ジョー小泉のひとりごと 2004年8月前半


ある盆休みの日

7月3日の新井田、アランブレット戦の仕事が済んでから体調を整えだした。いつもは午前中1時間のトレーニングを2時間にした。アスレティックと水泳をいつもの倍の時間にして1日おき。それが3週間。自分なりにいいコンディションになった。ランディ・スイコを来日させ2週間トレーニングさせるためだ。

なぜ体を鍛えたか。帝拳ジムでトレーナーとしてミットを持ち、動くとき、息切れしてばてると格好が悪い。そして1週間、集中的に練習させるためにはトレーニングの効率を考えねばならない。ダラダラ反復練習させていると、ランディがばてる。より短い時間で習得させねばならない。そのためには(私はもう若くないから)機敏に動き、模範を示す必要がある。

1週間、いい練習ができた。予定していた項目のほぼすべてを消化できた。私の体力も持った。南アでファナに論議を呼ぶ2−1の判定で敗れ、アブラカ・トレーナーに私の助言を聴く姿勢ができた。アブラカに言った。「今年までは私はまだ若い。来年、年寄りになる。だから、最後に私自身にランディを鍛えさせてくれないか。一緒にランディを強くしよう」と。

私が1ラウンド、ミットを持ち、あとの2ラウンドはアブラカに代わる。別に私が疲れているわけではない。日本にいる間だけの練習では困る。比国へ帰っても、アブラカ自身にそれを継続して訓練してもらわねばならない。だから、ランディに教える形を取りながら、実は私自身汗をかきながらアブラカにアドバイスしていたのだ。

それが終わった。来週からはスパーリングだ。2人ともハードトレーニングによく耐えたので、日曜は一緒に映画を見に行き、帰りに夕食とショッピングをしよう、と誘った。

この日その前に、故中村金雄氏のお嬢さんから依頼を受け、先生のスクラップブックや蔵書を貰い受けに行った。六義園の側にあるビルの6階から地上の車まで数往復してそれを運んだ。体を鍛えておいてよかった。家内はへばっていた。

私の普段の血圧は、最高が115程度、最低が75程度、体脂肪は15%程度で安定している。3週間のトレーニングのあと、最高が109、最低が69となった。上が110を切ったのは珍しいので、アスレティックの壁の血圧表を見ると、境界性低血圧とかの領域に入っている。後からインストラクターにいわれた。「別に血圧が低いからといって心配しなくてもいいですよ。トレーニング効果が出てきたのでしょう」と言われた。

私は若いころ、一流の運動選手だったわけではない。しかし、15歳くらいから1日、1時間は自分なりの方法で体を鍛え続けてきた。それが42年間。並みの体ではない、と自分で思っている。頭(知力)は体(体力)の基礎がないと機能しない。それはエンジニアをしているとき、長残業で実感した。1日15時間くらい根をつめ頭脳労働をし、ミスなしに精密な仕事をさせられた。体がばてれば頭がぼける。頭を生かすには体力の支えがいる。

ランディとアブラカをホテル近くで拾い、銀座へ出た。丸の内シャンゼリゼという映画館で「マッハ」というムエタイ映画をみた。全編タイ語だし、字幕は日本語だが、彼らは大いに楽しんだようだ。あの速い動きはランディにとり参考になったはずだ。「ランディ、お前ボクシングは下手だから、アクション・スターに転向したらどうだ?」というと、苦笑いしていた。

家内を含め4人で夕食を摂り、靴屋でランディとアブラカにウォーキング・シューズを買い、ホテルまで送った。別れたのが8時半。帰宅して中村先生のご家族に筆で礼状を書き、散歩がてら投函。あとはオリンピックを見る積りが、1週間のハードトレーニングの疲れが出て途中で寝てしまった。いい休日だった。
(8−15−04)


リングアナが体重をキロでアナウンスする試案

私は子供のころからボクシング界にいるから、選手の体重をポンドでいうことに慣れている。135ポンドというと、ライト級の選手の体格が思い浮かぶ。

しかし、一般の人はメートル法に慣れるあまり、リングアナウンサーが「・・・ポンド」と選手を紹介しても、ほとんどが理解できていないのではないか。

そこで提案。
リングアナウンサーは、体重をポンドとキロ両方で紹介する。
「ミドル級チャンピオン、・・・、160ポンド、72・5キロ」という。「ああ、72・5キロなんだ、このチャンピオンは」と観客は理解できる。

伝統的なポンド表示を残し、リングアナウンスではキロもいう。
これだけ人気が低迷しているのだから、もっと一般に受け入れられる改革を考えてもいいのではないか。
どうだろう?
(8−11−04)


3つのOPBFタイトル戦を終えて

土、日、月とリング・ジャパンがマッチメークしたOPBFタイトル戦が続いた。
OPBFウェルター サンティリャン 判定 丸元
OPBFフェザー 越本 判定 チェ
OPBFライトフライ 山口 判定 バタワン
結局、3試合ともチャンピオンの防衛だった。

土曜、メインの6回が終わったところで飛行機に乗るため府立を出たが、
最後の3ラウンドが熱戦だったらしい。山口は強打者相手に上手く戦った。

フレイタスがコラレスに倒されたシーンは衝撃的だった。
私はパスカル・ペレス、矢尾板貞雄戦を思い出した。

RJのスタッフがよく頑張ってくれたので3試合とも大過なく乗り切れた。
みんな13日から16日の盆休み、ゆっくり休んでほしい。
私はその間もランディ・スイコをしごく。
(8−10−04)


デラホーヤ、ホプキンス戦チケット発送済み

本日、9月18日のスーパーファイト、デラホーヤ対ホプキンス戦の観戦チケットをこれまでの申込者全員に佐川急便で発送した。

従来、リング・ジャパンが海外の試合のチケットを扱わなかったのは延期、キャンセルを危惧したからだ。しかし、このスーパーファイトはそんな危惧を超越して取り扱うに値する、と考えた。HPで宣伝し、ワールド誌にも広告を出した。

今回、第1回発送の前に、いろいろ不手際があったが、それは以下の通り、処置した。

(1) RJの米国エージェントがモラレス、エルナンデス統一戦の際、350ドル席を購入しにMGMグランド・ボックスオフィスに行ったが、350ドル席はすでに売り切れていた。そこで、差額は当社が負担して550ドル席を買ってもらった(もちろん、海外の大試合のチケットには値引きはない)。注文した人に「350ドル席は売り切れていたので、差額を200ドル出して550ドル席にしますか?」といちいち問い合わせ、そのクレームを聞くのは面倒だ。だから、私の一存で差額は当社持ちで、350ドル席の値段で550ドル席券を発送した。

RJ社員諸君は、「またいい格好をして損している」と冷たい眼を私に向けたが、これはこれでいい。次回からチケット注文システムを変えればいいことだ。

(2) チケット1枚につき、15ドルの税金がかかるという情報を把握していなかった。事実、送られてきたチケットにはそうプリントされている。これも税金の情報をつかんでいなかった当方のミスだから、RJで負担することにした。

まだ9月18日まで間がある。今後、リング・ジャパンにチケットを申し込みがあったとき、次の処置を取る。
(A)すぐアメリカに連絡し、その金額のチケットの在庫確認をしてもらい、電話予約をする。もしその金額のチケットが売り切れていたら、すぐ注文者に連絡し別の金額の席にするか、注文を取り消すか、問い合わせる。
(B)日本なら3万円の席なら3万円ちょうどの支払いで済むが、アメリカでは1枚につき何ドルの税金がかかるか、事前に確認したうえで広告を出す。
(C)次回は、チケット取り扱い金額計算方式を見直す。

<デラ、ホプ戦のチケット情報>
売り切れ: 350ドル席
取り扱い停止: 800ドル席(残数30枚だけのため申し込み受け停止)
取り扱い中: 1700ドル席、1300ドル席、550ドル席のみ

<リング・ジャパンのチケット送付期日>
今回が第1回発送でしたが、いまからお申し込みの方には
(1) 第2回発送: 8月15日ごろ
(2) 第3回発送: 9月5日ごろ(これを最後とします)

<申し込み受付期限>
8月末まで

デラホーヤ、ホプキンス戦チケットお申込者の皆さん、明日には届きますが、どうぞラスベガスでのご観戦を楽しんでください。きっと白熱の好試合になるでしょう。
(8−5−04)


反日感情について

いまサッカーの日本チームが中国で反日ブーイングを浴びている。
新聞はその原因を尖閣諸島や首相の靖国神社参拝の問題とか書いているが、そんな単純な問題ではないように思う。

中国は、日清戦争、満州事変、日中戦争(盧溝橋事件、南京虐殺など)を通じて、日本に対して歴史的怨念をいまだに持っている。しかるに、中国側から見れば、日本は改悛の情を示し足りない。その根源的反日感情がサッカースタジアムでの反日ブーイングの根底にある、と思う。

私は国際マッチメーカーとして、アジア諸国との交流を続けてきて、彼らの中に反日感情があるのを幾度も察知した。20年ほど前、韓国でタクシーの中で日本語で喋っていたら、「俺は日本人は嫌いだ。降りてくれ。ここまでの金はいらない。出ろ」と言われ追い出されたことがある。一緒に乗っていた故金裕昌先生が「いまだに日本に対してあれほどまで露骨なことをいう韓国人がいるとは・・・」と嘆息していた。

日本はアジアの嫌われ者である。日本人はそれが分かっていないようだ。歴史を見れば、日本が韓国、中国、比国、タイ、インドネシア、豪州で現地の民にどんなにひどいことをしたか明らかだ。現在、日本は経済大国だし、金を落とす目先の客だから表面上、笑顔を見せているだけだ。

私はアジア各地を訪れたとき、「われわれの爺さんたちが当時の軍部に強制され迷惑をかけたな」と(口には出さぬが)詫びる気持ちで彼らに接している。親兄弟、親族を殺されたら、その恨みは何代にわたり残る。その怨念は、学校教育が盛んな国(韓国、中国)ほど根強く、そうでない国(比国、タイ)では薄まりつつあるように感じる。多分、前者の国ではいまだに学校で反日歴史教育を継続しているからだろう。先代の暴虐は末代たたる。

中国で反日ブーイングを浴びるプレーヤーに同情はするが、それは故ないことではない。日本人は歴史を忘れるがちだが、彼らは忘れない。
(8−5−04)


鳩居堂の便箋

家を出ようとすると、比国のアブラカ・トレーナーから電話があり、トレーニングのため来日するランディ・スイコに対する比国コミッションの認可状が下りない、という。すぐGABに要請のEメールを出した。GABは杓子定規だな。確かにマネジャーは私で、私が依頼すべきなのだが、身元の知れたアブラカの要請をなぜ聞いてくれないのか。GABの形式主義は知ってはいるが。

車に乗る前、急に思いたち駅前の文具店に寄り、鳩居堂の便箋と封筒を買った。毛筆で手紙を書きたくなったからだ。この気まぐれというか衝動を大事にしたい。行動への原動力だから。

会社では、マッチメーキングの督促。日本は特殊な社会で、みんな互いに督促しあう文化だ。だから、依頼に対する応答が早い。しかし、タイや比国の熱帯の人たちはのんびりしている。相手の「すぐ」とこちらの「すぐ」との間に差がある。

ワールドの前田編集長に、川嶋の挑戦者ラウル・フアレスの写真の依頼をした。頼んでいるのにメキシコからまだ届かないからだ。前田さんからカウンターパンチで「東洋から世界へ」の原稿を督促された。明日、書こう。

夕食後、鳩居堂の便箋の1枚目は書道の徳村先生への手紙。まず半紙に手紙を書き、書道三体字典で形の悪い字の字形をチェックし、それから便箋に書き出した。書いても書いても、思うような字が書けない。結局、3枚の手紙を4回書き直した。手首が滑らかになってきたので、某レフェリーからの暑中見舞いに対する返書も毛筆で書く。結局、9時から12時過ぎまで筆で手紙を書いていた。

長く筆をとらなかった罰で、いまの障害を乗り越えれば、いずれスラスラ毛筆で手紙を書けるようになるだろう(と、信じたい)。

午後、買った鳩居堂の便箋は「朝風」と」「景文」だが、この「景文」は非常にいい和紙だ。使うのが勿体ないほどの便箋だ。20枚が525円だから、1枚26円25銭になる。家内に見せると、「私も使いたい」という。そこで言った。「駄目だ。これはワシの和紙だ」(これはジョーク)。

読み始めたのは、「骨の健康学」(岩波新書)。これは再読。
(8−2−04)


TV解説

朝5時に起き、7時前に家を出た。運転好きの家内の後で資料の再読。これだけは言わねばならない項目を優先度チェック。WOWOW辰巳スタジオ着がちょうど8時前。そのまま車を置き、帰りは自分で運転するケースが多いが、「本屋に寄るので乗って帰ってほしい」と家内にいう。

イバン・カルデロンのニックネームはEl nino de hierro (hierroは鉄、ironの意味だ)。デラホーヤはEl nino de oro(oroは金)。

昨日のタイソン4回KO負けの速報メールは早かった。今日のモラレス、エルナンデス戦もリアルタイムの解説が終わった直後、村木君に電話し直ぐ速報メールを出してもらった。試合終了直後、10分程度でメールが流れた。

帰途、東京駅で下車し、「歎異抄」を買うつもりだったが、解説に集中して疲れた。有楽町で降りる予定だったが、「別に今日、買わなくてもいいだろう」と思い、そのまま帰宅。

小西甚一「俳句の世界」(講談社学術文庫)を寝転がって読んでいるうちに仮眠。
今回の帰郷を振り返り、数句詠んだ。

せみ時雨 台風一過 耳を刺す
亡き父の 法事終わりて 足立たず
陽炎の 立つなか帰郷 法事かな
台風に 波高きかな 須磨の海(朝ひと泳ぎするつもりだったが駄目)
タイソンの 終焉告ぐる ケンタッキー
こんな駄句ならいくらでもできるのだが、時間の無駄か。

来週、7日のOPBFウェルター級タイトル戦をマッチメークしているので大阪へ行き、その日のうちに帰京し、8日早朝のフレイタス、コラレス戦の解説をする。
(8−1−04)