにパンチを当てるのが的確な選手という意味だ。
松田会長は、結局、西部劇に出てくる帽子4つ(かなり重い)とカウボーイが着けるようなバックルを買った。韓国の梨泰院のような調子で値切る交渉をしてみた。あっさりとまけてくれた。ここでは値段というのはあってないようなものなのか。
午後は本を読んでいた。会長は昼寝。
ここで、今後、どんな本を読みつつ余生を過ごすか、という引越し後、数ヵ月迷っていた疑問が解けた。それは私の秘密だから書かないが、こんなテキサスの田舎で本を読んでいるときに解答が突然はじけるように出た。
私にとって、
(1)勉強の手段: 本
(2)唯一の娯楽: 読書 (ボクシングは職業だから、娯楽ではない)
だから、本というものにおいて勉強か娯楽か、線を引けない状態がずっと続いていた。
ここに問題が存在していた。
多分、帰国後、本棚の整理方針が確立することだろう。そう思うと、早く帰国したくてたまらなくなった。
私は学者ではない。しかし、知的向上意欲はある。毎日、辞書を引き、一語でも新しい単語を覚えないと気がすまない。一歩でも半歩でも前進するラグビーのような生き方が好きだ。それを妨げるのが、あるときは職業的義務であり、怠け心であり、親戚や他人との付き合いである。
職業的妥協の中でも前に進めるのではないか。学生ではないのだから、一日中、毎日本を読んでメモを取っているわけにはいかない。仕事をしながら、これが自分にとり勉強と思うテーマにつき、地道に継続すればいい話だ。許された範囲で頑張ればいい話だ。志半ばで死んでしまっても、それはそれで仕方がない。人生というのは、まとまった仕事をしなければ失敗というものでもなかろう。
夕方、会長と食事に出かけた。そのあと、スポーツバーへ行き、SHOWTIMEテレビのカスティージョ、カサマヨル戦など3試合を見た(われわれが泊まったホテルはHBOは映るが、SHOWTIMEが放映されないため)。ホテルにもどり、すぐ速報メール。
時差の影響か、まったく眠気が起きず、深夜3時まで本を読んでいた。4時半に起きて5時半にはホテルを出た。
日本では世界戦の前で、仕事は山ほどある。テキサスなどへ道案内として同行するのは嫌だったが、松田会長はクライアントだ。NOといえなかった。
機内ではずっと寝ていた。午後2時すぎに帰国し、一旦、帰宅して荷物を置き、本棚を一部並び替え、すぐ後楽園ホールに出た。小熊坂、金田戦のあと、自分のボックスシートで速報メール。このごろは送るのが早くなり、試合後10分以内に送信している。長引くと、場内清掃の若者たちの邪魔になるからだ。
いま思うとメキシコ湾を見たかったな。私は雄大な自然を見るのが好きなのだが。またテキサス州に行き、コーパス・クリスティ(アルゲリョがエリゾンドと戦ったのがここだった、と思う)を訪れる機会があるかもしれない。なければ、メキシコ湾を見ずに死ぬだけの話だ。
(12−6−04)
テキサスに 来たれど(ラレド)夜の 寒さかな
昨夜、松田会長とアレクサンデル・ムニョスとマーテイン・カスティーリョのWBAスーパーフライ級統一戦を観戦。カスティーリョが2度ダウンを奪い、圧勝。しかし、客の入りの悪さに驚いた(せいぜい1000人から1500人)。
昨日、朝4時半に目が覚め、ワールドの「東洋から世界へ」の原稿を書き、前田氏に電話。
これはリラックスの秘訣について考察したもの。「ボクシングは科学だ」のような内容だ。
トレーナー諸兄には参考になるだろう。
ダラスから東京への便が今日はなく、明日帰国になる。
いま再読しているのは、「民族で読むアメリカ」。読むのはこれで5度目くらいだが、アメリカの地で読むと目の前に種々雑多な米国人がいるため、より納得できる。
昨夜、試合からもどりこの世界戦の詳細な速報メールを出した。そのあと、英文リポート(リング誌用)を書き、スライマン会長への返事を書いた。どこへ行っても村の鍛冶屋なのは性格だろう。
(12−4−04)
いま1時すぎ。
事務所で、酒井源治のフルレコードから丹念に主要レコードを選び、表にした。
帰宅し、夕食後、当時の「ボクシング」誌、「プロレス&ボクシング」を参照しながら、
一気に書き上げた。出来は悪くない。
これがRJ会報12月号に載る。
渡米前、酒井源治の小林久雄戦、大川寛戦を想い出し、いい気分になった。
(12−1−04)