ジョー小泉のひとりごと 2003年12月後半


故白井義男氏追悼

追悼文は各紙に書かれているので重複しない。
ここでは所感を述べる。

なぜ白井さんの打たせずに打つ科学的なボクシングがいまだに根付かず新人王式の「前に出ろ!」のボクシングが主流なのだろうか?

白井さんはコンスタントな試合間隔でよく試合をしていたのだな、と感心。
47年 5戦3勝2敗
48年 6戦5勝1分け
49年 6戦全勝
50年 6戦全勝4エキジビション
51年 7戦5勝2敗(1敗はダド・マリノとのノンタイトル戦)
52年 5戦全勝1エキジビション(世界タイトル獲得)
53年 5戦4勝1敗(世界戦2、ノンタイトル戦3)2エキジビション
54年 5戦3勝1敗1分け1エキジビション
55年 1戦1敗(ペレスとのラストファイト)

白井さんは8敗しているが、ペレスを除いては、敗北を喫した相手にすべて雪辱している。
串田昇、花田陽一郎、矢島栄次郎、永島秀政、ダド・マリノ、レオ・エスピノサと。

元ボクサー諸氏は(決して非難する積りではないが)引退後、体のスタイルが変わる人が多い。しかし、白井さんは亡くなるまでスラリとして細身も体型を保ち、いつもダンディだった。

私は「ボクシング珍談奇談」の中で白井さんが世界タイトルを獲った試合の「リング」誌の記事を訳したり、白井さんの時代の英文リポートもよく読んだ。
山本茂氏の労作「カーン博士の肖像」に詳述されているが、白井氏とカーン博士の出会いと大願成就はまるでドリーム・ストーリーのように素晴らしい。
ここに哀悼の意を表したい。
(12−29−03)


ロシア語復習

明日、徳山に挑戦するキリロフと小島の挑戦を受けるムニョスが関空に着く。それも早朝にだ。朝7時ごろ羽田発の飛行機で関空へ行ってもいいのだが、乗り損ない、あるいは欠航の危険性がある。欠航は結構ではない。だから、今日中に大阪に入ることにした。明後日のムニョス、キリロフの公開練習の世話をしてから一旦、東京に戻る。

いま新幹線の中でロシア語の復習をしている。ちょっと疲れたので、名古屋着を気分転換点として「ひとりごと」を書く。

学生時代のころだ。私は工学部機械科の学生だった。建築科の誰かが発起人となり、ロシア語の先生を他の学校から短期集中講座に招くので参加してほしいという呼びかけがあった。多分、その科学技術ロシア語の受講希望者が少なく、最小受講人員に満たなかったのだろう。3ヵ月程度で、週に1回だったように思う。

最初、20人くらいいた。アルファベットと違う文字を使うので、違和感があったのだろう。1ヵ月経つと半分になり、2ヵ月経つと数人になった。最後の数回の授業に出たのは、私だけだった。マン・ツー・マンの授業なので、復習をしていないと、それが露骨に表れる。私も忙しく、その授業が始まる1時間前くらいに先週の復習をしてから付け刃でクラスに出た。

最後まで1人で授業で出続けたのは意地だ。何事においても挫折はよくない。それは心に「やはり俺は駄目だな」という傷跡を残す。だから、意地だけで終わりまで出た。

F先生は老人で、授業の後、一緒に坂を下り帰ったこともある。
この先生とは一時、親しくなり、大阪の千里の自宅に招かれ、長く話しすぎて帰れなくなり泊めてもらったことがある。正月に挨拶に行ったとき、若い女性がいた。彼女も教え子だそうだ。それはいわば見合いのようなもので、「きみ、彼女はどうですか?」と薦められた。こちらは23歳くらいの学生なので、「先生、当分、妻帯する気はありませんので済みません」と断った。それが先生の気分に触ったらしい。それから疎遠になった。年賀状を交わすくらいの付き合いはあったが。

私が広島に勤めていたとき、学会で中国地方に来られ、車で広島を案内したことがあった。原爆記念館などにもお連れしたような記憶がある。ご存命ならもう90歳を越えているだろう。

変わった教え方をする先生で、授業の最初にロシア語の歌をうたう。カチューシャ、ともしび、ステンカラージンなどをみんなと一緒に歌う。そんな楽しく学ぶ工夫をしてくれたのに、1抜け2抜け3抜けで、そして最後は私ひとりになってしまった。

会社に入ってから数年して、忘年会でロシア語のカチューシャを歌った。翌日、係長が「きみ、学生時代、赤にかぶれていたのでは・・・」と訊かれた。私は共産主義が大嫌いで、弱肉強食が大好きだ。だから、ボクシングが好きになったのだが、大体、一生懸命頑張った人間とそうでない人間とに差がつかない世の中は健全ではない、と考える。その意味で、根っからの自由競争主義者だ。その会社は自衛隊に戦闘機を納品するような部門も抱えているので、反共的姿勢が強かったのだろう。「科学技術ロシア語をちょっとかじったことがあるくらいで、共産主義者じゃありませんから、どうぞご心配なく」と答えた。ロシア語の歌ひとつ唄っただけで、アカと決め付けるなんで馬鹿じゃないのか。

会社勤めをしていた15年間、ロシア語を使う機会は一度もなかった。だから、ほとんど忘れた。言葉というものは、学ぶより慣れろで、やはり使う機会がないと忘れていく。勇利やナザロフが活躍していたころ、ロシア語を復習してもよかったのだが、別に彼らにインタビューするため復習をする気は起きなかった。

今回、30数年前使っていたテキストを持って新幹線に乗った。キリロフ一行に「さあ、行こう」とか「やあ、元気かい」くらいは言ってみたくなったからだ。私は気分屋の面があり、そんな衝動が起きた瞬間を大事にする。それが行動へのMOTIVATIONになるからだ。

またテキストに戻るが、ロシア語でコンスタンティン・ジューや勇利アルバチャコフを綴るとどうなるか、調べたことがある。それが次の通りだ。ロシアの総会でジューのマネジャーにロシア語のスペルを書いてもらった。

コンスタンティン・ジュー КОНСТАНТИН ЧЗЮ
ロシア語でHは英語のNの発音、CはSの発音になる。Nが上下逆になったИは「イー」と読む。Чは「チ」、Зは「z ジ」、Юは「ju ユー」だから、正しくは「チジュー」と読む。これは「チュー」と「ジュー」の中間のような発音になる。

ジューの愛称はКОСТЯで、
Rが逆向きになったЯは「ィヤー」と発音する。
昔、ミスハワイと暁伸(字が違うかな)という漫才がいて、このミスハワイが浪曲を唄う伸に合いの手を入れた。「ア、ィヤー」と。あの「ィヤー」がЯの発音に近い。Яはロシア語の「私」でもある。あなたは周囲にブイブイいってるのでは? ちなみに、ロシア語のあなたは「ブィ」。

「イヤー、僕は・・・」と謙遜する場合など、ロシア語では「イヤー、ィヤー」となる(これはジョーク)。

だから、ジューの愛称КОСТЯは「コスティヤー」あるいは「コスチャー」と読む。日本の某専門誌が「コスタヤ」と書いているのは誤り。こう言われたからといって、別に直さなくてもいいが。

ЮРИЙ АРБАЧАКОВ
これは「ユーリ・アルバチャコフ」。Рは英語の「R」の発音になる。Bは英語の「V」の発音。だから、英語ではYuri Arbachakovと綴る。
(12−27−03)


諸外国はクリスマス休暇

比国は12月24日(水)から28日(日)、および31日(水)から4日(日)まで
休むそうだ。他のキリスト教国もほぼ同じだろう。諸外国は今いわば正月中だ。

ガンボアがメキシコのビザを取れるのは、29、30日中。
ここでビザが下りれば、新年早々飛べる。
ということは、29、30日中にビザ交付状況と並行して
便の手配を完了しておく必要がある。
便の手配とは、フライトスケジュールを決定し、且つ航空運賃を比国の旅行社に
振り込んでおくことである。

25日、WOWOWで新年第1回、第2回分の音入れをした。
その際、7日の音入れを1週間延期し、14日にしてもらった。感謝。

私は3日、大阪のダブル世界戦を終え、レフェリー、ジャッジを見送り、
4日中に帰京し、5日に旅行の用意をし、6日出発する。
ガンボアたちと現地で合流する。

1−3 徳山キリロフ、小島ムニョス、中沼ポンサクレック
1−10 イーグル・アギーレ
1−19 西沢マンディン
2−8 杉田ヨーサナン
3−7 宇野・世界ランカー

頭の中に作業日程表があり、これは済み、あれは未、とチェック作業をしている。

リング・ジャパン諸君はフル稼働で、朝長君は今日、名古屋でジェス・マカを出迎えた。
私は28日朝、キリロフとムニョスを出迎え、名古屋でマカ、杉田戦を見て、
また大阪にもどり、29日のキリロフ、ムニョスの公開練習の世話をしてから
一旦、帰京する。31日からまた大阪へ入る。

本当はガンボアどころではないのだが、そうも言っておれない。
落ち着こう。
(12−26−03)


ガンボアの契約書が届いた

朝起きると、WBCオフィスからEメールでアルセ、ガンボア戦の
契約書が届いていた。

すぐ比国のコミッションGABとALAジムに送り、メキシコの
ビザ取得の手配をした。残念なのはマニラのメキシコ大使館が
明日から今週中クリスマス休暇に入ることだ。

来週の月曜、アブラカ・トレーナーがセブからマニラに飛び、
ビザ申請をしていつ交付されるかが問題だ。

「間に合わなければどうしよう」と泣き言をいうから、
アブラカに言った。
「何でもそう悲観的に考えるな。何とかなる。
前向きに考えろ。THINK POSITIVE!」と。

ビザ取得のため、比国の新聞にアルセ、ガンボア戦が掲載
されていることが必要だ、と思い、プレス・レリースを出すことにした。
それをFIGHTNEWSにも送った。
すぐアップされ、掲載された。これで公知の予定となった。
ビザ申請のとき、役に立つだろう。

今日は忙しくなりそうだったから、朝早めに泳ぎに行った。
冬のプールはすいていて快適だ。
帰宅後、昼の12時から夜の12時まで机に向かいっ放し。
明日のスポーツ報知の原稿を終え、近藤記者に送信。
読むべきものを読み、携帯・PC小説の「毒舌」も書き終えた。

今日、長谷川のOPBF王座に挑戦して敗れ開頭手術のあと入院中
だったアルビン・フェリシルダ帰国。3回、2度のダウンがあったとき、
レフェリーが試合をストップしてくれていれば事故は起きていなかった
のかもしれない。しかし、マッチメーカーには試合をストップする権限は
ない。その権限は、レフェリーとチーフ・セコンドだけにある。
ということは、この2人はボクシングにおける人命を左右する権限を
賦与されているということになる。日本人レフェリーの場合、コミッション席
から試合ストップの助言が出ることがある。しかし、外国人レフェリー
の場合(OPBF戦など)、言葉の壁もあり、このコミッション席とレフェリー
との意思の疎通に問題がある。

OPBFはWBCロシア総会の際、開催されたOPBF総会で、
判定是正のため今後、レフェリーはすべてOPBF本部が指名することになった。
奇しくも、そのOPBFが主審を指名した初めての試合で事故が起きた。

先日、八重洲ブックセンターの河相相談役に面談に行った件の礼状を
書いた。八重洲口の同店には私の「これで通じる英会話」の本が
平積みされているそうだ。感謝。紹介いただいた画家の鳥居先生にも
礼状。感謝。

おもしろいことがあった。
ガンボアが電話をかけてきて、「新しいシューズが欲しい」と言う。
「サイズはいくつだ?」
「26です」
「お前の足は伸びたり縮んだりするのか。この前は27だったな。
お前のジムの選手はみんな同じアシックスのシューズを穿いているな。
あれは私が送ったものだ。みんなお前がシューズを売っている、というぞ」
「今度はEXACTLY(正確に)26です」

仕様がないな。こちらの厚意を小遣いかせぎの道具にしている。
半年ごとによくシューズが磨り減るのだな、と思っていた。
まあ、しかし、ボクサーというのはこのくらいこすいところがある方が
ボクシングがクレバーなものだから。
「シューズはセブには送らない。メキシコへ持っていく」と答えた。
アブラカ・トレーナーにこのことを話すと笑っていた。
だまされた振りをするのも外国人マネジャーの務めか。
(12−23−03)


アルセ、ガンボア戦は1月10日

WBCライトフライ級タイトル戦の内定があってから、
当初の予定である1月10日から1週間延ばして17日にしてほしい、
という要請をWBC側に出していた。10日にアギーレ、イーグル戦が
あるからだ。

それに対する回答が届いた。
「やはり延期はできない。予定通り、10日に開催する」と。

さあ、足元に火がついた。
ガンボアのメキシコ・ビザはどうなる?
飛行機の便を確保しなければならない(正月は席がない)。

まだ契約書とビザ取得のための招請状が届いていない。

危惧するのは、メキシコ大使館がクリスマス休暇に入ることだ。

日本人ならアメリカを通過してメキシコへ行くのに何の問題もない。
しかし、比国人は米国通過ビザを要求される。
それを取得するのに2ヵ月もかかる、という。
ガンボアは欧州経由で行くことになるのか。

まあ、苛立っても仕方がない。
なすべきことはすべてした。
明日になれば、書類も届き、すべて円滑に進むかもしれない。
!Hasta Manana!(明日まで)
(12−22−03)


全日本新人王戦を見て

毎年、全日本新人王戦はおもしろいのだが、今年は特におもしろかった。
好選手がたくさんいて、好試合が多かったからだ。

西軍代表は初めて見る選手ばかりだったが、東軍に劣らず好選手が
多かった。

S・フェザー級の吉澤佑規(森岡)は非常にいい選手だった。
相手が大柄なハメド・スタイルの方波見(東日本のMVP)で非常に
変則的でやりにくかったのに、サウスポーに対する右ー左ー右を当て
ダウンを奪った。年齢も18歳と若く、体が大きくて柔らかい。
左リードを鍛え、これから伸びていって欲しい。

最優秀を取ったフェザー級の前堂真人(具志川)はパワーのあるいい選手
だった。アンディ・ガニガンのような好戦的スタイルで、今後テクニックを
つけて伸びて欲しい。彼に敗れた円谷篤史(アベ)も勘はいいし、打たれ強く
身体能力がある。ガードをきちんと構える基本を磨き、キャリアを
積んでほしい。

ミドル級の清田祐三(フラッシュ赤羽)は20歳と若く、若い頃のジェームス・
トニーのような胸の厚い体をしている。フットワークもいいし、フォームがよく
ワン・ツーがよく伸びる。最近のミドル級新人王の中では、出色の好素材だ。
キャリアを積んで伸びて欲しい。

技能賞をもらった大場浩平(スペースK)は勘のいい選手で、パンチを当てるのが
上手い。フロイド・メイウェザー的な柔軟なボクシングを見せたが、大成するため
にはガードをきちんと構える基本の習得が必要だろう。

新人王戦は通過点だから、これに負けたからといって挫折せず、努力を継続すれば
将来、大成しそうな好選手がいた。負けたが、素質の点では、勝者より上と見られる
ケースもあった。

このようにいい選手が出てくるのだから、日本のボクシングの将来は明るい。
(12−21−03)


新刊書の取り扱い

『いまボクシングはどう動く?』は通販のみの
取り扱いですが、リング・ジャパン商品の取扱店
下記2店には置いています。

書泉ブックマート
渋谷センタースポーツ

都内の人はご利用ください。
(12−21−03)


いま比国で集中攻撃

ここのところ、連日、比国の新聞に叩かれている。
それがEメールで転送されてくる。
読んで気分のいいものではない。

その内容はこうだ。
ロデル・マヨール一行が日本に着いたとき、誰も迎えに来ず、
数時間、空港に放置された。それから迎えが来て、車で4時間
かけて徳山に行き、ホテルに着いたのは午前2時だったそうだ。
マヨール一行をプロテクトしなかったのはマッチメーカーの
責任だ、という。

徳山ジム側の出迎えが遅れたのは事実だろう。
それは事故であり、故意ではない(と信じたい)。
私は前日の福島、ヨックタイ戦で東京にいて翌日、徳山に行った。
そんな出迎えのトラブルがあったのは試合当日、初めて知った。

しかし、それを私ひとりの責任にして集中攻撃だ。
このような比国の新聞による攻撃はルイシトと訣別するときに
経験して、賢くなった。
ペンで反論すると、それを利用してさらに波紋が広がる。
沈黙は金。いつか騒ぎはおさまるだろう。

徳山での試合前、比国の国歌が最初の部分しか鳴らなかった。
比国を侮辱している、と連中は憤る。
あの事故まで私の責任か。

いま正月の世界戦の準備やガンボアの世界戦の書類手配で
泥仕合の相手をしている時間的余裕がない。
しかし、礼儀を知らない連中には思い知らさねばならない。

1月31日、ランディ・スイコのOPBF防衛戦でセブに行ったとき、
決着をつける。
セブの新聞記者連中を招集し、事情説明をし質疑を受ける。

いまは1月3日の3つの世界戦を円滑に終了することに専念すべきだ。
(12−20−03)


本が出来上がった

『いまボクシングはどう動く?』が予定より3日早く納品された。
すぐサインに取り掛かったが、世界戦前でいろいろ雑事が多く、
注文受け分すべてにサインできず。明日、頑張ろう。
年内25日までの注文にはすべて出し切る方針。

昨日、WOWOWの音入れだった。
年末恒例の「総集編」でベストファイトのトップ30試合を
ダイジェストする豪華版だ。
途中、おもしろいことがあった。
解説をしていたら、誰かの携帯が鳴った。

最近のマイクは高性能で小さな音も捕らえるので、
もちろんNG、撮り直しだ。
最初、誰かスタッフの人の携帯だろう、と思った。
その携帯の音が鳴り止まない。
みんなの視線が私に集まった。
そうか、私の携帯か。
電源を切ったつもりだったが、切れていなかった。
控室に置いてくればよかった(いつもはそうするのだが)。

申し訳ない。映画の「ラッシュアワー」の最後にNG集があり、
そこでウォーカーの携帯が鳴ってしまう場面があった。
あれと同様だ。みんなは笑ったが、私は大いに反省した。

ホルヘ・アルセとジョマ・ガンボアのWBCライトフライ級タイトル戦は
メキシコでも発表されたらしい。メキシコの知人から聞いた。
1月10日というが、まだ契約書が来ていない。
この世界は契約書にサインしないと本決まりではないから、いまだに
宙ぶらりんの状態だ。
(12−18−03)


来年の会報の編集方針

先日、社員諸君と来年も継続することに決めた
リング・ジャパン会報(情報誌)の編集方針について協議した。

1.会員からの投稿「ピープル・トーク」の活字を大きくする。
2.RJ各地通信員のコラムも出来れば、活字を大きくする。(投稿が多い月は、いままで通りの活字とする)
3.「ジョー小泉のひとりごと」はパソコンで読んでいる人がいるため廃止。
4.「マガジン・ワールド締め切り後の国内情報」を1頁くらいに縮小。
5.「ジョー小泉のページ」として1頁、毎月何か書く(出来れば旅行雑記)

投稿は手書きの場合、18日まで。
Eメールの場合、20日まで。

年末、世界戦で忙しくなる前にある程度、会報を進行させておきたい。
(12−16−03)