朝、止血剤のチェックをした。ロンドンで買ったカット型のガーゼを必要量だけ、止血バッグに詰め込んだ。
11時からスカイTVのインタビュー。ブロディの方は午後2時から。インタビューといってもただ質疑応答するだけでなく、地下のトレーニング場でシャドーボクシングをするところをハンドカメラで撮影。インタビューが10分、シャドー撮影が10分で、正味30分で終わった。その能率のよさに感心。日本のTV局の場合、結構長くかかるのがつねだが。
午後5時の予備計量に来たのは、マンチェスターの大学の先生だった。リチャード・ジョーンズという髭をはやした教授は、BBBC(英国コミッション)の依頼でボランティアーとしてインスペクターをしているそうだ。池は129ポンド半(3ポンド半オーバー)でまずまず。ブロディは池よりまだ1ポンド上だという。これも10分で終わり能率的。
夜、fightnewsに池、ブロディ戦の展望を書いて送った。
(10−15−03)
池のトレーニングについては口をはさまない。金マネジャーに注意したのは、「ヨーロッパや英国では、日本や韓国と違って、ただ前に出ているだけではポイントをくれませんよ。追うとき、ジャブ、左フックを使い手を出しながら追う方がいい」と言っただけ。
朝食後、リバプールまで足をのばした。ピカデリー駅まで20分歩き、そこから列車で1時間。英国の駅の切符を買うシステムが分かった。結局、日本と本質は変わらない。
リバプールでは英国国教会の大聖堂に行った。英国最大の教会というだけあって、天井が非常に高い。ロンドンのセントポール寺院を訪れたとき、結婚式が行われていて聖歌隊がうたっていた。この大聖堂でも、説教師が何とギターを肩からかけ、途中から歌いだした。さすがビートルズを生んだ街だけあって、これが実に上手い。一節歌って、あと教会員がそれを復唱する。そこには、歌うことによるカタルシス(精神の浄化)があるように見えた。日本のカラオケと一脈通じるものがある。歌うかどには福きたる。
マージー川の側にあるアルバート・ドッグまで歩いたが、途中、道を間違えたため余分に時間がかかった。ビートルズ・ストーリーという博物館まで行く。この博物館は無名の若者たちが世界の寵児になるまでのプロセスをたどり、館内にはビートルズ・ナンバーが流れる。帰途はマンチェスターのオクスフォード・ロード駅で降りた。こちらの方がホテルに近い。今日は泳がず。よく歩いたので足が棒のようになった。
(10−14−03)
13日午前11時25分ロンドン発の飛行機でマンチェスター着が12時20分。プロモーターが手配してくれた出迎えが待っていて、市内のホテルまで15分。プラカードがKORAUMIになっていた。ホテルで池仁珍一行と合流。池をホテルに残し、他の韓国一行とマンチェスターの街を歩く。古い石造りの建物が多く、人通りもロンドンほど密度が高くない。この街は現在、ロンドンに次ぐ英国の金融の中心だという。
夕方、地下のトレーニング施設の中のプールに行くと、練習を終えた池と会った。小さなプールで泳ぎ、サウナに入り、それから韓国一行とホテル内で夕食。2年前、ロスで池がモラレスに挑戦したときと同じメンバーなので気心が通じている。池は減量中なので、部屋で少量の食事をしているそうだ。金鎮吉マネジャー、兼トレーナーは「体重を作るのは自分の仕事だから放っておけばいい」といってウェイトについてはまったく世話をやかない。これもひとつの方法だろう。
(10−13−03)
10日、ロシアからロンドンまで飛行機で3時間半。モスクワ11時半発、ロンドン着12時半。英国に来るのは4度目。ここでもチェックインに手間取った。英国のチェックイン・タイムは午後遅いのが通常のため。さらにベルボーイが荷物を運んでくるのが、部屋に入ってから1時間後。それまで外に出られず、動きがとれず。自分で荷物を運ぶ、と主張するが、そのベルボーイとフロントデスクが連絡を取れず。やっと荷物が届き、パソコンの接続に手間取るが、やっと使えるようになった。
11日、大英博物館、セントポール寺院、ピカデリーサーカス周辺。博物館に長くいた。博物館にいると、時間が止まる。長い時間軸の中で自分などごく短い時間を生きる米粒みたいな存在のような気がした。
12日、ベイカー街のシャーロック・ホームズ博物館。ウォータールーのロンドン・アイ(大観覧車)で街全体を俯瞰。ビッグ・ベン。ウェストミンスター駅から地下鉄に乗り、ハイド・パーク・コーナーで降りて、バッキンガム宮殿まで歩く。その近くのキングズ・アーム(神戸の三宮にも同名の店がある)というレストランでギネスを飲む。2階建てのバスに乗り、オクスフォード・サーカスまで。そこから歩いてホテルに戻る。ホテルで、世界史の英国にかかわる部分を読む。トラファルガーの海戦、ネルソン提督のあたりを復習。学びて時にこれを習う、また楽しからずや。
明日、マンチェスター(産業革命が起こった街)に入る。会場はMEN(Manchester Evening News)アリーナ。
(10−12−03)
10月4日がトリプル世界戦、5日がレフェリー、ジャッジの見送り、6日がWOWOWの音入れ3本分(朝9時から夜9時まで)。そして、7日の昼12時にはモスクワ行きの飛行機に乗り、現地時間の夕方5時に着いた。時差は5時間だから、10時間の飛行だった。
WBC総会は登録日の5日のから始まり、私が到着したとき、会議は2日分終わっていた。夜、総会に到着するものではない。WBC登録担当はもう席におらず、そのためチェックインが手間取った。宿泊登録だけで、1時間以上かかるとは。
ロシアは美人が多いので有名だが、彼女たちは笑わない。共産国家のためか、商人、サービス業者、受付・・・とみんな愛想がわるい。女は愛嬌だろうが。ホテルのフロントの美女がチェックインの手続きのあと言った。「登録のため、パスポートを一晩預けて欲しい」と。そこで、手続きの遅さに頭に来ていた私は答えた。「預ければ、君たちは私のパスポートをなくすかもしれない。あるいは、私がチェックアウトするまでに、その登録が終わらないかもしれない。待つから、いまその登録をして、パスポートを返して欲しい。I’m afraid you might lose my passport, or you might not be able to finish that registration before my check-out. I’ll wait for the registration, so please return it here.”
厭味を言った積りなのに、この美女は機械的に処理して、10分くらいでパスポートを返してくれた。部屋に入ったが、ベルボーイが荷物を持ってきてくれない。電話で何度も督促したが、荷物が届いたのは1時間後。ここのサービスは本当にスローモーションだ。
私が着いた日の昼間、新しい世界ランキングの承認が行われ、私の選手でOPBFスーパーフェザー級王者のランディ・スイコは1位から2位に落とされ、2位のムゾンケ・ファナ(南ア)が1位に上がったそうだ。ランキング委員会が作ったランキングではスイコが1位だったのに、総会でファナのマネジャーが1位と2位の交代を主張し、それが多数決で認められたという。ランキング委員のダニエル・ヴァン・デ・ヴィーレは日本での世界戦の前日、スイコ対藤田戦を見て、「ファナはそれほどいい選手ではない。スイコの方が強くレコードもいい」と主張してくれたそうだ。それでランキング委員会が作成したランキングでは、1位スイコ、2位ファナだったのに、評議員は両選手を見ていないのにファナのマネジャーの強硬な要求を受け入れたらしい。
WOWOWの音入れがなければ、もう1日早く会議に出て、こんなランキング交代はさせなかったのに。翌8日は各級指名試合の確認が議題だった。スーパーフェザー級は新王者ヘスス・チャベスにフェザー級王者エリク・モラレスが来春、挑戦することが認められた(これは指名試合扱いではない)。その勝者に世界1位が指名挑戦できる。その期限はこの前の指名戦、シリモンコン、チャベス戦から1年後だ。このままでは、その指名挑戦者はファナになる。2位のスイコはそれからまた1年、すなわちいまから約2年間待たねばならない。だから、みんなの前で強硬にねじ込んだ。昨年の東京総会と同様、私は言うべきときは主張を通すべく努力する。
「ファナとスイコの指名挑戦者決定戦を承認して欲しい」と。議長のスライマン会長は議決を取り、それを承認してくれた。それでも、私はさらに要求した。「時期を明示してほしい」と。会長はうるさい奴だな、という風に不快な顔をした。私は「次の総会の前に指名期限が来る。だから、その前に挑戦者決定戦が行われねばならない」と主張した。結局、指名期限の3ヵ月前までにその決定戦を行うことが承認された。
このやりとりの前、比国コミッションGABのヴィラヌェヴァ・チェアマン、フロレス・ボクシング部門チーフに抗議した。「比国から何人来ているのですか。なぜ自分の国のホープのランキングを落とされるのに抗議しないのですか」と。彼らは「申し訳ない」と謝った。私はその挑戦者決定戦を南アでするか比国でするか、来年、算段しなければいけなくなった。
総会でアジアの代表たちは本当に発言しない。英語で丁々発止、議論し合うことに慣れていないのだろう。計何十人もいる評議員、オブザーバーの前で喋るのを躊躇するようだ。それでは駄目だ。議論で道を切り開かねばいけない。たとえば、欧州の選手に関する議題のとき、当事者でなくてもEBU(欧州ボクシング連盟)の連中は弁護の発言をする。いわば援護射撃だ。北米の選手の場合、NABFの評議員は同じことをする。それなのに、OPBFは沈黙を保つ。陰でスライマン会長や評議員に根回しをする。そして、OPBF、あるいは自分の国に関係ないことには無関心。だから、スライマン議長に、「OPBFはいまの議論のポイントが分かっているか?」と詰問されたりする。みんなもっと団結してOPBFの選手たちを擁護しよう。
私は社員諸君と約束した。「モラレスがチャベスに挑戦すれば、多分、モラレスが勝つだろう。来年秋までには、そのモラレスにスイコが挑戦する指名試合が実現する。そのとき、どこで試合が行われようと、みんなを連れて行く」と。その前にムゾンケ・ファナとの挑戦者決定戦が課せられた。しかも、こちらが2位だ。1日送れて着いたのが、こんな結果になるとは。
この決定戦を比国で開催するため、来年の夏まで比国のTV局やスポンサーに助力を求める交渉せねばならない。ルイシトのマネジャーをしていたときの苦労を思い出し、比国での時間のかかる交渉が億劫に感じられる。しかし、ランディのためトライしなければならない。
WBCはこの31回総会で、「Emeritus Champion 名誉チャンピオン」という制度を作った。Emeritusというのは「名誉退職の」という意味だ。Emeritus Professorといえば、名誉教授だ。これは名前だけの教授で、実際は教授ではない。それと同様、名誉王者も現実にはチャンピオンではない。もうフェザー級の防衛戦をする気のないエリク・モラレス、WBC防衛戦をせずショータイムTVとの契約を口実に来年2月、シャーンベイ・ミッチェルとIBF指名防衛戦をするコンスタンチン・ジューがともに「名誉チャンピオン」となり、王座を返上した。
WBAのスーパーチャンピオンとWBCの名誉チャンピオンの違いは、前者が依然としてWBAの王者としてスーパー王座を防衛し続けるに対し、後者は防衛戦をしない。すなわち、WBCの名誉王者は王座を剥奪された、あるいは返上したのと等しく、空位決定戦は暫定王座でなく正王座のためのものとなる。だから、18日の池仁珍対マイケル・ブロディ戦は暫定王座でなく正王座の決定戦になる。
マルクス・バイエルン(独)とダニー・グリーン(豪)のWBCスーパーミドル級での不正裁定が議題にあがり、大もめとなった。これはそれまで16戦全KO勝ちの前OPBF王者、グリーンが王者バイエルンを再三ダウンさせ、明らかに勝っていた試合だった。それなのに、故意のバッティングという口実でグリーンを失格とした。だから、再戦要求、そしてこの試合の勝者に挑戦が内定していた前王者エリック・ルーカス(カナダ)の権利主張で、議論は堂々めぐり。結論として、バイエルン、ルーカス戦が11月に行われ、その勝者に対し90日以内にグリーンが対戦することに決定。
そのグリーンと親しくなり、総会中、よく話をした。豪州の連中は私を「ブルース・リー」と呼ぶ。その呼び名をやめて欲しい。ジェフ・フェネクが5年ほど前、私がプールで泳いだあと、腕立て伏せをしていたのを見て、そう言いだした。このごろはトレーニングが甘いから、私はあの頃ほどの体脂肪率の低い体ではない。このグリーンは大柄で、実に手が大きい。「君の手はヘビー級並みだな」と私は褒めた。もしグリーンがWBC王者になり、豪州の同じクラスのWBA王者で元ラグビーのスターだった超人気選手、アンソニー・マンディン(ムンディンでなく、マンディンと豪州の人たちは呼ぶ)との同国人同士の統一戦が実現すれば、豪州史上最大規模の興行になるという。
今回の総会は400名の参加者があったそうだが、イベントや催しのプログラムの点で最低の部類に入る。しかも、総会中、雨の日が続いたそうだ。私がいた3日間は雨が降らなかったが。8日の夜、WBCインターナショナル、WBCユース選手権試合があった。私は、日本のWBCインターナショナル王座承認賛成派なので、興味を持って観戦した。この程度なら、日本人選手で勝てるな、と思った。
いまOPBF王者を招けば、15000ドル〜20000ドルのファイトマネーが必要だ。OPBFチャンピオンになれば、WBCランキング上位に入る。同じく、WBCインターナショナル王者になれば、OPBFより上位にランクされる。しかも、チャンピオンのファイトマネーは10000ドル程度だ。世界ランキングに入るために地域タイトル、WBC下部団体タイトルを活用するなら、WBCインターナショナル王座を承認しないのはおかしい。協会の一部はWBCの正王座と混同するからといって反対している人がいるようだが、それは業者のファンに対する説明責任で解決すればいい話だ。
日本は興行の数こそ増えているが、個別の興行の入場者数は以前に比べ下降線をたどっている。こんな状況下、若手の会長たちは理事や長老を説得し、WBCインターナショナル王座承認の動きを一日でも早く始めた方がいい。国際試合で、タイや比国や韓国やインドネシアの噛ませ犬とばかり組み合わせるより、世界各地の選手との試合を提供していくことが日本ボクシング界の活路を開く。
このコスモス・ホテルは80年のモスクワ1700室もある大きなホテルだがサービスが実に悪い。しかし、いい点もあった。それは地下にある大プールだ。朝から夜12時まで開いている。9日の会議が終わり、8時からの打ち上げパーティーの前、泳いだ。会議ばかりでは体がなまる。変わったプールで、一方向から水の入れ替えをし、その勢いが強いので、泳いでいると体が流される。6時から7時まで1時間泳いだ。大きなプールにひとりだった。今回の総会では、スイコのランキングを落とされたり、ホテルのサービスの悪さ、遅さに腹ばかり立てていたが、最後にひと泳ぎしサウナ(これもひとり)に入ってリフレッシュした。
思い出すのは、物価の高さだ。ホテルから日本に1枚ファックスを送ると、192ルーブル。1ドル=約30ルーブルだから、1枚送るのに6.4ドル、すなわち約700円。新しい世界ランキング6枚を事務所に入れたら、42ドルで約4600円。
まさかインターネットが使えないとは思わなかった。インターネット用のテレフォンカードは配給制で、そのコスモス・ホテルに割り当てられた分はもうない、と冷たく言われた。どの女も顔はきれいなのに、応対が冷たい。前回のロシア総会でもそうだった。スライマン会長、ロシアでの総会は当分やめましょう。「そうかい」
(10−10−03 @ロンドン)
新刊書「これで通じる英会話」(広美、発行、発売)は
10月10日から書店で発売開始。
どうぞ書店で手に取ってみてください。
辰吉の再起第2戦、10月4日の5大戦で全員忙しかったため、会報作成が少し遅れ、10月号は今週中発送になります。
お詫びまで
(10−5−03)
長嶋―リック
互いに防御テクニックのある技巧派同士なので、フェイントのかけ合いが続き、両者とも非常に手数が少なかった。技術戦としては面白かったが、一般のファンの眼にはどう映っただろう。
佐竹―レイナ
佐竹の眼のよさが光った。初回のレイナの猛攻を佐竹はフットワークとボディワークでよくはずしきった。2回の右フック・カウンターは見事。佐竹の課題は、右ジャブをもっとシャープに出し、相手の前進を阻止すること。その右リードにより佐竹の欠点である下がりすぎの動きが減るだろう。
戸高―ガメス
ガメスの強打は歳をとっても天性の強さがある。その強打ぶりに驚嘆。しかし、戸のスピードと連打が勝利を呼び込んだ。
ムニョスー本田
本田は風圧負け。昔、藤猛が任柄模と引き分けた試合やジョージ・フォアマンが技巧派のグレゴリオ・ペラルタに風圧勝ちした試合を思い出した。本田はムニョスの強打をはずしきったが、ムニョスの勢いに負けて、よけ終わったときのバランスが崩れ、カウンターをとったり反撃に転じられなかった。強打者がテクニシャンの技術を封じる戦法のひとつに、こんな風圧勝ちがあるのか、と参考になった。本田は体力的にフライ級に戻った方がいいかもしれない。
ウィラポンー西岡
ウィラポンの強振を控え軽いパンチでタッチする戦法が王座を守らせた。結果論だが、西岡は右ジャブで手数を増やし、左ストレートも速いワンツーと強いワンツーを使い分けるべきだったのかもしれない。気落ちせず、調整試合を2戦くらいはさみウィラポンとの第4戦を目指してほしい。今度は、右から攻め込むパターンと左から打っていくパターンを左右へのフットワークとミックスして、もっと相手を攪乱する戦い方が必要だろう。
5試合とも見ごたえがあり、非常に楽しめた興行だった。
(10−5−03)
(1)これで通じる英会話
(2)あなたもジャッジだ
(3)80年代のリングは輝いていた
(4)ボクシング珍談奇談
すべてサインしたが、根を詰めたので一寸疲れた。
(10−3−03)
日本人の英語がアメリカで通じにくいのは、次の欠点による。
(1) 発音自体が悪い。
(2) アクセントが弱い。
(3) イントネーション(抑揚)が弱い。
(4) リエゾン(発音の連係)に慣れていない。
(5) 対話の間(タイミング)が悪い。
などである。
たとえば、
What is your name? は
ワット イズ ユア ネイム
とせず、この本では
ワッチョーネイム
と表記して流れるように発音することを薦めている。
また、
make a reservation (予約をする)を
メイク ア リザーベイション
とせず、この本では
メイカ(ゥ)リザヴェイシャン
とまるで一語のように発音することを薦めている。
全編、リエゾン・イングリッシュの表記で徹底している。
すなわち、早く喋ることで早口の英語を聴き取れるようになる、と説く。
そこが、従来の英会話の本とひと味違っている。
この本に沿って繰り返し発音すれば、きっとあなたの英語は通じる英語になる。
それが主旨である。
(10−2−03)