小松/羽田 8:00/9:05
自宅に戻り、ラスベガス出張の用意をして2時前出発。
日曜で道がすいていたので、3時成田空港着。
南アから香港経由、織田君と一緒に成田に戻ってきたランディとアブラカを出迎える。
2人に南アの試合で出来ていなかった課題を箇条書きにして紙を渡して説明。
4時すぎ、佐竹選手、吉田会長一行と成田で合流。
成田/サンフランシスコ 17:55/11:00
サンフランシスコ/ラスベガス 12:47/14:14
ホテルにチェックインする前にトップランクジムへ直行し、佐竹選手の体重チェック。
今日は旅の疲れをとるため、トレーニングはなし。
(5−31−04)
私はだてに10数年WOWOWの解説者をし、ビデオ収集家であり、マッチメーカーをしているのではない。自分の選手の実力は分かる。誰と戦えば負け、誰と戦えば苦戦するか、大体予想できる。
南アフリカへ遠征し、2−1の判定とはいえ負けてよかった面もある。もちろん現在の力でも勝たせたかった。負けて悔しい(自分の選手が負けて悔しくないマネジャーがいるわけがない)。
ランディの過去21戦全勝18KOの相手を見れば、骨のある相手と戦っていない。当然、ここらあたりで筋金を入れる厳しい試合をさせるべきだった。それが、世界1位ファナとの対戦だった。しかも、敵地。しかも、高地。条件は揃っていた。
なぜ負けてもいい面があるのか? それはトレーナーの意識改革の問題である。アブラカ・トレーナーに何度も、こういうトレーニングをすべきだ、こういう選手に育てていかねばならない、とアドバイスした。それを消化できない。あるいはしない。
なぜか? いまの教え方で勝ち続けてきてからだ。私はどうもアブラカにもトレーナーとしてのプライドがあると、指示が中途半端だった面がある。「それなら自分で教えればいいじゃないか」と開き直られても困る。比国のセブまで頻繁に往復できるわけではなく、日本に呼んでも毎日見られるわけではない。
アブラカは研究心に欠ける。必要最低限のビデオやTVしか見ない。それでは自分が選手に教える攻撃、防御のパターンを増やせない。結局、自分の体得したボクシング、それも基本練習しか教えない(この基本練習を教える部分では上手いのだが)。それで事足れりとしている。向上心がない。新しいテクニックやタイミングを工夫する志向がない。
南アでの試合後、「この試合は負けていない」とアブラカはいった。「反省のない奴だな」と思ったが、チームワークを重んじるため、その場では何もいわなかった。
助言というものには言うべきタイミングがある。それを誤ると、侮辱や叱責に受け取られ、逆に反感を持たれることになる。特に自分自身を有能だと自惚れているトレーナーにマネジャーから助言する場合は、時を選ばねばならない。
決して私のいうことの方がアブラカの教えていることより正しいというのではない。試行錯誤として、いろんな指導を試みてみるべきだ、というのだ。彼にはその試行錯誤の必要性が分からない。
助言のタイミングを、ファナとの試合が比国で放送され、それを彼が見てからにしようと思う。いまのランディはこれ以上、上にいくには欠陥だらけだ。いままで身体能力だけで勝ってきて、これから本格的に鍛えないといけないのに、アブラカはその指導の方向性が分かっていない。
トレーナーに対する愚痴ではない。私はトレーナーのプライドを尊重する。その誇りを傷つけず、ランディをいま一歩強い選手に育てる対話をアブラカとせねばならない。
時差の影響か、ヨハネスバーグから香港の間、10時間も寝たためか、金沢の一夜は眠れなかった。夜12時から5時まで、ずっとランディのこと、アブラカのことを考えていた。
(5−31−04)
ヨハネスバーグ/香港 29日12:50/8:00+1(30日)
香港/成田 9:15/14:30
羽田/小松 17:05/18:05
石川県産業展示会館着 18:30
國見泰央選手がジムレックス・ハカに7回KO勝ちしてOPBFスーパーバンタム級新チャンピオンになった。マッチメーカーとしてこの試合に間に合って、そして新チャンピオン誕生に立ち会えてよかった。樫見会長、おめでとうございます。
明日午後6時、佐竹政一選手一行とラスベガスへ発つ。
(5−30−04)
試合開始が夜10時で、ホテルに戻ってきたのが12時半。2週間練習をさせてもらった帝拳ジムの長野マネジャーに電話し、試合結果の報告。深夜、もうどこもレストランは開いておらず、ホテルのルームサービスもない。買い置きの5人分のサンドウィッチを食べながら、ランディの部屋で反省会。
自室に戻り、速報メールを送信。
「速報メール」(1ヵ月300円)は下記のような試合速報を流すものだ。
WBC SFe級挑戦者決定戦
5−28 南ア・ソウェト
1位ムゾンケ・ファナ(南ア)21-2,9KO
12R判定2−1 (114−111,115−111、113−114)
2位ランディ・スイコ(比国)21-0,18KO
ランディは2回に右アッパー、4回に右クロスから左フックで2度ダウンを与え、必勝パターンだったが、5回以降、狙いすぎか、高地の影響か、手数が減り、一方ファナは逃げ腰ながらジャブを突き11回まではポイントを重ねた。惜しかったのは最終回。ランディはファナに右アッパーを当て、グラグラにさせファナは必死にクリンチ。しかしあと一発を当てられずゴング。ジャッジは最終回みんな10−8をつけていた。10−8のラウンドを3度取りながら負けた。
ヨハネスバーグ(英語ではジョハネスバーグ、アフリカーンスではヨハネスブルグだが、ここではヨハネスバーグと表記)は標高約6000フィート(約1800メートル)の高地だ。高地の影響があるのは分かっていた。それを試合前、選手にどう説明するかが問題だった。18日に日本を出発し19日着から試合前日まで9泊していた。時差はもう問題ないが、高地の影響はトレーニング中、感じていただろう。あえてそれに触れなかった。意識するとスタミナの心配をして攻撃が萎縮しかねないからだ。
結果論だが、高地の影響というのはこんな形で出るのかと思った。すなわち、ランディは7回あたりからコーナーに戻ってくると酸欠で半狂乱のようになって、「水、水、水!」と叫ぶ。呼吸が苦しく、体が熱い。早くうがいをさせ、体に水をかけてくれ、と懇願する。セコンドをしていた織田君は、「10回あたりで試合を捨てるのか、と思った」といった。しかし、ラウンドが始まると、その半狂乱ぶりが嘘のように一発を狙い、倒しにいく。最終回は残り2分間、あわやKO勝ちで打ちまくった。
ランディはよほど気が強いか、体力があるのだろう。技術的欠点はまだまだある。だが、本来の野性味とパワーは発揮できた。まだ24歳と若いし、これからキャリアを積んでいけば、もっと強くなるだろう。
試合に負けたあと、控室でその選手を怒っているマネジャーやトレーナーをよく見る。根性がなかったり、手数が出なかったり、その敗因が明らかで、そこで指摘する方が選手の将来のためになるときは、叱った方がいい場合もある。だが、自分が単に悔しいからといって、その悔しさを選手自身にぶつけるような怒り方はよくない。要は、言い方だろう。
私はランディを誉めてやった。あの息の苦しさの中で、最後、あそこまで追い詰めれば上等。勝ち負けは時の運だ。もう一度戦えば、ファナには勝てるだろう。今回は、初めて高地で戦い、ハンディがいろいろあった。
ドーピングテストの後、まだ他の試合をしていたが、われわれは会場をあとにした。そのとき、ラウンド中なのに、会場全体からランディに対してものすごい拍手があった。強い男は世界中どこへ行っても尊敬を受けるのだろう。それはファナに勝って欲しいという観衆のナショナリズムを超えた尊敬だ。レフェリー、ジャッジ、立会人、プロモーター、関係者みんなから、「スイコは強い。すごい試合だった」と誉められた。Siyabonga(アフリカーンスで、ありがとう)。
織田君が試合後いった。「勝ち負けは別にして、こんな試合があるのかと思うくらいスリリングでしたね」と。南アまで来てセカンドをした甲斐があっただろう。最終回、あと一発、右ストレートか左フックか右アッパーが相手のアゴに引っかかっていれば、もう夢遊病者のようなファナはキャンバスに沈んでいただろう。
これからランディの将来は面白くなるだろう。鉄のアゴ、石のコブシ、抜群のスタミナを持つジャングルボーイ(野生児)には、いつかまた大きなチャンスが来るだろう。
(5−28−04)
この国の人間は日本人に似て時間に正確だ。
ところが3時に計量に出かける約束が、迎えの車が来たのが3時半。しかし、30分で到着。予備計量をすると、58・5キロ。「少しスオーツドリンクを飲むか」とランディに聞くと、「いらない」という。5時の正規の計量では、ファナが58・60キロで、ランディは58・54キロ。本当に周囲は黒人の人たちばかりだ。
プロモーターのブランコが選手やセカンドたちに入場証を配り終えるのに時間がかかり、ルール会議が始まったのが6時前。それが終わり、南アコミッションを出たのが6時半。ひとつ問題が起きた。グローブをチェックしたとき、ファナがサインしたグローブとランディに渡されたグローブの型式が違う。こちらはサインする直前で、「そちらのグローブを見せて欲しい」と私がいってから、その違いが判明。別にトリックだとは思いたくないが、明日試合場でグローブの再チェックをし合うことになった。
ある程度の嫌がらせ、地元判定は覚悟してきた。その割には、フェアな待遇をしてくれている方だ。そんなことは気にしなければいい。多分、ランディもアブラカも試合地ソウェトで黒人暴動が起こった歴史を知らないだろう。無知ゆえに無神経でいられるなら、それはそれでいいことだ。余計な知識を与える必要はない。
いろいろ他にも不利な条件はあるのだが、なるようになるだろう。スライマン会長の承認で、この試合の敗者はWBCインター、またはOPBF王座を保持できることになった。
(5−27−04)
朝10時にプロモーターのブランコが迎えにきた。その車にムゾンケ・ファナが乗っている。別の車にわれわれが乗り、ヨハネスバーグの市庁舎に向かう。市長を囲み、20名くらいの記者の前で共同記者会見。ブランコの宣伝のため、この試合がいかに重要なイベントかをかなり長く喋った。この市庁舎は非常に大きい建物で、職員はほとんどが黒人(市長も)だった。
ブランコが「この国は4000万人が黒人で、白人は200万人。白人は5%にすぎない。最近、逆差別がひどくてまいる」と愚痴をいう。
ファナと初めて会ったが、顔が非常に小さい。身長はやはり170cmくらいで、ランディの方が1インチ(2.5cm)くらい大きい。判定の試合が多いのに顔があまり潰れていないのはテクニシャンの証拠だろう。
ヨハネスの中心部から30分くらいかけて南ア・コミッションに体重チェックに行く。2ポンド近くアンダー。ボクサーは体重には神経質になるから、朝から水分を控えていたのだろう。コミッション近くの店でアブラカがスポーツドリンクを買ってきて、500cc分を飲ませた。これで今日の午後のトレーニングは不要。昼食(兼、朝食)と夕食が摂れる。
HIV(エイズ)とB型肝炎の診断書を提出したら、コミッションの女性事務員から「この診断書は去年の12月のものだから、最新のものを提出してほしい」といわれた。アブラカはGAB(比国コミッション)にその原紙を提出していた。南ア側が原紙を要求するので、ランディたちが日本にいる間にGABからフェデラルで送ってもらった。その際、昨年末のB型肝炎の診断書を送ってきていたようだ。GABの秘書のミスだろう。
2ポンドアンダーで朝食を抜いていたので早く食事をさせたかった。それなのにドクターへ行き、検査を受けねばならない。約30分車をとばし(ブランコが運転)、ショッピングモールの中の診療所へ行く。そこで少量とはいえ検査のため血を抜かれた。ただでさえ高地でもっとヘモグロビンが欲しいのに、血を取られた。私は非常に気分が悪い。
しかし、アブラカを怒っても仕方がない。試合まであと2日だ。「ワラン・プロブレマ」(タガログ語で、問題ない)と言い、このことには触れないようにした。いまさら言っても仕方のないことは言わない方がましだ。
今日、車で走り回ったが、さすがアフリカだ。景色が実に雄大だ。荒野が視界に入ってくる。遠くに地平線が見える。「アフリカに来ているんだな」と実感。
今日の出来事は、もし負ければ敗因にひとつになるだろう。アブラカの責任だけではない。私がもっと注意深ければ、HIVとB型肝炎の診断書の日付をチェックしていただろう。つまり、私の管理責任でもある。
体重は夕食前、スーパーフェザー級リミットの58・9キロ。比国人選手は一晩寝て2ポンド落ちるし、明日の計量は夕方5時からだから、1ポンド分は食べて飲める。
昼間は25度くらいあり暑いくらいなのに、5時ごろ陽が落ちると俄然寒くなる(低いときは3度)。アフリカ大陸の砂漠はこんな気候なのだろう。ここで戦うと決めた以上、愚痴をいっても仕方がない。それは男らしくない。
ランディは比国セブの山奥(ジャングル)の中に住んでいる。私は冗談で「おい、ジャングル・ボーイ」と呼ぶ。ランディの行儀が悪いからだ。暑いとき、レストランでもすぐランニング一枚になりたがる。「お前はアフリカ人よりワイルドだな」とランディに言って、みんなを笑わせた。試合前何が起ころうと、リラックスして戦わせればいいのだ。
(5−26−04)
早起きしてFIGHTNEWSへの英文リポートを書き、スポーツ報知の毎週水曜のコラム「ウィークリーBOXING」を仕上げ、近藤デスクに送信。
パッキングは2日前にあらかた済ませ、出発前日と当日に再度見直すことにしている。午後2時に家を出て、出発の2時間半前に空港に着いた。いつもギリギリの私としては珍しい。
成田/香港 18:25/21:55 (4時間半)
香港/ヨハネスバーグ 23:50/7:00+1(+1は翌日の意味)
(13時間10分)
出迎えが来ていて、ホテルまで1時間弱。ヨハネスバーグというが、そのダウンタウンは治安が悪いので、ランドバーグにホテルが取られていた。ロビーで織田君と会い、早速ランディ・スイコとファニト・アブラカ・トレーナーの部屋に行く。元気そうなので安心。
すぐインターネットの接続。いつも海外からリング・ジャパン速報会員にメールを送っているが、ときに手間取ることがある。しかし、南アはインターネットが発達しているのでホテルの自室からすぐ接続できた。
事務所からマッチメーキングの報告が来ていたので、返信。いろいろメールを送信したあと、ランディの練習を見に行く(ホテル内の一室をトレーニング用に使っている)。ジムに一度行ったが、片道50分もかかったので、以後、ホテル内で動いているとのこと。シャドーとロープスキッピングで汗出し。
私はトレーナーの面子(めんつ)を重んずるので別に何もいわなかったが、試合間近に体重を下げるためだけの練習の%がタイミングや対策のための練習の%を上回るのは望ましくない、と思う。こんな試合の4日前に細かいことをいうと、選手が神経質になるかもしれないので、「調子いいな。もう少し腰を落とすともっとパンチがきくぞ」程度にとどめた。
ホテルの目の前が駐車場で、その向こうがショッピングモールで、その奥がレストラン街だ。その中の4店でフリーでサインして食事ができるそうだ。
ランディの夕食が5時半。私はプロモーターのブランコ・ミレンコビック(ユーゴスラビアからの移民)に夕食を誘われていたので、ランディの食事を見るだけのために付いて行った。キングリップという鰻のような長い魚とライス、スープと野菜を少々。レストラン街までが徒歩10分程度。ちょうど消化促進にはいい運動だ。
ランディは夜10時ごろには寝て、朝6時から7時に目が覚めるそうだ。比国人はスペイン占領の時代から昼寝(シエスタ)の習慣がある。それは失業率の高さにも関係があり、昼間、仕事がないから寝ることが多いらしい。
その習慣を海外遠征のときも続け、昼寝して夜寝られない、というのはよくない(ガンボアがメキシコで失敗した)。私はメキシコでアブラカを怒らなかった。最近、相手を怒らず、自分の思う方向に動かすテクニックを考えるようになった。ヨハネスバーグに着いてから最初の3日間、昼間、少々眠くても長い昼寝をせず夜まで我慢する。そうすれば夜眠れ、それを数日続ければ、時差は解消する。大事なのは、飛行機に乗ったときから(出来ればその前から)現地時間に合わせることだ。
問題はヨハネスの高地の影響だが、これは実際、影響が出るかもしれないが、そのことに触れぬことにした。意識しなければ、気にならない。相手のファナに技術で劣るなら、そして敵地の不利さがあるなら、あとはランディの野性味、若さ(相手の30歳に対して24歳)で補えばいい。ランディは細かい作戦を立ててそれを踏襲させるより、出たとこ勝負で気楽に戦わせた方がいいタイプだ。言うべきことは、日本の練習のときに言った。この試合までに間に合わないことは切り捨てる。まあ、なるようになるだろう。
(5−25−04)
5時半起床。朝8時、WOWOW辰巳スタジオ入り。
5−30(ヘビー級、デラホーヤ特集)と5−31の音入れ。4時半には終わり、帰途、途中下車して本屋に寄る。美術史の本を買った。マッチメーカーの仕事をする中で出張時、名所旧跡を訪れることがある。そのとき予備知識を持って、寺や神社や絵画や彫刻を見るか。それとも、無知のまま漫然と眺めるか。美術史に多少でも造詣のあるボクシングのマッチメーカーというのも面白かろう。
この日、神戸でOPBFバンタム級タイトル戦、甲府でオルテガ、渡辺戦、北海道で木村、ヨックタイ戦があり、「速報メール」を入れるのに忙しかった。英文リポートは明日。今日は朝5時半に起きたので、少々疲れた。疲れたら早めに寝るのが得策だ。
(5−23−04)
今日も事務所へ行った。
TVで拉致問題の進展を見守りたかったが、南アに出る前に
片付けるべき仕事が残っていた。
大之伸くま、榎洋之戦の覚書、池仁珍、洲鎌戦のフォローなど。
帰宅して小泉首相の成果に対して非難が浴びせられるのを見た。
まるで日露戦争後のポーツマス講和会議のあとのようだ。
小村寿太郎は日本全権としてロシア全権のウィッテと、ローズベルト
米国大統領調停の下、講和条約を結んだ。
小村は期待された15億円の賠償をロシアから取れず、国民は
その交渉に不平を漏らした。
講和反対を訴える国民大会が明治38年9月に開かれ、その怒りは
暴動と化した。それが日比谷焼き打ち事件となり、戒厳令が敷かれた。
別に小泉首相の肩を持つわけではないが、交渉者はつねに過大な成果を
期待される。相手あっての交渉だから、こちらの思い通りにいかないのが
常なのに、交渉の場にいない部外者はその苦労が分からない。
吉村昭に「ポーツマスの旗」という作品があったが、交渉者の苦悩を
書いていたように思う。
(5−22−04)
織田君は南ア、村木君は大阪(22日、亀田)、朝長君は神戸(23日、長谷川)でみんな出張。ひとりで事務所に出て仕事。
事務所の電話はシャットアウトしているので仕事がはかどる面と、コピーからFAXまで全部自分で処理するので手間がかかる面がある。
コピー機が不調で、自分で直していたら30分空費。
考えてみると、24日出発まで正味2日しかない(23日はWOWOW音入れ)。
いろいろ処理しておくべき仕事がある。
30日に帰国してそのまま金沢に行き、翌日、佐竹選手一行とラスベガスへ出発。
Eメールで事務所と連絡が取れるとはいえ、6日帰国して7日事務所に出るまで
約2週間、事務所を空けることになる。
南アの試合会場はソウェトという黒人居留区にあるオーランド・コミュニティ・ホール。
そんな普通、人が行かない所で自分の選手を連れ試合ができることを幸運と思うべきだ。
ハンディを背負って勝つのが本当の勝利だろう。
(5−21−04)
事務所を出たのが5時。もう30分早く出たかった。
雨足が強いので珍しく車でホールへ行く。
私は往きはJRに乗りできるだけ歩くようにしている。
前OPBF王者ペドリト・ローレンテが非常にスピードがあり、
ホープ長井をTKOで破った。福島、リナレス、ハカと戦ったときより
気が入り、数段強く見えた。
電話でランディ、アブラカと話し激励。
(5−20−04)
ランディが出発してほっとした。
13日に名古屋に出張してから1週間ぶりに会社に出た。
机の上は書類の山。
優先度をつけてひとつずつ処理。
夕方、南アフリカから織田君が到着の連絡。
香港からヨハネスブルグまで飛行機がすいていて
ランディは3席を利用してよく寝たそうだ。
(5−19−04)
早起きして、スポーツ報知の「ウィークリーBOXING」の原稿を送信。
12時、帝拳着。ランディの最後の練習。
終わって132ポンド。試合の10日前、ここまで持ってくれば、あとは食事しながら体調を整えられる。長野マネジャー、トレーナーの皆さん、スパーリングの相手をしてくれた速水選手などに挨拶をして出る。
3時前、ホテルの前に家内が車を持ってきて、4人で成田空港まで。
織田君は空港で合流。
6時半の便で香港経由、ヨハネスブルグ行きだ。
それを見送り、帰宅。
私は24日出発だが、それまでに片付けておくべき仕事がある。
(5−18−04)
朝9時半、WOWOWの辰巳スタジオ入り。
この日夜放送のジョーンズ、ターバー戦の音入れ。
6時半に出て、すぐ後楽園ホール。
ヘビー級の高橋良輔、オークランド・アウマタギ戦をマッチメークしていたが、ホールに着くともう3回目に入っていた。
帰途、ランディ・スイコのホテルを訪れ、明日の南ア出発の準備確認。
(5−17−04)
12時にロビーに集合して、レフェリー、ジャッジ諸氏と岐阜へ向かう。
途中、アメリカから電話が入り、ロイ・ジョーンズが2回逆転KO負けしたのを知った。
みんな「信じられない」とショックを受けた様子。
石原はあと一歩で世界タイトルを逸した。本当に惜しい。
こちらも逆転TKO負けだった。
オフィシャルと名古屋にもどり、明日の彼らの帰国の手配をして出た。
7:47名古屋発、9:30東京着。
明日のWOWOW解説の予習をして寝た。
(5−16−04)