これは家内からまた聞きした話だ。
家内が懇意にさせていただいている老先生がいる。医学博士だ。その先生の事務所が高田馬場にあり、それと同じビル内に正道会館の東京支部があるという。そこに通う少年たちの数や大変なものだという。
GOOGLEで正道会館を引いてみた。
http://www.seido.co.jp/fast/fast.htm
支部は全国にわたり、すごい数だ。会費の納入法もボクシング・ジムに似ている。日本各地で、いわゆる「空手キッド」がすごい規模で増産されているわけだ。
K−1は、外国から大男を連れてきて興行しているだけだ、いずれ飽きられる、と見くびっているボクシング業者が多いことだろう。だが、K−1は階級制を導入し、軽いクラスにも進出しようとしているらしい。
そうなると脅威だ。日本全国の空手少年たちが5年後、10年後、K−1戦士に成長する。より試合報酬が多く、より多くテレビに登場できるのなら、従来はボクシング・ジムの門をくぐっていたハングリーで、敏捷で、勇敢な若者、少年たちはK−1の方を選択する。それは理の当然だろう。
ボクシングを若者、少年たちにとりもっと魅力的なプロ・スポーツにすることはできないだろうか。もっと観客を増やし、もっと選手たちの報酬を上げ、もっと出場の機会を与え、もっとボクサーの社会的地位を上げ、もっと若者、少年たちがあこがれるような形に改造できないだろうか。
何か方法はあるはずだ。
もしK−1の現在の隆盛が5年、10年続くとすれば、本来ボクシング界に入り世界チャンピオンになるべき素材がK−1に行ってしまう。
私の危惧が単なる杞憂で終わればいいが・・・。
(2−28−04)
22日の小倉におけるピーター、アウマタギ戦は一般客を魅了するに足る凄い打撃戦であった。
23日の後楽園ホールにおける真鍋、伊地知戦も近来まれなスリリングな一戦だった。
しかし、ともに非常に少ない観衆の前での興行だった。
「もったいない」と思う。
ボクシング界では、いい選手を育成し、いいカードを作ればチケットが売れ、客が入る、と言われる。
私もそう思っていた。
しかし、どうもそれだけが観客を増やす方法ではなさそうだ。
いまのボクシング界には広報、宣伝活動がもっと必要なのではないか。
「この選手は非常に将来性があるいいボクサーだ」、あるいは「この試合は非常にいいカードだ」というアピールが足りないのはないか、と思い始めた。いい選手が出ても、いいカードを作っても、その宣伝をしなければ、観客増には結びつかない。
新聞におけるボクシングの記事は小さくなる一方だし、テレビの定期番組は減少し、専門誌の部数は低下する(インターネットでより新しい情報が得られることが原因だろう)。
たとえば、日本プロボクシング協会は各地域に分かれているのだから、各協会で広報担当を置き、「事前情報」を広範囲にマスコミに流す。
試合後の「事後情報」はチケットの販売に対し間接的効果しかない。
大事なのは、観客増員をあおる「事前情報」だ。
誰それがメキシコ、タイへ遠征とか、新しいカードが決定したら、いち早くマスコミに流す。Eメールで流せば、コストが安い。
もっと記事ネタをマスコミに提供する工夫が必要だろう。
これだけ興行数が増えると、客の懐にも限度があるので、客はカードを選ぶ。
全般的にどのカードも観客数が落ちているのは、観客が多カードに分散しているためもある。
限定されたボクシングファンをより多く会場に引き寄せるには、近い将来のカードの宣伝が必要だ。プログラムに次回興行の予定をもっと宣伝すべきだ。別のプロモーター同士が協力し合い、チラシを入れ合う努力が足りない。
全国のどの会場にも、「ボクシングファン・メールアドレス登録コーナー」を設けてみてはどうだろう。協会でそれを一括登録し、試合予定をメールで流す。
カード変更などの新情報もメールで流す。どうだろうか。
(問題はその定期的な試合予定送信を誰がするかになるが)。
興行の形態も多少、変化させた方がいいかもしれない。
リングアナウンサーはもっとこの試合が好カードだ、とアピールすべきだ。
ただ名前を読み上げるだけでは能がない。
たとえば、真鍋、伊地知戦では、真鍋は「6連続KO中」、伊地知は「元高校三冠王」とアナウンスするだけで、試合が盛り上がる。
最近、若いリングアナウンサーは試合前に戦績を言ったり改善の努力が見え、それは評価するが、アメリカ、英国、ドイツ、メキシコなどのボクシングが盛んな国のリング・アナウンサーと比べると、カードのあおり方が少ない。
現在のランキングだけでなく、元チャンピオンとか、その選手の肩書きをアピールするアナウンスの工夫がもっと欲しい。
昔は街を歩けば、電信柱にボクシングの興行のポスターが貼られていた。
それを道行く人がしばし立ち止まりながめた。
現在、条例で電信柱へのポスターの貼り付けが禁止されるなら、駅(たとえば水道橋駅)に一ヵ月のカードを網羅したポスターを貼ったらどうだろう。
そのコストは興行数で分割、分担すればたかがしれている。
どんなにいい選手を作っても、その選手が本当に好選手であることを宣伝しなければ客が来ない。どんなにいいカードを作っても、それが好カードであることをアピールしなければ客は来ない。
私はマッチメーカーとして、東京、名古屋、関西、九州を回る。
こんないい試合なのになぜ観客はこの程度なのだろう、と思わずにはいられない。
衆知を集め、ボクシング会場に観客を呼び寄せるアピール方法を考えるべきだ、と思う。
われわれが提供するボクシングはいまの程度の観客で満足していてはいけない本当に面白いプロ・スポーツなのだから。
(2−25−04)
鴎外森林太郎が陸軍軍医監に任ぜられ、小倉に赴任したのは明治三十二年(1899年)六月。鴎外が東京に戻ったのは明治三十五年(1902年)三月である。鴎外、三十七歳から四十歳まで。小倉に居たのは三年に三ヶ月満たぬ。左遷といわれる。その因は職務の外に文筆活動をしていたためと人はいう。
東京を出て小倉に着いたのは午後二時三十八分である。北九州メディアドームに東洋太平洋ヘビー級タイトルマッチが開催される。第一試合は四時開始である(実際は四時四十分頃始まった)。山田操医師の携帯に電話した。小倉に来る車中の人であった。氏より森鴎外旧居が駅より近いと教示された。駅員に場所を訊くと、徒歩十分足らずという。しかし、南口から前方を見ると、雨脚が余りに強い。道行く人たちは傘を風に煽られ、前に進むのに難渋している。
私は駅の前で暫し逡巡した。「タクシーで行く距離ではありません」と私が道順を尋ねた駅員が答えた。しかし、歩けば傘を差しても横殴りの雨に遭いずぶ濡れになるだろう。タクシーの運転手が嫌がるのは乗車距離の短い客である。そこで鴎外旧居、小倉城、体育館の道筋を考えた。老いたる運転手は私を歴史探索者、あるいは鴎外愛読者と見たか、「ゆっくり御覧なさい」と途中下車に寛容であった。
鍛冶町の路地の中、その旧居はあった。鴎外の小説「鶏」にこの家を描写した記述がある。「(前略)何となく古い、時代のある家のやうに思われる。それでこんな家に住んでいたら、気が落ち付くだろうというやうな心持がした」と。まさにそんな感のする家であった。雨の中、その家に入った。もう人はいない。六部屋ある平屋である。奥の間に床の間がある。書を読み、文を書くに足る静けさがそこにある。
パンフレットを手に取ると、敷地面積七百四平方メートル、延べ床面積百八十六平方メートルとある。暗算をする。一坪=約三・三平方メートルだから、三・三で割ることは、3/10を掛けることになる。即ち、三を掛けて十で割る。
704 u=[(700 x 3) +(4x3)]/10坪=211.2坪
186u=[(200 x3x0.9)+(6x3)]/10坪=55.8坪
建蔽率=約25%
庭の広い家である。ただし、これは旧居の東側隣接地を昭和五十九年に買収し、博物館のようにしたためで、鴎外が住んでいた頃はそれほど広くはなかったと思われる。鴎外はここより小倉城近くの第十二師団に馬で通ったという。家の脇に馬小屋(stable)がある。
鴎外は左遷の時代、ベルトラン神父よりフランス語を習い、サンスクリット語を学び、アンデルセン「即興詩人」の訳業を完成し、クラウゼビッツ「戦争論」の講義をし、北九州の先賢や史跡を訪ねた。左遷に腐り、やけ酒に溺れるのでなく、運命を甘受し自分を鍛えなおした。そこが偉い。この沈潜の時代があってこそ、帰京後の文壇での活躍があった。
小倉城も見た。雨の中、飛び石を踏みながら、門の前まで歩いた。しかし、中に入るには時間がない。鴎外旧居で茫然と立っていた時が思いの外、長かったのだろう。もう行かねばならぬ。
以上、やや鴎外調。
体育館(室内競輪場)は人が少なく、底冷えのする寒さだった。セミファイナルの前、私は控え室からコートとマフラーを持ち帰り、それで身を包み観戦。挑戦者のアウマタギが異常な頑張りを見せたので激闘になった。こんないい試合をこの程度の数の観客に見せるのが惜しいほど凄いファイトだった。最近、どの試合も観客がやや少ない気がする。ボクシング界は好選手育成の本分だけでなく、好試合の存在をさらに宣伝し客を集める工夫が必要ではないだろうか。
山田医師の車で小倉駅まで送ってもらった。感謝。すぐデンマーク語の学習に入ったが、そのCDを聞きながら広島から岡山あたりまで眠った。久保田君の回復状況はどうだろう。東京まで戻れぬので神戸の実家に泊まる。FIGHTNEWSのリポートはそこで打った。速報メールのそれは体育館から送信した。就寝前、「森鴎外」(新潮日本文学アルバム)でその小倉時代の生活の部分を読んだ。今日は鴎外旧居訪問の余韻に浸った。
(2−22−04)
今日、事務所に出ると注文していたデンマーク語の本が届いていた。
読み始めたくてたまらない。しかし、その衝動を抑え、まず途中まで復習している「インデックス式 ドイツ文法表」を終えることを自らに課した。「デンマーク語を始めたければ、これを終われ!」と自分に命令する。
いま夜2時だ。やっとドイツ語の文法表が終わった。明日からデンマーク語にかかれる。私が出発する3月9日まで18日間ある。ある新語学速習法を思いついた。それを試してみよう。先にスウェーデン語をかじったのが生きてくるように思う。いまその本をパラパラとめくると、スウェーデン語に似ている部分がある。そしてドイツ語と共通する言葉もある。
先日、八重洲ブックセンターでこの本とコペンハーゲンの市街図を買ってきた。それを見ながら、丸善の理科年表で気候、温度、湿度をチェックしておこう。
論語にこんな言葉がある。
行有餘力、則以學文。
行いて余力あらば、すなわち以って文を学ばん。
仕事(私の場合、マッチメーカーの仕事)をきちんとして余力があれば勉強すればいいという意味だ。それが社会人の時間的限界を踏まえた学習法だ。時間が細切れで乏しければ、余計に集中力を発揮すればいい。3月6日の世界戦で忙しくなれば、奥の手がある。朝5時から起きて3時間ずつデンマーク語を学習すればいい。まあ、そこまでしなくても、3月13日、デンマークで結構役に立つところまで習得できそうに思う。
(2−19−04)
ワールド・ボクシング誌3月号をめくっていたら、読者投稿欄に外国人選手の昨年の国別戦績が載っていた。
タイ人選手は、昨年、3勝1KO182敗と書いてある。
最近、コミッションからマッチメーカーたちに対し、約10名のタイ人選手を今後、招請しないようにという通達が来た。彼らは日本で連敗、あるいは連続KO負けの選手たちだ。中にはリング・ジャパンで組んだことのある選手も含まれていた。
先日、タイ人選手が1回早々、相手のパンチを受けたわけでもないのに自ら肩を脱臼し、防御姿勢をとれぬまま日本人選手にKOされた。これはプロモーターや日本人選手の責任ではなく、こんな選手を呼んできたマッチメーカーの責任だ。同じタイ人選手とはいえ、大阪でOPBF王者、長谷川に打ちまくられながら頑張り反撃して判定まで生き延びたタイ人と大変な違いだ。
聞けば、シットゴーソンというリングネームを持つ選手が所属するシットゴーソン・ジムはアスレティック・ジムでろくな選手がいないという。事実、タイ国ランキングを見ても、ひとりとしてシットゴーソン・ジムの選手はランクされていない。あの脱臼を起こした選手は本当に国際式の経験があるのだろうか、と疑問に思う。
比国の選手がタイの選手よりまともな試合をするのは、来日資格はランキング・ボクサーに限るという制限を設けているからだ。この際、コミッションから次の規制を出してはどうか。
すなわち、
『日本で8回戦以上を戦うタイ人選手は、タイ国ランカーに限る』と。
この規制が通達されれば、もちろんリング・ジャパンもそれに従い、タイ国ランキング・ボクサーの許容範囲内でプロモーターの要望に沿う選手を選択する。
かつて1週間に毎日、ボクシング放送があった当時、メインイベント級の選手が不足し、カードの質がドンドン落ちていった。そのためファンの支持を失い、TVのボクシング番組が1つ抜け、2つ抜けでプライムタイムから消えていった。
最近、日本のリングに上がるタイ国選手の質はひどすぎる。こんな状態を放置していると、負けるのが当たり前、頑張りもしないタイ国人選手が日本のボクシングを破滅に追い込みかねない。
今回、コミッションは連敗のタイ人選手の出場停止を通達したのだから、さらに進んでA級の試合出場はタイ国ランカーに制限する方策を真剣に検討してはどうだろう。このままではボクシング自体が一般客に軽蔑されかねない。
(2−19−04)
小松対ロドリゴのOPBFフライ級タイトルマッチをマッチメークしていたので
前日の14日中に神戸の実家に着くはずだった。日曜は2部興行で第1部は午後1時に
始まる。前日に神戸に帰っておけば寝過ごす心配がない。家内は京都に料理の講演に
出て1人だ。
最近、夜、書道をしている。半紙に論語の文章を繰り返し書く。夢中になって書いて
いたら、時が経ち、もう新幹線に乗れぬ時刻になった。
長野の高校で、ものを覚えるには声に出して読みながら繰り返し手で書くことだ、と
説いた。それを自分自身で実行している。書道の勉強になり、漢文の復習にもなる。
ひとり外食をしてから、帰宅後、WBCルールブックのスペイン語をこれも読みながら
手で書く。1日、1項ずつ英語とスペイン語を暗記している。終わったら、もう一度
最初から繰り返す積りでいる。まるで自分がスペイン語圏の国の世界戦で立会人を
務める前のように自分を追い込む。「いま覚えておかないと、人前で恥をかくぞ」と。
15日は朝10時15分発の新幹線を取っていた。時間の余裕を取って家を出たので
10時前に東京駅に着き、10時3分発のぞみに切り換えた。
東京から名古屋までは、「インデックス式 ドイツ語文法表」(白水社)を読み、
名古屋から新大阪までは、「フィリピン日常会話」(日東書院)を復習する予定だった。
ドイツ語の方が進行が遅く(単なる文法表の復習だが、忘れているところが多い)、
京都までかかり、タガログ語の方は京都から新大阪、新大阪から地下鉄の朝潮橋まで。
第1部、2部ともリング・ジャパンがマッチメーキング担当なので、午後1時に始まり
午後9時まで。長谷川の相手はタフで、打っても打っても倒れなかった。
誰がこんなタフな相手を呼んできたのだ? そうか、私か。
新大阪発、東京行きの最終のぞみは9時10分だから、8時半までに長谷川が倒し、
試合後の挨拶などを終えれば日帰りできた。しかし、駄目だった。結局、神戸泊まり。
新神戸10時15分発で東京午後1時6分着で帰京。
京都まで昨日の2カードの英文リポートを書き、京都で停車中にFIGHTNEWSに
送信。あとは東京まで「ドイツ語文法表」。結局、30項のうちの21項まで。駄目だな。
東京に着き、八重洲ブックセンターに寄り、デンマーク語の自習書を探すが適当なもの
在庫なし。出版社に直接注文することにした。6階のレジのところに私の「これで
通じる英会話」が置いてあり、ちょっと驚いた。
私が語学の自習書を選ぶときの条件:
1.厚すぎないこと(厚すぎると途中で挫折しかねない)
2.読みやすく、紙面が詰まりすぎていないこと(繰り返しのため)
3.CDまたはカセット付きであること(ヒアリング、スピーキングのため)
4.実用性のある例文が多いこと
5.装丁にセンスがあること
帰宅後、茶を一杯飲み、事務所へ寄り、夜は畠山、林田戦を見に行った。
夜、英文リポートを書きFIGHTNEWSに送ってから、書道をしようと思ったが
もう体に力がなかった。そう根をつめなくても明日がある。
(2−16−04)