ジョー小泉のひとりごと 2002年10月前半


2002年10月14日 OPBF W級タイトルマッチ 新王者誕生

10-14 パークアリーナ小牧

OPBFウェルター級タイトル
王者 レブ・サンティリャン(比) 15-0-1,12KO 前
12R
OPBF4渡辺博 15-2-2,12KO 前

結果: 渡辺の2−1の判定勝ち
116−114,116−113,112−117
王者が攻勢をとり、フットワークを駆使する挑戦者が
単発ながら強打を打ち込む展開。ダウンはなし。

WBA,WBC SB5 石井広三 28-3,21KO 前
10R 判定 100−90,100−93,100−91
前タイSB王者 ウィチット・チュワタナ 26-12,9KO 前

石井が攻めまくるが、タフなウィチットを仕留めきれず。
ポイントはワンサイド。

SF8 中村好伸 14-1-2,11KO 前
TKO2R
タイSF2 カンチット・キャットゲイジャ15-12,8KO 前
 
1回、中村は左HでDを奪われたが、
2回に猛反撃し2度Dをとり逆転勝ち。

SB9 國見泰央 10-4-4,3 前
KO3R
パヤック・ツインズジム(タイ) 3-1-1,1KO 前

2回に2度、3回に1度Dをとり圧勝。


2002年10月14日 番狂わせ続出

10-14 後楽園ホール

名護明彦 121.25 19-3,12KO前=N
KO2R
サックモンコン・シンマナサック 121.25 15-11,4KO前=S

1回、Nが右Jでプレッシャー。2回、Nが右Hをテンプルに当てD撮る。再開後、ボディから強烈な右HでD。カウント中にストップ。

金山晋司 140 8-2-1,5KO=金
逆転KO7R
SL1位川島辰久 139.75 17-7-3,6KO=川

6回までは川が主導権。
7回、金が右Sをテンプルに当て川D.。川、反撃。金、右SでスタンディングDとる。さらに右Sで3度目のD。ノーランカーの元全日新人王、金山の金星。

SF6 有永政幸 115 14-2,7KO=A
TKO9R
WBA SF9木谷卓也=K

2回から6回、Kが主導権。7回、Aの左SでK右目上出血。8回、Aボディ攻撃で優勢、Kも反撃。9回、Aが左Sから連打でロープに釘付けにし、さらに連打するところでレフェリーストップ。

LF6 高山勝成 108 9-0,5KO=T
8回2−0 78−76,79−74,78−78
WBA M5 ソンクラム・ポーパオイン 108.5 22-4-2,12KO=S

サウスポーのTが左S,右Hで攻め、Sは大振りの右Hから左Hの返しで応戦。6回、左SでSが手をつきD。Sは後半カグ欠気味。


2002年10月13日 OPBF Fe級タイトルマッチ

10-13 福岡県宗像郡 久保田リポート

越本隆志 126 30-1-2,14KO前=K
判定 120−108,118−110,119−117
比国王者 ジェフリー・オニャテ 126 28-13-6,15KO前=O

2回、Kが右ショートHでダウンを奪う。
3回もOはKの左Sでぐらつく。
4回以降、Oは前進するが、Kが右J、右H,左Sを当てては、
フットワーク、ウィービングでOの攻撃をさばく。
6回終盤、Kの左SでOはバランスをくずす。
以後、試合は一方的となった。
セミファイナルのくま、ムアンファーレック戦はメインのあとのため
続報にて。

これはRJのマッチメーキングだが、
私は東京で「ボクシング珍談奇談」を書き進んでいる。


2002年10月12日 WBO W級タイトルマッチ

10-12 米国カリフォルニア州アナハイム

アントニオ・マルガリート
判定 (120−108)x2、118−110
3位ダニー・ペレス

99年に接戦の末、王者マルガリートが辛勝。それを受けての再戦だったが、初回からラストまでマルガリートが打ちまくり、ワンサイドゲームで圧勝。F・ランドール、D・カマウを破っている挑戦者は王座奪取を期待されたが、予想外に一方的な敗戦を喫した。ダウンはなし。これはアナハイムのダブル世界戦のメイン。


WBAフライ級タイトルマッチ

10-12 アナハイム

エリック・モレル(米)=M 32-0,18KO後
TKO11R
デンカオセン・カオウィチット(タイ)=D 20-1,8KO後

Dは積極的に打ち合いを挑んだが、Mはスピード、テクニックに勝り、ポイントをリード。7回、MはDをぐらつかせ、11回、MはDを捕らえ2度のダウンを与えTKOで圧勝。DはPABAタイトル18連続防衛の強豪だが、世界の壁は厚かった。


2002年10月12日 日本人選手2連敗について再考

昨日この「ひとりごと」に「技術強化委員会」を設けたら、と書いたが、現実的には難しい。
誰が中心になってそんな委員会を続けるか?
自分がジムの会長なら、自分の選手には小言をいえても、よそのジムの選手、あるいは
その教え方には口出しがはばかられる。

矢尾板、小林弘を育てた中村ジムの故中村信一会長のような名伯楽がいて、
御意見番として、「もっとジャブを突かせないと駄目だよ。どんな練習の
させ方をしてるの?」とか言ってくれる人がいればいいが、現在そんな
人はいないだろう。元名選手でもジムの会長という立場があるし。

結局、日本はクラブ制度だから、自分のジムの指導法は自分で管理、向上
させていくしか方法はないのだろう。

たとえば、佐藤、保住選手の敗因など実際に側について指導した人でなければ
分からないはずだ。外部から浅薄な批判をしている元世界チャンピオンなどが
いるが、現場の担当者の反省はもっと別のところにあるのかもしれない。

当事者は反省する。それを見た他のジムの指導者は自分の選手への教訓を
目の前の試合から受け取り、それをジムでの指導に生かす。
クラブ制度を敷く日本ではそれでいいのかもしれない。

一晩寝たら、技術強化委員会などという空論が実現不可能であることが
分かった。設置には問題がありすぎる。

しかし、愛国者の私としては日本の技術レベルを上げる何らかの方策が
ないものか、と考える。2人があんな足でごまかされるような負け方を
するのを見て、正直いって悔しい。


2002年10月12日 仲里、見事なTKO防衛

OPBF SB級タイトルマッチ

10−12 沖縄 山田通信員リポート
仲里繁 121.25 22-5,17KO前=N
TKO7回2:54
ビルゴ・ワロー(インドネシア)120.5 14-6-3,6KO=W

Nがパワーで勝り、プレッシャーをかけ続ける。
7回、2分過ぎ、Nの左フックから右の返しでWはダウン。
再開後、NはWをコーナーに詰めて連打し、Wはくずれるようにダウン。
ここでサラサス主審が試合をストップ。
6回までの採点:59−55,59−56,60−54で仲里。


2002年10月11日 2つの世界戦を見終えたあとの所感

2つの世界戦での日本人選手敗北を見て感じた個人的印象である。

日本は前に出て手数を出すファイタータイプ育成に偏りすぎている傾向がないだろうか。

新人王戦のあり方(前進し押し込んだ方が勝ちにとらわれ過ぎ)、日本式採点基準の問題(ジャブ、リングジェラルシップの軽視)、最近フットワークを使うボクサータイプの極端な減少、すなわち、偏ったファイター、ボクサーファイタータイプとばかりの対戦経験(日本、東洋にはフットワーカー、テクニシャンが少ない)、防御におけるガード偏重(フットワーク、ボディワークの少なさ)。

日本式育成法、指導法の構造的欠陥があるのではないか。
日本人選手はもっとテクニックを磨く方向に努力すべきではないのか。
(走り込みによる体力、猛練習による精神力強化だけでなく)
もっと試合の中で瞬間的な判断力(速断力)が必要でなないのか。

協会内に「技術強化委員会」を設けたらどうか。
(私は何度も「東洋から世界へ」などで提案しているが)
他の国際的競技ではこれが設置されているが、どうだろう。

世界のトップが目指すボクシングの方向と日本の全体的指導方針とでベクトル(方向性)がややずれだしてきているのではないか。
もっと防御強化、もっと攻撃から防御、防御から攻撃への連係練習が必要なのではないか。

考えさせられたし、いまも考えている。


ボクシングの世界戦はプロレスの宣伝の場になり下がったのか

昨日の世界タイトルマッチで試合後、リングでトラブルがあった。
勝者ジョッピーに何か勝利者賞を渡したのがプロレスラー。
TVの解説をしていたのが、それと今度試合をするプロレスラー。

世界戦のあと、勝者をたたえる儀式の最中、リングの上と下とで両レスラーがやり合う。
リング下の解説をしていた方が上にいる方にコップの水をぶっかけた。

TVを見ると、その瞬間、両レスラーの試合放映予告がすぐ画面に出た。
宣伝のためのやらせなのだ。

ボクシングのプロモーター(会長)に世界戦放映料を出しさえすれば、TVは何をしてもいいのか。
神聖な世界戦のリングをプロレスの宣伝に使うのをやめてほしい。

あんな場面を見せられて腹が立つとともに悲しかった。
ボクシングはここまで愚弄されるのか。ここまで馬鹿にされるのか。
あれではボクシングの世界タイトルマッチの権威もあったものではない。


2002年10月10日 WBA M級タイトルマッチ

02-10-10
両国国技館
WBAミドル級タイトル戦

王者 ウィリアム・ジョッピー(米) 33-2-1,24KO 前
10R2:48TKO
WBA14 保住直孝 21-2-1,18KO 前

保住はガードを固めて前進するが、ジョッピーはフットワークを駆使し、そのガードの間からジャブ、右S,右Uを好打する。そんな展開が続いた。
10回、ジョッピーの右がヒットし、連打でたたみかけたところでレフェリーストップ。

OPBF・S・ミドル級タイトル戦

王者 西澤ヨシノリ 20-13-5,11KO 前 168=N
12R判定 2−1 (116−113)×2西澤、116−112バージェロ
OPBF2 マーク・バージェロ(豪) 30-9-2,8KO前 168=B

Bは4回からサウスポーになり、以後スウィッチヒッターで戦う。
Nは右H,右Uを決め、Bは左Sを顔面、ボディに狙う。
クリンチの多い試合展開で、8回、Bがホールディングで減点。
9回、Bの左Sをアゴに食い、Nがピンチ。クリンチで辛うじて生き延びた。
10回から12回は、Nがやや攻勢をとり、2度目の防衛を飾った。


日本S・ウェルター級暫定王座決定戦

SW1 金山俊治 12-3,11KO 前
10R
SW4 石田順裕 7-3-1,3KO 前

結果: 金山の3−0 97−96,97−95,97−94
久保田レポート
1,2回は石田がジャブ、左Hで出鼻を叩きリード。
3回から8回、金山が左ボディ、左H、右Sで主導権をキープ。
9回、石田が奮起し右S好打し優勢。
10回、金山がジャブ、左ボディでペース取り返す。


2002年10月9日 WBA SB級タイトルマッチ

10-09
国立代々木競技場第1

WBA・S・バンタム級タイトル戦
王者 佐藤修 26-1-2,15KO 前=S
12R
WBA1 サリム・メジクンヌ(仏) 39-3-1,21KO 前=M

結果: Mの3−0 116−112,117−111,119−110
Sは前進し距離を詰めようとするが、Mは徹底的にフットワークを使い、急に速いが軽いコンビネーションブローを打ち込む。終始、そんな展開だった。

Sは5回から攻勢をかけるが、捕らえきれない。
6回終了のゴングと同時に、Mの左Sカウンターでダウンを奪われた。
レフェリーはダウンに取らなかったが、ダウンでないなら、余分の休憩タイムを要求したかった。

9回以降、Sはさらに攻撃を加速し、右U(ボディ)が有効だが、攻めきれない。
Mは小柄でパワーに欠けるが、老獪だった。Sは何かごまかされ続けて負けた感じだ。
残念。Sは闘志と馬力のある好選手だから王座奪回を目指し再起してほしい。

SL3 佐々木基樹 16-4,9KO 前 141.25
8R
春山正太 6-4,3KO 前 141.25
結果: TKO5回1:58 佐々木
いい打ち合いをしていたが、佐々木のパワーが優りだし、5回、左Hでダウンを奪い、タッシュをかけたところでレフェリーストップ。

B4 サーシャ・バクティン 5-0,2KO 前 118
8R
サン・シスナルポン(タイ) 118
結果: 以前ナイト・アレクサンドルの名で戦っていたバクティンは地力の差を見せつけ、2回、オーバーハンドライトで3度ダウンを奪い、KO勝ち。

WBA・F14 ブライム・アスロウム(仏) 9-0,5KO 前 114
8R
センサック・シンマナサック(タイ) 115
結果: 明日労務の4回TKO.。
アスロウムは元五輪金メダリストだけあって、やはりスピードがある。
4回、左ジャブでダウンを奪い、さらに同じパンチでダウンを取りストップ。


2002年10月8日 いまどんな本を書いているか 一部抜粋

「ボクシング珍談・奇談」でスタンリー・ケッチェルの死について書いているとき、多くの資料を読んでいるうちに「いままでボクシング・ライターが書いてきたことは誤りだな」と感じた。ここが英文で原典を当たる強みだ。しかし、このひとつのエピソードだけで時間を食ってしまった。こんな小話を200集めるのだから、なかなか大変だ。

この調子だと、500頁の予定が600頁くらいになるかもしれない。
今月15日に全体の3分の1の原稿を印刷所に持参し、再見積りをしてもらう。
1冊が原価2000円くらいになるなら、3000冊で600万円、5000冊で1000万の印刷費がかかる(写真が200から300入るため)。

その場合、限定出版に切り替える。
すなわち、予約を受けた数だけ印刷する。書店では販売しない。通販だけにする。
多分、再見積りが出る20日ごろ、ホームページで価格変更の告知をすることになるだろう。
(それまで予約を受けた分については、予告価格で出す)。


女にちょっかいを出したチャンピオンが射殺された

 アメリカのボクシングの歴史を見ると、ヨーロッパからの移民と密接な関係がある。19世紀半ばにアイルランドで主産物ジャガイモの飢饉が起こり、人口の約4分の1が新天地アメリカに渡った。このころ、ドイツからの移民も多かった。
 20世紀の最初の20年間では、イタリア、ポーランド、ロシアからの移民が急増する。
 移民たちの生きる道は2つだ。西部に流れて広大な荒野を耕す農民となるか、
あるいは急上昇する産業の労働力となるかだ。
 「アメリカに行けば、暮らしが楽になるかもしれない」
 そんな夢を抱いて移民船に乗った人びとは、新天地で貧農、あるいは下層労働者になるしか生きる道がなかった。
 ボクシングのヒーローは最も貧しい移民層から現れた。まず19世紀には英国系、続いてアイルランド系とドイツ系。20世紀に入るとユダヤ系、さらに黒人たち。20世紀も後半になると、中南米系のスター選手が出現する。
 米国においては、ボクシングというハングリー・スポーツは次々とより貧しい移民層に橋渡しされる。英語もろくに喋れない移民の1世は貧しく苦しい生活のなかで息子たちに教育をつけ、社会のより上の階級に押し出していく。
英国系、アイリッシュ、ドイツ系、ユダヤ系のボクサーが活躍するのは20世紀前半までだ。そして、現代のボクシングの主流は、黒人と中南米系が大半を占める。

 世界ミドル級チャンピオン、スタンリー・ケッチェルはポーランド系のボクシング界のスーパースターであった。その本名はスタニスラウス・キエカルという。激しい攻撃力、必殺のパワーで全米きっての人気選手となり、ヘビー級王者のジャック・ジョンソンより試合報酬は高かったという。
 現役チャンピオンで24歳の全盛期にあるケッチェルが射殺された話だ。
1909年にヘビー級タイトルに挑戦し12回KO負けしたあと、翌年は6月までに5戦3勝全KO2無判定。この無判定試合のひとつは、ジョンソンでさえ王座を賭けての対戦を拒否した、伝説的強豪サム・ラングフォードとの一戦だ。公式にはノーディシジョンだが、新聞記者たちが出すニュースペーパー・ディシジョンはケッチェルの勝ちだった。
ケッチェルは、試合後の休暇をミズーリー州スプリングフィールドにある後援者R・P・ディッカーソンの農場で憩った。
 ミドル級王者は名うてのプレーボーイだった。稼いだ金は湯水のように浪費し、いつも女を追いかけていた。ケッチェルはリング内では獰猛な獣のようなファイトをし、リング外でも粗野な荒くれ男だったらしい。
 それはケッチェルの経歴を見れば分かる。16歳のときから酒場の用心棒として酒癖の悪いカウボーイを追い払いながら、腕っぷしを磨いてきた。その前は浮浪者の群れに加わり、喧嘩ばかりしていた。
 17歳でプロボクサーになり、荒っぽいファイトでKOの山を気づいた。しかし、短気で血の気の多い、そして好色な性格は変わらない。
 その農場にウォルター・ディプリーという男とゴールディ・スミスという女が住み込みで働いていた。2人は内縁関係だった。女は4度目の亭主から逃げ、離婚手続きが終わっていなかった。多分、このカップルは駆け落ちし、流れ者の労働者になったのだろう。スミスは丸顔でスリムな、男の気を引くいい女だったらしい。
 休暇中のチャンピオンはスミスにちょっかいを出した。
 1910年10月15日、朝6時半。ケッチェルは1階のベランダでスミスが調理する朝食を摂ろうとしていた。
 そこに内縁の夫ディプリーが興奮して現れ、22口径のライフルを発射した。王者ケッチェルは背中から撃たれた。
 まだ息はあった。後援者の牧場主ディッカーソンはそのニュースを聞いて急いで牧場に戻った。急いで荷馬車にケッチェルを運び込み、列車でスプリング・フィールド病院まで運んだ。
 緊急手術を受けたが、夜7時、ケッチェルは息を引き取った。出血多量と衰弱のためという。1910年の田舎町では応急処置もとれなかったのだろう。
 52勝49KO4敗4引分けのレコードを残し、「ミシガンの暗殺者」のニックネームで愛された現役チャンピオンは24歳で逝った。
 裁判が行われた。
 殺人者ディプリーは、「正当防衛だった」と主張する。
内縁の妻スミスは、重大な証言をする。
 「前の日、ケッチェルに言い寄られ、レイプされた。夜、それを夫に告白し、彼は怒り心頭に発した」と。
 牧場主ディッカーソンは贔屓のチャンピオンの生命が失われ、被告に対する憎悪の塊になっていた。他の証人は牧場の雇われ人、つまりディッカーソンの息がかかった人間ばかり。公正な裁判が行われる状況ではなかった。
 陪審員は有罪判決を出し、内縁の夫婦ともに終身刑となった。
 女は12年の獄中暮らしのあと保釈されたが、その後の行き先は知れない。男は24年後、病弱のため出所を許されたが、5年後亡くなった。
 謎解きを試みよう。
 ボクシング・ライターたちはスタンリー・ケッチェルのボクサーとしての素質を惜しむあまり、ボクサーびいきの逸話にして真相を塗り替えがちだ。
 筆者は数多くの資料をあたった結果、ケッチェルが女をレイプしたのは本当だろう、と推察する。さもなければ、ただ女に言い寄った程度で男はライフルを発射しはしないだろう。
 ケッチェルは背中から射殺された朝食の場にも拳銃を持ってきていた。脛に傷持つ男らしく、女の亭主から何らかの反撃があることを予感していたのではないか。
 西部劇の時代だ。自分の女を辱められたら、報復するのが男の掟だろう。たとえ、相手がボクシングの世界チャンピオンであろうと。
 ディプリーが背中から撃ったことは男としては責められよう。だが、相手が鉄拳を誇る「ミシガンの暗殺者」なら、怒り狂った亭主はいかなる手段を使っても復讐しただろう。それを肯定するつもりはないが、この殺人劇を起こした男の感情は理解できなくもない。
 ケッチェルはボクシングでは希代のハードパンチャーで名選手だったかもしれないが、こんな死に方をしたのは本当に愚かしい。世界チャンピオンとして世間で持ち上げられているうちに、自分が特権階級でもあるかのように錯覚したのだろう。その錯覚は高いものについた。
 20世紀の終わりごろ、同じような事件で3年あまりキャリアを棒に振った愚か者の元世界ヘビー級チャンピオンが現れる。昔も今も、世の中はボクシングを中心に回っているわけではないし、チャンピオンならいかなる悪行も許されるわけではない。
 あるケッチェルのファンが言ったという。
 「カウントを数えてごらん。きっとケッチェルはカウント9で生き返ってくるよ」
 生き返るわけがない。不死身のタフガイも背中から受けた銃弾には勝てなかった。


2002年10月6日 元世界王者ランドールKO負け

10-5 米ロードアイランド州プロビデンス
ピーター・マンフレドJr. 154 16-0,7KO後
KO7回
フランキー・ランドール 154 58-13-1後

チャベスに初黒星を与えたランドールも40歳。年齢が半分のホープに攻め込まれ、7回、連打からのボディブローで倒され10カウントを聞いた。昨日の坂本のTKO負けと同じ日なのも何かの因縁か。

ジョン・マッケイン上院議員が出した議案が承認を受け、近くアメリカ全体を管理するコミッションが発足する模様。その名がUS Boxing Administration で略してUSBA。これではIBFの下部団体、US Boxing Association の略称と同じでまぎらわしい。別の全米コミッションの名称を考えればいいのに。

私がいま書いている次の本「ボクシング珍談・奇談」は、10月中旬に1/3、10月末に1/3、11月中旬までに残り1/3を印刷所に出せば、予定通り12月15日に出来上がる。いま必死で頑張っているところ。


2002年10月5日 山本、OPBF1位と引き分け

10-5 大阪 府立第2 織田社員レポート

比国SL級王者 OPBF1位 ディント・カスタニャレス 11-0,8KO前 140.25
10回引分け
山本大五郎(金沢) 4-1,4KO前 141

強打のホープ山本が名をあげた一戦。
1回から4回は、山本がジャブから右Sで先制。4回にはカスタニャレスをダウン寸前
に追い込みラッシュをかけた。
山本はこのラッシュでスタミナを費やし、5回から9回はカスタニャレスがポイント連
取。6回にはホールディングで1ポイント減点された。
10回は、山本が必死の反撃で優勢。

採点は、97-96山本、98-92カスタニャレス、95-95。
これで山本はランキング入りする公算大。


2002年10月5日 OPBF Sライト級タイトルマッチ

OPBF SL級タイトル戦

佐竹政一 140
TKO12回2分47秒
坂本博之 140

佐竹は坂本の攻撃をスイスイかわし、時に軽いパンチを打ち込むが、6回までは
やや手数が少ない。
試合は最終回に突入。
佐竹の左ショートがアゴにヒットし、坂本がダウン(レフェリーはスリップ扱い)。
立ち上がった坂本は足にきていた。
佐竹がラッシュしたところでレフェリーストップ。

11回終了までの採点は、
レフェリー内田 106−104(坂本)
ジャッジ浦谷 105−104(坂本)
ジャッジ浅尾 108−103(佐竹)

ラストラウンドが10−10であれば、坂本の勝ちだった。

採点はともかくとして、人気のある両選手の対決は大いに話題を呼んだ。


誌上フォーラム投稿募集 「80年代のボクサーの方が現在より強かったか」

リング・ジャパン・クラブ会報でときどき共通のテーマでフォーラム(意見交換会)をする。
もちろん、私も参加する。

次回11月1日号のテーマは、
「80年代のボクサーの方が現在より強かったか」
である。(10月号会報は昨日と今日で発送し終えました)。

数ヶ月前、ある会員から、
「80年代からボクシングは進化していないのでは」
という私のコメント希望の投稿があり、
そのときはボクシングが進化した面を10項目ばかり挙げ
反論したことがあった。

以前、20年ほど前、アメリカで観戦すると、
スピードもパワーも日本のレベルと段違いで、
「やはり、世界の水準は凄い」と感嘆したものだった。

ところが、最近、同じアメリカで試合を見ていると、
昔感じた凄さ(日本との差)をあまり感じなくなった。

それは、あまりに数多くの試合を見て私の感受性が鈍ったのか、
「アメリカに負けるものか」という敵愾心ゆえ冷静に日本との差が
(私には)見えていないためか、とも考えた。

私は自分の選手、ランディ・スイコのトレーニングで
メイウェザー、フレイタス、カサマヨルとの仮想対決練習を
していたので、世界のトップに対する敵愾心が多分にある。
要は、自分の特長を生かし、相手に勝てばいいのだ。
怖れることはない。勝つための方法はある。
そんな敵愾心、対抗意識が現在のボクシング・レベルを
正当に評価することを妨げているのでは、とも考えた。

ワールド・ボクシング誌の10月号「東洋から世界へ」に書いたが、
最近、「ボクシングは退化しているのではないか。その退化度は
進化度を上回るようになるのではないか」と自問自答し始めた。

そこで、皆さんのご意見を聞いてみたい。
11月号のこの「誌上フォーラム」だけは、会員でない人の投稿も
受け付け掲載する。
投稿のあて先は

order@ring-japan.com

非会員・投稿者には掲載号を送付します。
このフォーラムにおいては私も一介の投稿者の立場をとるので、
コメント希望はなし、とさせてください。

たかがミニコミ誌と思われるかもしれないが、
リング・ジャパンの会報(一種の意見発表誌)は凄い。
ときに私でも感心する斬新な意見、見方がある。
投稿者には掲載号のみ1冊贈呈します。


2002年10月2日 吉野、荒木に2−1の判定負け

後楽園ホール

M4 吉野弘幸 36-10-1,26KO 前 157.75
10R
M6 荒木慶大 10-1,6KO 前 158.75

結果: 荒木の2−1判定 98−97,97−95,96−97

荒木はボクサー型で左ジャブを吉野の出鼻にヒットし、ポイントを先行。
3回、吉野がボディから顔面への左フックで反撃。
4回から6回、荒木がジャブから右Sでポイントを連取。
7回と8回、吉野がボディ攻撃で荒木を弱らせた。
9、10回は、吉野のボディ攻撃と荒木の左ジャブ、右Sで互角。


2002年10月2日 やはりルイス、ジョーンズ戦は空中分解

アメリカでは12月7日のHBOの放映スケジュールを有力プロモーター間で
取り合いしているようだが、ロイ・ジョーンズがジョン・ルイスに挑戦する
可能性はほぼなくなったようだ。

現在有力なのは、メイウェザー対カスティージョで、もしこれが決まれば、
セミのマルケス対池戦も決定するだろう。トップランクからの連絡待ちだ。


2002年10月1日 東京は台風の影響で大雨

WOWOWの録画取り、1本分。
ジョー・カルザキとダニエル・サントスの最新防衛戦。
これは10月14日オンエア。
サントスは挑戦者タカルーにダウンを奪われ・・・・
推理小説と同じで内容は書かない方がいいだろう。
どうぞ14日、11時PMからご覧ください。

そのあと、東京駅に出て、ある選手と会長と会う。
名前をいえばみんなビックリする選手だ。
話が済み、こちらは頭が痛くなった。

事務所へ出て仕事を消化するが、どうも不機嫌が
直らない。こんな日もあるだろう。