ジョー小泉のひとりごと 2003年4月前半


ただいま執筆中

夏目漱石が何か招待を受けたとき、
ほととぎす 厠(かわや)半ばに 出かねけり
とか言って断ったそうだ。

いまの私は
へぼライター 執筆なかばで 出かねけり

何の本を書いているのだ?
英会話の本。

What book are you writing?
On a sort of English conversation.
(4−13−03)


イラクいいがたし

イラク戦争はほぼカタがついたようだ。
戦争というのはいつの時点で終結宣言するものなのか、考えさせられた。アメリカは全土制圧に向け、最後まで気を緩めぬ姿勢のようだが。完全に終結するまで、まだ自爆テロのような被害は起こるのだろう。しかし大勢は決したようだ。

イラクという国に私は、というより私の人生は一寸関係がある。工学部の学生時代、イラクからの留学生の世話をしたことがある。そして、28歳のとき、当時勤めていた会社がイラクからの大きな仕事を受注したので、東京へ転勤になった。会社は入社して数年の独身エンジニアを各地の造船所、事業所から東京に集め、プラント建設の仕事に送り出そうとした。1年間くらい東京で内地部隊として仕事に慣れれば、5年間イラクに行く予定だった。「29歳から5年行って、帰ってきたら34歳か」と思った。

結果的にはイラクへ行かずに済んだのだが、当時、会社はイラク一色だった。そのプラントの支払いは円借款で、実際は日本政府から会社に金が入る。日本はイラクにプラント建設用の経費をそっくり貸し、その見返りとして石油の定期的供給を約束させたものだった。会社としては金の取りっぱぐれのない堅い仕事だった。日本政府の金の出所は国民の税金なのだから。

当時、非常に忙しく、雑用ばかり処理していた。しかし、私は仕事が速く、それを処理すると、「終わりました。次の仕事はありませんか」と先輩に言ってばかりいた。いつか先輩に説教された。「なぜそうむきになって仕事をするのだ。もっとのんびりやれ」と。もっとペース配分して、適当にやれ、ということだ。

私の考えは青臭いようだが違った。同じ仕事でも、仕上げたときの質が同じなら、時間が2倍かかれば、処理能力は2分の1だ。私は自分が持っている仕事のスピードを落としたくなかった。そのうち仕事の要領がわかり、時間の配分が上手くなった。だから、試合があるときは上手く仕事を片付け、いつも後楽園ホールへ行った。会社から20分ほどで水道橋に行けた。出身ジムの神戸拳のトレーナーのライセンスを持っていたので、それで入場していた。

いろんなジムをのぞきに行き、ヨネクラジムで中島成雄選手の世界戦の臨時トレーナーを頼まれて、彼が勝ってから人生がボクシングの方にねじ曲がってしまった。

イラクに行くのは戦争に行くのとは違うが、同僚たちの現地での生活ぶりを伝え聞くと、自分がそんな単調さに耐えられるかな、と思いもした。イラクの地図をみると建設現場はバグダッドから随分離れていて、若い者は休日に車で数時間かけて首都まで行って帰ってくると聞いた。そのうち、若者たちも休みの日でさえ砂漠の中の宿舎から出なくなったそうだ。

確か1年半に一度、帰国でき2週間ほど休暇が与えられたように覚えている(日本へ帰らず、ヨーロッパを旅する連中もいた)。38歳で会社をやめ独立したあと、ボクシングの仕事で箱崎のエアターミナルに行ったことがある。「おい、ワシャこれからまたイラクじゃ」とよその部の先輩に声をかけられたことがある。彼は18ヵ月イラクで仕事して日本で有給休暇を与えられたあと、またイラクへ戻るところだったのだろう。先輩は私が退社してボクシングの仕事をし出したことを知らなかったらしい。

体は丈夫。英語ができる。仕事は速い。海外出張向けの人間だったのに、イラクに行かずに済んだ。当時、イラクへ長期出張すると、日本の給料はそっくり残るうえ、現地手当てが出たそうだ。しかし、酒は表向け禁じられ、女も禁制のイスラム教の国では金を使う必要がない(確か下請けの企業からの出張者が現地の女に絡んだ不祥事で監獄に入ったような事件があったように覚えている)。現地の金さえみんな余らせ、苦しく単調極まりない出張生活を終えると結構金が貯まったらしい。帰国後、家を買った人もいた。

あれは25年も前のことだが、当時、会社へイラクの高官が視察に来たこともあった。「イラクのクライアント(顧客)が来るので、ハウスキーピング(整理整頓)をするように」と言われたこともあった。当時、日本とイラクの友好関係は深く、肥料プラント、造水プラント(海水を蒸留して工業用水や飲料水を作る装置)なども同じく円借款で受注していた。

私は独身の身軽さもあり、結構、捨てばちだった。「イラクへ行ってとても自分の感性に合わなければ、会社をやめてもいい。その場合は、神戸へ戻り、高校の教師にでもなるか」とも思った。私が学校の先生を仕事としていまひとつ好きではないのは、まるでやる気のない学生まで指導しなければいけないことだった。会社員も教師も他人に使われ給料をもらっているうちは同じだ、と思った。ただし、人に分かりやすく独自の方法でものを教え込むのは得意だし、好きでもあった。ただし、癇癪もちだから、先生になっても、態度のわるい生徒でも殴り暴力教師として教育委員会の槍玉にあがるのが目に見えていた。結局、仕事を特許・契約に移してもらい、イラク行きの可能性はなくなった。

そのイラクの総額1700億円の仕事は完了したそうだ。しかし、前のブッシュ大統領のときの湾岸戦争でそれは完全に破壊されたそうだ。空しいな。あれだけの日本人が汗水たらして建設したプラントを戦争というものは一挙に壊してしまう。あの工事で亡くなった犠牲者もいただろう。遺族はあのプラントの破壊を何と思って聞いたことか。

「つねに強気で生きる方法」のあとがきに自叙伝の一部を書いたが、自分の人生はボクシングと奇妙な縁で結びついていた。いまボクシングを専業とした選択をかなり後悔しているのだが、それを言っても始まらない。子分(社員)もいるし、私を頼りにしてくれる人も少しはいる。いまの自分の仕事に邁進するしかない。
イラク言い難し。
(4−11−03)


ホセ・アントニオ・アギーレ対星野敬太郎戦展望(By 久保田)

 引退と再起の繰り返し。「今度は本当に引退します」と星野が言ったのは昨年12月20日。アランブレットとの再戦で不本意な判定負けを喫した直後のことだった。今年1月22日の年間表彰の席でも「今度は撤回はない」と挨拶しながら、そのわずか30分後に「世界再挑戦のチャンスがある」という関係者からの言葉が聞こえると、引退の決意表明がひるがえった。再起戦が、WBAがWBCに変わり、いきなりの世界タイトルマッチ。星野は2月中旬からジムワークを再開し、打倒アギーレに踏み出した。

 星野はこれまでに2度の世界王座獲得を果たしている。団体はともにWBA。しかし、1度の防衛にも成功することはできなかった。いずれも納得のいかない判定で。星野の相手のパンチをかわすテクニックは一級品だが、自らの手数が少なく採点に泣いた。その星野が、今回はWBC王座に挑む。

 受けて立つアギーレにとっては、これが6度目の防衛戦になる。00年2月、敵地タイで日本にも御馴染みのワンディー・シンワンチャーの持つWBC王座に挑戦。一進一退の攻防を判定で制しベルトを奪った。V4戦では1位ウルフ時光の指名挑戦を受けるために来日。相手の地元岡山で見せたアギーレの強さは圧巻だった。ウルフは何もできないまま、3回TKOで敗れ去った。

 この試合後、磐石に見えたアギーレのキャリアに暗雲がただよう。交通事故で右ヒザを負傷し手術。幸い経過は良好だったが、1年近くのブランクを余儀なくされることになる。昨年10月の休み明けの防衛戦では無名の挑戦者ファン・パラシオスに大苦戦し、辛くも2対1の判定勝ち。2月の最新の試合では同国のアルフォンソ・ケブに4回、攻め急いだところに左フックを打ち込まれ、痛烈なノックダウン。時間もタップリと残っていたが、何とか生き残り、7回TKO勝ちでベルトを死守した。

 このアギーレ、ケブ戦は4月7日にWOWOWでも放送されたが、その時のゲストが星野本人。アギーレの強さを認めながらも、冷静な目で分析。アギーレの若さとパワーを、持ち前の防御テクニックだけではなく、足を使ったヒット・アンド・アウェイで封じ込めるつもりだ。花形会長直伝の花形スペシャルが見られるかもしれない。

 星野が王座に返り咲けば33歳10ヶ月。これは、昨年12月には果たせなかった日本人の世界王座最高齢奪取記録になる(現在は輪島功一の32歳10ヶ月)。(久保田守)


徳山昌守 対 川嶋勝重戦展望 (By 久保田)

 「結婚して弱くなったと言われたくない」。徳山は昨年12月の防衛成功後、長年の婚約生活に終止符を打ち仁淑夫人と入籍。今年3月9日に都内で挙式をあげた後に語ったのが冒頭の言葉だ。遊ぶ時は遊ぶ、やる時はやる。それが有言実行派人間、徳山のモットーでもある。

昨年は3度の防衛(通算6連続防衛)を記録。2年連続で年間MVPを獲得。5月には海外防衛にも成功。今年に入り、結婚式後の3月末には、煩悩を振り払うと意気込み、福井県・永平寺での禅修行で精神面の強化につとめた。

徳山が理想とするパンチ。それは勇利の右だ。勇利が世界王座を獲得したときのKOパンチが右ストレートだった。勇利が見せたヒジが逆方向に曲がるほどしなった右、そのパンチだ。そして、何の因果か、徳山対川嶋戦が行われる6月23日は、勇利が11年前の92年に、その右で相手をKOし王座を奪ったのと同じ日でもある。その記念日に、徳山は「理想の右」を再現するつもりだ。

挑むのは師弟世界王者を狙う川嶋。元WBA、WBC世界ミニマム級チャンピオン、大橋秀行会長が横浜にジムを開いてから10年目という記念すべき年に初めて出た世界挑戦者だ。力強いボディ攻撃と破壊力満点の右フックでグイグイ前進する姿は迫力満点。迎え撃つ徳山も「間違いなく激しい試合になる」と警戒の念を隠さない。

川嶋がこの試合の勝利にこだわる理由。それは3年前の地下鉄日比谷線脱線衝突事故により志半ばで亡くなったジムの後輩、故富久信介さん(享年17歳)の存在だ。この世界戦発表の前夜、富久さんの霊前で手を合わせて勝利を誓った。本番のリングには「S・T」と富久さんのイニシャルを縫いこんだ新調のトランクスで登場する。徳山戦での川嶋は1人ではない。富久さんも一緒に戦っている。

「勝たなきゃいけない」。穏やかな表情で語った川嶋からは、ある種の凄みが感じられる。まるで戦地に赴く兵士のようだ。川嶋が決死の覚悟であることがヒシヒシと伝わってくる。人生すべてを賭けて徳山にむかってくるに違いない。徳山が「理想の右」で不倒の川嶋をキャンバスに這わせるか? 川嶋が、それをかいくぐり、パワフルなパンチで王者にアワを吹かせるか? 見る者の目を釘づけにする白熱戦になることは必至だ。(久保田守)


公園のマッチメーカー

朝起きると朝食前に、水泳か散歩に出る。ボクサーの朝のロードワークと同様、空腹状態で昨日のカロリーを燃焼させる。私は散歩が好きで、考えをまとめるため、あるいは気分転換をするため、よく公園を歩く。

先日、午後、会社に出る前、その日は処理する仕事が多いので、近くの公園を歩いて一周しながら、仕事の順序を考えた。その散歩の時間だけ無駄なようだが、実はそうではない。頭の中で事前に段取りをつけておくと、作業がはかどる。

私が雑用を処理する方法はこうだ。
A−B−C−D−E−F・・・・・
と一連の作業(マッチメーカーというのは雑用の連続)をひとまとまりの仕事のように処理する。ひと作業済むと、一服する人がいるが、私は休まない。作業Aが済むと、すぐ作業B、次に作業C、と加速度をつけて処理していく。マラソンと同じで、一旦、走るのをストップして休むと、再開後のリズムが悪い。この方法をとると、2時間くらいでかなりの仕事量を消化できるが、体力は使う。仕事が終わるとグッタリする。

先週の金曜、例の通り、公園を散歩しながら頭の整理をしていた。
鼻歌をうたっていたのだが、それは「公園の手品師」。フランク永井の歌だ。

鳩が飛び立つ公園の
銀杏は手品師 老いたピエロ
薄れ日に微笑みながら 季節の歌を
ラララン ラララン ラララン
歌っているよ
貸してあげよか アコーディオン
銀杏は手品師 老いたピエロ

多分、こんな歌詞だ。一部、1番と2番が混じっているかもしれない。こちらは鼻歌だから歌詞など少々違っていてもメロディさえ合っていればいい。この歌は最近気がついたが、一寸変わっている。公園の手品師は銀杏の木だ、というのだ。銀杏が季節ごとに姿を変えるので手品師というそうだ。

そこへ比国のアブラカ・トレーナーから電話がかかってきた。
「マネジャー、コール・ミー」と言う。すぐ折り返し電話すると、それから延々とマッチメーキングが暗礁に乗り上げている言い訳ばかり。折角の散歩なのに、頭の中で別の選手を探す算段が始まった。

「ホワーイジュユースピーキングリシソウグー?」と、公園でランチを食べていた黒人の女の子に声をかけられた。小型KONISHIKIのような子だった。
「アイマンネンタールナシュナゥバクシンマッチメイカール。ネガセエイシュンエズマイジャブ」と歩き去りながら答えると、「レッミーファイタンヨーカー」と言うので、「ソウリージャスメンズファイテン」と笑って言った。なぜ私が女子ボクシングのマッチメークをしなければいけないのだ、男の試合もいま決めかねているのに。

そこで、ひとつ替え歌を作ってみた。
題して「公園のマッチメーカー」

電話がかかってくる公園で
オイラはマッチメーカー 老いた交渉人
交渉挫折に 苦笑しながら
ラララン ラララン ラララン
好カードをさがす
もっと適当な選手 いないかな
オイラはマッチメーカー 老いた交渉人
(4−8−03)


ビデオ「ディフェンス強化法」購入者感想

<ビデオ感想>
このビデオはディフェンスを教えるのに参考になりました。バランスをよくし、よけたら直ぐ打ち返す必要性が認識できました。
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「ディフェンス強化法」を何度も見直した。もう知っていること、英語解説部分は早送りにして、ダッキング、ヘッドスリップなどのボディワークを重点的に見た。ブロッキング以外の防御を使うと手を防御に使わなくて済むので、すぐ打てることが実証されていた。毎日選手を教えているとマンネリというか、新しい技術を教えたり工夫する余裕がなくなりがちだ。たまにこのようなビデオを見ると、刺激になる。自分も攻撃主体に教える方なので、参考になった。
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最初はアマチュア選手が日本でもやるブロックでよけていたので何だと思ったが、段々その選手たちが高等なヘッドスリップしてカウンターをとれるようになったのを見て大いに参考になった。日本語の吹き替えがあればもっと良いが、こんな教則ビデオは私たちトレーナーか選手しか買わないから量産できないのでしょう。満足。
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これまで「ミット打ち」「ボディ攻撃」のビデオを買ったが、これが一番よかった。よく攻防一体というが、このビデオを見てそれが一寸は理解できた。アメリカと日本で防御技術の差が出るはずだ、と妙な納得。早速いくつか実際にトレーニングに活用させてもらいました。
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ジョーさん、ランディ・スイコを使ったテキスト・ビデオを作らないのですか。出たら買います。このディフェンス・ビデオ参考になりました。


「あなたもジャッジだ」改訂版 好評発売開始

ボクシングで論議を呼ぶことが多いのに
多くのボクシング・ファンがあいまいに理解している
「採点基準」を
理路整然とわかりやすく解説した
「あなたもジャッジだ」の改訂版
刷り上り!

<初版との変更箇所>

1.活字を大きくして読みやすくした

2.読書習慣のない人のために重要な部分だけ
太字体にし、そこだけ拾い読みすれば
「採点基準」の骨子が分かるようにした

3.誤植があった数ヵ所を訂正した

写真をクリックすれば、申し込み詳細に飛びます。
(4−6−03)


メジュクンヌ王座防衛

佐藤修からWBA SB級王座を奪ったサリム・メジュクンヌは4月4日仏クレルモンフェランで、ビンチェンツォ・ジグリオッティ(イタリア)を3−0(117-112,115−113,116−111)の判定で破り防衛に成功。終始、挑戦者が前に出て、王者はアウトボクシングしながらカウンターをとる展開。最後の2回はメジュクンヌも打ち合いに応じた。

セミファイナルでマイアール・モンシプール(仏)がヘルマン・グアルトスに3回TKO勝ちし、欧州SB級王座を防衛し、メジュヌンヌとの同国人対決実現へアピール。アンダーカードで、元五輪金メダリストのブライム・アスロウムがゾライル・ムビティイに8回判定勝ちし12連勝。アスロウムはまだ8回戦をしているのか。慎重に育成しているのだな。

フランスの混乱:WBAクルーザー級王者ジャン・マルクモルメクに続き、畑山に勝ったジュリアン・ロルシーまで、アカリエス兄弟の元を離れ、ドン・
キング傘下に移った。いまアカリエス、キング間は戦闘状態。

4/3 米ニュージャージー州アスベリーパークで、オケロ・ピーターの渡米第1戦に黒星をつけた元IBFクルーザー級王者イマム・メイフィールドはフランキー・エ
ドモンソンに6回TKO勝ち。

4/2 元IBFミニマム級王者ラタナポン・ソーウォラピン一家4人が乗ったバイクがトラックに追突され負傷、入院中。子供2人は軽症だったが、奥さ
んは骨盤と足首を骨折。バンコクから故郷のナコンラチャスリマに帰る途中の事故。

WBCニュースによれば、WBC SL級王者コンスタンチン・ジューは1位ジャンルーカ・ブランコ(イタリア)との指名戦を敵地イタリアで行う可能性が出てきた。入札でジュー陣営が155万ドルで落札したが、興行を放棄。そのため、ブランコ側のサルバトーレ・チェルチ・プロモーターに興行権が移り、モンテカルロ、モスクワ、またはシシリーで指名戦が開催される可能性が出てきた。ジュー陣営では、米国でのビッグファイトを目指し、この指名戦延期あるいは回避を画策。

この場合、(1)ジューのWBC王座はく奪、(2)暫定王座決定戦、(3)ブランコ側に待ち料を払い、たとえばウォード、ガッティのような米国で大金を稼げる試合を優先、などの可能性が考えられる。(PC会員には英文ですが、WBCニュースをあとで送信しておきます)。


来週月曜7日から、WOWOWエキサイトマッチは夜8時から10時。

月曜は 家族そろって エキサイト

月曜は 早く帰って TV観戦

月曜は 飲み会やめて ボクシング

月曜は 夜8時から ノックアウト

洲鎌、ランディ・スイコの日本での試合など別のニュースもあるが、アスタ・マニャーナ(スペイン語で「明日まで」。翻訳すると、明日でも間に合わーな)。
(4−5−03)

1月から毎日速報メールを送信し、毎月40以上の速報メールを送り続けている。


WOWOWエキサイトマッチは来週月曜から夜8時開始

昨日、WOWOWエキサイトマッチの音入れだった。
来週4月7日(月曜)から、夜8時から10時前まで。
いい時間帯に移動したので、より多くの人に見ていただきたい。

世界タイトルマッチを除き、ボクシングのレギュラー番組が
夜8時から見られるとは昭和30年代にもどったようだ。
私たちが子供の頃、毎日ボクシングが放送され、それが夜
8時とか9時に始まった。

WOWOWエキサイトマッチではボクシングの黄金時代
再現だ。
(4−3−03)


ラウンド終了のゴングと同時のパンチによるダウンについて

今日のセミファイナルの3ラウンド目、木村登勇が安田鉄平をこの回終了と同時のパンチによりダウンさせた。安田はたたらを踏み、それからダウンした。時間にしてパンチを受けてから1秒は経っていたと思う。レフェリーはゴング後にダウンしたと見て、カウントを取らなかった。抗議する人はいなかった。

先日のデビッド・トゥア、ハシム・ラクマン戦で、トゥアは最終回のゴング後、ノックダウンを喫したそうだが、これと同じパターンだろう。すなわち、パンチ自体はゴングと同時だが、キャンバスへの落下は明らかにゴング後。

「ボクシング珍談奇談」11章9(784頁)に書いたが、李炯哲とアリミ・ゴイティア戦でゴイティアのゴング直後のパンチで李が倒れ、この場面の収拾がつかずハプニングとなった。その後、WBAは今後の対策として「ゴングと同時のパンチによるダウンはlegal(正当)」とWBA世界タイトルマッチルールに付記するようになった(WBCにはこれがない)。

これはひとつの方針だろうが、ゴングが鳴り、もう休憩時間に入った1分間のときにダウンが発生した場合、これをカウントする方が合理的なのか、それとも無視する方が理にかなうのか、考えてみる必要がある。
(4−3−03)


旅先での洗濯の仕方について

今回の比国旅行は3泊のひとり旅だった。自分自身で興行する場合には比国のスポンサーやTV局へのあいさつ回りがあるので約1週間前に現地入りするが、今回はセブのギャンブラー、ワキー・サルード氏が興行してくれたので楽だった。

当初、ワキーは自分の選手であるマルコム・ツニャカオやレブ・サンティリャンの試合も入れる予定だったが、会場が3000名と小さいのでランディ・スイコのOPBFタイトル戦だけにしたそうだ。

会場は超満員で、100ペソ(約200円)の一番安い席のチケットがなくなったほどだ。会場の外ではプレミアつきでチケットを売っているダフ屋がいたという。「見ろ、ワキー、ランディは人気があるんだ」。まあ、折角組んでくれたのに客が入らなくて損をさせるより大入り満員になった方がいいに決まっている。

今日は、海外での洗濯法を紹介する。
私は比国やタイなど暑い国へ行くと、朝食前と夕食前に泳ぐ。昼間はジムに行きミットを持ったりするので汗まみれになる。洗濯ものが増える。そこで、次のような洗濯法をとる。

(1) バスに少しだけ水を入れ、そこにTシャツ、パンツなどを放り込みシャンプーを上から散らす。シャンプーは液体だから石鹸より溶けるのが速い。汚れがあるときは手でかき回すが、ただ汗をかいただけのTシャツなら漬けておくだけ。ソープの化学反応で汗、脂を分解する。
(2) 1時間くらいして(あるいは外出から戻り)、バスの水を抜き、きれいな水で洗う。
(3) 力一杯しぼる。
(4) 次に足拭きタオルに、絞ったTシャツや靴下をはさみ、上から足で踏む。タオルに水分を吸わせてしまう。
(5) 太陽の当たる窓際に干す。窓が開けられるホテルなら洗濯ものに風があたる形が望ましい。風の乾燥効果は大きい。

朝、この方法で洗濯し干しておけば、ジムから帰ってきたらほぼ乾いている。この方法のミソは洗濯ものをタオルで包み、昔の洗濯婆さんのように上からトントン踏むことだ(竹踏みのようで健康にもいい)。これで水気が切れる。すぐ乾く。

だから、私が長めの旅をしても最後の日の下着以外は洗濯済みの状態で持ち帰る。それを家内は洗濯が甘いといって、もう1度全部洗うが、男の旅だから旅行中はこれで充分だ。
(4−1−03)